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寄稿 『追悼・今村昌平監督』 前篇 初出:映画藝術 417号

能書き:恩師である今村昌平監督が鬼籍に入られてから今年(2020年)の5月30日で丸14年に成ります。

下の文章は、『映画芸術』417号『追悼・今村昌平監督』に寄稿させて貰ったものです。原文は縦書きなので漢数字の侭にしてあります。

【note】を操作する練習も兼ねて前篇と後篇の二回に分けて投稿します。後篇も今日中には投稿したいと思いますが、先ずは前篇をお楽しみ下さい。

      『今村昌平 森安建雄 二人の恩師との永訣。』
                        映画監督 細野辰興
 今号の映画芸術に掲載されている今村昌平監督追悼座談会を行う二日前の九月二十三日、追い討ちをかけるような辛い事実を知らされた。長期に亘る重度の糖尿病と原因不明の腹水からくる痛みで杏林医大附属病院に入院していた今村プロの先輩監督・森安建雄さんが危篤状態に陥ったと、御家族から連絡を頂いたのだ。
その二月ほど前の七月上旬、荒井晴彦編集長から今村昌平監督追悼特集のことを相談された私は、今村監督についての森安さんへのインタビューを提案した。三者のスケジュールを調整し来週にも、と思っていた矢先の九月二日、森安さんは急に入院してしまい、祈るような気持ちで回復を待ちわびていたのだ。
何故、森安建雄と云う人にインタビューを? と訝しがる方も居るかも知れないが、森安さんは、知る人ぞ知る今村プロの名物助監督で、今村監督とは、梅に鶯、松に鶴、牡丹に唐獅子の譬えではないが、切っても切れない師弟愛で固く結ばれていたのだ。今村監督がどれだけ森安さんのことを可愛がっていたかは、「ええじゃないかエッセイ」(アシーネ出版)に「助監督ヤス君の奮闘」の一文を記していることでも瞭然だ。
インタビューには森安さんも乗り気だった。森安さんが今村監督を語ることは、森安さん自身を語ることにもなる筈だった。訊きたかった。今村昌平、森安建雄に関する色々なことを本当に訊いておきたかった。こんなことになるなら御家族の慮りを無視してでもインタビューを実行するべきだった、と荒井さんとも悔やんだが、誰もが回復すると思っていたのだから諦めるしかない。諦めるしかないのだが、私には諦め切れない理由があったのだ。
話は、二十六年前に遡る。
相米慎二監督の「セーラー服と機関銃」が完成して間もない頃だった。当時、私が独りで住んでいた久我山の襤褸アパートに朝の八時過ぎ今村監督から電話が入った。前年までの二年間、今村プロで「ええじゃないか」の末端スタッフとして働いていた私にとって今村監督からの朝駆け電話は特別なことではなかった。しかし、その時は違った。
「森安が戻って来ない。」
初めて耳にする今村監督の慌てた、焦ったような声だった。当時、今村監督は「楢山節考」の準備に入っており、サード助監督として就くことが決まっていた森安さんの相米組からの帰りを待ち侘びていたのだ。そう、森安さんは、私などと違い、今村プロ子飼いの正式な社員助監督だったのだ。
 事情を呑み込めない私に今村監督は畳み掛けた。
「連絡も取れない。家にも帰っていない。お前なら事情を知っている筈だ。『セーラー服と機関銃』の現場で何があった? 」
少しづつ事情が呑み込めてきたが、事情を知っているどころか青天の霹靂で、思わず、「森安さん、何処かで事故に遭って死んだのでは!?  」と思ったほどの衝撃だった。それほど、森安さんが今村プロに戻らないと云う行動は、考えもつかないことだったのだ。
 直ぐに今村プロに呼び出され、今村監督に詰問された。
「女だろう? 女が出来たに違いないッ。」
「セーラー服と機関銃」の準備中、今村監督の肝煎りで森安さんは、あるお嬢さんと御見合いをしていた。幾度か中学生のようなデートをしたと本人からも聞いていたが、そのお嬢さんにも連絡が途絶えていたのでその様な推測になったのかもしれない。
「否、森安さんに限って絶対に女と云うことはありませんッ。」
と妙に自信をもって答えてしまってから森安さんに失礼、と反省したが、女性に晩生だった森安さんには全く考えられない選択肢だったのだ。しかし、
「じゃあ、何だ? 」
と突っ込まれると勿論、返答のしようがなかった。本当に、じゃあ、何だったのか、私にも分らなかった。
「連絡があったら直ぐに教えてくれ。」
と云うことでアパートに戻り、二、三の心当たりに核心をぼかして電話したが消息が分る筈もなかった。
途方に暮れていると、その夜、森安さんから「悪いけど、泊めてくれる。」と電話があった。急ぎ久我山駅に迎えに行き、無精髭が伸び放題の憔悴し切った姿に唖然としながらも、ホッと胸を撫で下ろした。
今村監督に連絡しようか、どうしようか、悩みに悩み、苦しみに苦しんだが、結局、連絡できなかった。心ならずも、今村監督を裏切ってしまったのだ。勿論、今村監督が心配している様子も話し、理由も訊いたが、ちゃんとした答えは返ってこなかった。一週間ほど泊まっていた筈だが、海底に眠る傷ついたガメラのように横になっていた森安さんの姿しか覚えていない。核心には触れられず仕舞いだった。一体、失踪の理由は何だったのか?  (後篇に続きます。)

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