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【快作❓それとも怪作か⁉️  植木等主演『ニッポン無責任シリーズ』の2作目『ニッポン無責任野郎』】


アナーキーすぎる無責任男



 2023年1月中旬、日本映画大学一年の有志たちに枠外授業で植木等の『ニッポン無責任野郎』(’62東宝 古澤憲吾監督 脚本・田波靖男/松木ひろし)をまるまる一本観せる♫ 4年ぶり? に観たが、矢張り何から何まで凄い作品。
アナーキーに派閥や学歴社会、終身雇用を嗤い、外人コンプレックスを揶揄し、結婚観や親子同居観を先取りし、会社の未集金を回収し、何と派閥まで解消させると云う、犯罪スレスレながら全てをWin-Winに持って行く脚本の面白さ、演出のテンポの良さ、そして植木等さんの芝居とキャラに矢張り今回も感服❣ 
 これは傑作を通り越して「新しい映画」なのかも知れない!? 

 前作『ニッポン無責任時代』も傑作だったが、主人公,源等(みなもとひとし)を更に無責任に、更にアナーキーにし世の中の「良識と云う名の嘘」をひっペ返して行かせる凄さに改めて驚嘆。
 今回、改めて強く印象に残ったのは、他人の物を巧みに利用しWin-Winにして行く作劇の巧さ。お見舞いの果物籠、銀行、他人の結婚式、会社の回収金、同僚の家、接待などなど。犯罪スレスレながら全てをWin-Winにするのだから驚く。
中でも強烈な印象を残すのは、ジェリー伊藤演じるジャズのサキソフォン奏者をアメリカの技術会社の社長の弟と偽り会社を騙すエピソード。犬塚弘演じる王仁専務の見栄を利用して途中採用された等は、会社の貸付した未回収金の回収を担当させられるのだが、当該会社の担当者を接待し派手に金を浪費し、借金は回収するが責任を取らされそうになる。そこでジェリー伊藤を使って技術提携を臭わせ王仁専務と専務のライバル幕田常務(人見明)の両方に饗応させ、前の浪費した分もマンマと乗せて会社に払わせてしまうのだ。
自分が勤めている会社を騙すと云う犯罪すれすれの唖然とした行動。勿論、嘘がバレて首にはなるが、そんな子供だましの手口に騙された専務と常務は、次期社長候補の資格はないッ、と由利徹の社長から見放され、それが等にとってはチャンスになると云う展開には兎に角、舌を巻く。然も、源等は頭カチ割らんばかりに考えるのではなく、事も無げに考え付きやってみせると云うキャラ作りが凄い。序にと云っては何だが王仁専務も幕田常務もこれを切欠に派閥を解消すると云うオマケまで付く田波靖男+松木ひろしの脚本の手口に脱帽。
 それとは別に他人の既成概念を逆手にとってWin-Winにしてしまう骨太さにも感服。男社会、ジェンダー、 結婚観、貯金通帳、二世帯同居、派閥、西洋信奉(外人コンプレックス)、終身雇用などなど。
勿論、源等がやっていることを実社会で簡単にやれる訳はないが、ジェンダー、結婚観、二世帯同居、終身雇用などに関する既成概念がカナリ変わって来たことも事実。このシリーズの影響がないとは言えない。何せ公開時だけでも700万人が観たと云う大ヒット映画なのだから。

主人公が不在❓

 もう一つ特筆すべきは、「ドラマの本質の定義」に合致する主人公が居ないと云うこと。 ナラティブ・ストラクチャーにも成っている前年製作された黒澤明監督の『用心棒』(主演・三船敏郎)と同じく「ヒーローにドラマはない」が、巻き込まれる「周囲の人にはドラマ(変化)がある」構造。つまり平均も源等も主演ではあるが主人公ではないと云うこと。(手前味噌で恐縮だが拙作『シャブ極道』(’96大映 主演・役所広司 )も少し近い作りにしてあるが真壁五味は主人公にもしてある)
 東映やくざ映画などでは縄張りを荒らす革新勢力やくざは=悪者=アメリカのメタファーで、縄張りを護る保守勢力やくざは=良い者=日本だが、東宝は違う。若大将シリーズでよく描かれていたプロット、若大将の実家の老舗のすき焼き屋田能久=保守勢力の近くに進出して来るステーキ屋は革新でアメリカ のメタファーではあるが悪者ではなく、田能久とコラボしたりする。そのお陰で田能久は倒産せずに生き延びるのだ。 

「無責任男」は敵役


 では『ニッポン無責任時代』『ニッポン無責任野郎』では革新勢力(悪者=アメリカ)と保守勢力はどの様に成っているのだろう? 何と主役の平均、源等が革新勢力=アメリカのメタファーであり、会社の社長、重役、同僚が保守勢力=日本なのだ。詰まり見ようによっては無責任男は主役でありながら悪役(敵役)な訳だ。ここがこのシリーズ二本の魅力でありユニークな処。詰まり、「ドラマの本質」から考える主人公が、無責任男に巻き込まれる側になると云う逆転現象が起きている作劇の妙。同じ東宝のヒーロー「三十郎」と同じ点が非常に興味深い。
では、「無責任男」の敵は何なのだろう?
勿論、令和日本の今に至るまで繁栄する「良識と云う名の嘘」だ。

2本目にして最後の「無責任男」


 とまれ、と云うか、然し、と云うか、この二本『ニッポン無責任時代』『ニッポン無責任野郎』の余りの無責任性、アナーキーさに怒った藤本真澄が路線変更させ、C調だが責任ある「スーパーサラリーマン物」に変更させたと云うのが『日本一の色男』(’63東宝 監督・古澤憲吾 脚本・笠原良三)からの『日本一の~男』シリーズと云うことなのだが、公開当時小学校五年生だった私にはその違いが判る訳もなく『日本一の色男』を無責任シリーズの3本目として面白おかしく観たのだったが(笑)。
 後年、映画監督になってから観直すと以上の様に大きく違っているのに気づき驚いた。それが永らく違って見えなかったのは一にも二にも植木等さんの強烈な楽天キャラのお陰だと思う。
改めて昭和の日本を元気にしてくれた植木等さんに感謝の意を表したい。

無責任女の登場⁉

 忘れてはいけないのが当時の東宝の看板女優の一人だった団令子演じる丸山英子。源等が中途採用された楽器会社明音楽器の先輩社員で50万円も貯蓄をしているシッカリ者(「百万長者」と云う言葉がまだ残っていた時代の50万円だから凄い⁉️)。団令子の小股が切れ上がったキャラで演じている現代的な働く女性で、百万円貯蓄があると云う等の嘘を直ぐに見破るが、似た者同士的な連帯を結ぶなど無責任男の相手役としてはピッタリ。しかも何と二人は物語の途中で結婚するのだ。共働きのこの結婚生活は、何から何まで割り勘❗️新婦は料理はするが手間賃の割り増しは貰うし新婚旅行は近郊の遊園地での世界一周で済ます、と云う正に団塊世代のニューファミリー真っ青のドライな結婚の先取り、否、もっと先まで進んでる凄さ⁉️
 団令子は、この前年に黒澤明監督作品『椿三十郎』に出演し、三年後には『赤ひげ』にも重要な役で出演、恩地日出夫監督作品『女体』では体当たりの役に挑戦するなど色々な役柄を演じた俳優だが、兎に角、元気で頭が良い現代的な悪女的要素も持った魅力的な俳優だった。
 呼ばれてもいない他人の結婚式にデートで出かけ、二人でただ食いしまくるなど正に「無責任男」に拮抗する「無責任女」の面目躍如。時代が時代だったら団令子主演でスピンオフしても良いようなキャラなのだ。
 以後の『日本一の男シリーズ』にも出演したが、次第にヒロイン的な役は浜美枝に譲り、二度と「無責任女」的な役をやらなかったと記憶する。
とまれ、女性の描き方でもこの作品はアナーキーだったのだ。【この項、終了】
※(このテキストは何かを思い付いたらその都度、書き加えたりしますので亦、お立ち寄りください)


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