見出し画像

【パーキンソン病】発症と進行のリアル

何かがおかしい 2005~2007年頃

今年で78歳となる父。
初めに異変を感じたのはもう今から16、7年前
身体の動きがどうもぎこちなくなり、
ダンス講師をしていた父のお客さんたちの顔が、次第に曇っていく。
曖昧な言葉を残し去っていく常連客。
一体どうしたのか、家族には良くわからない。
ただモタモタとする父に苛立っていた。
それが病気などとは、思いつきもしなかった
考えてみれば当時、思い通りにならない体に、
一番苛立っていたのは父本人だっただろう。

きっかけは物損事故だった。
スーパーの駐車場で停車中の車にぶつけてしまったと父から連絡があり、
駆け付けた母が目にしたものは、
奇妙そうに父を見る相手側の目だった。
毎日傍にいる家族には分からなかった。
父の身体の震えや強張りは、
他人から見て明らかに正常でない状態になっていた。
母よりも10歳近く年上で、
経営者として長年家族や従業員を引っ張ってきた父が
「もう車の運転はやめる」と弱弱しく母に言った。
それは私にとって衝撃的なことだった。

初めての受診 2014年

事故を起こした頃から、父は家に籠りがちになった。
上手く動くことのできない自分を、他人に見られたくない。
家族は受診を勧めたが、頑なに拒否すること数年。
強制的に連れていかれた初めての受診は、
発症から7~9年ほど経った2014年頃のことだった。
医者は即座にパーキンソン病で間違いないだろうと言った。
早期に治療を開始すれば進行を遅らせることができるパーキンソン病を、
結果的に7~9年程も放置してきたのだった。

指定難病の認定を受け、
初めて要支援認定の認定を受けたのは2015年(要支援2)
難病認定されたことで、金銭的にも精神的にも家族は楽になった。
私は1日1食で給料の大半を仕送りする生活から逃れることができたし、
売りに出していた実家の一軒家もなんとか手元に残すことができた。
父の震えや足のすくみも、投薬によって多少改善された。
家の周りで倒れ、近所の人に担ぎ込まれることもあったが、
定期的に仕事にも出られるようになった。

転倒による脊髄破裂骨折 2019年

ところが、治療開始が遅かったこともあり、
病気は時間の経過と共に進行していく。
2019年、要介護4
家の中で転ぶことが多くなり、
2019年11月、ベッドからの転落により脊髄を破裂骨折する。
立つことはもちろん、座っていることもできない。
入院し手術を試みるが、体が弱り手術に耐えられないかもしれないと、
度重なる延期。
2020年2月になんとか手術に成功するものの、
せん妄が激しく、幻覚、虚言と共に暴れ回り、
ベッドに縛り付けられた状態
となる。
娘である私のことも認識できない。
携帯電話を使いたいと言って拘束を解いてもらえば、
110番をして訳の分からないことを話してしまう。
せん妄は過度なストレスによる一時的な混乱であり、認知症ではない。
その言葉信じ、私たち家族は歯を食いしばりながら耐えた。
しかし、追い打ちをかけるような新型コロナウイルスの流行。
面会の全面禁止。
正直、このまま終わってしまうかもしれないと思った。

本格的な自宅介護の始まり 2020年6月

帰宅病院からリハビリ施設へ移ってから、
母は施設の了承を得て日常的に手料理を差し入れするようになった。
それが功を奏したのか分からないが、
父は家族のことを再び認識し始めるようになった。
2020年6月、自立歩行が自宅介護の条件だったが、
せん妄の進行を危惧し、かなり無理やりに退院する。
約半年ぶりの帰宅。
この時点では、殆ど言葉を発することなく、
口もだらりと開けっ放しのことが多かった。
しかし自宅での生活に安心したのか、
次第に父は自分を取り戻していく。
ベッドから食卓やトイレまでは歩行可能。
動けるようになったり意思を取り戻したりすれば、
介護をする側にはまた別のストレスがかかる。
深夜まで眠ることを拒み、転倒し明け方に床でひっくり返っていたり、
食事や服薬、必要な外出を拒否することは日常。
まだせん妄が起こることもあり、
私たちの目を盗み110番をすることもあり目が離せない。
母は夜もほとんど寝ることなく父の世話をしていた。
退院当初から、訪問看護師や介護福祉士の方々には
施設への入所を提案されていた。
しかし、一度施設に入ってしまえば今度こそ最後。
父は自分を失ってしまうだろう。
父の唯一の趣味は、仕事で使用してきた膨大な数のCDを、
オーディオで流すこととなった。

ジスキネジアとの闘い 2023年

2023年1月頃、父が暴れて仕方ないと、母が言い始めた。
言うことも聞かなくて困る、と。
いつものことじゃないか、と聞き流していた。
2月のある日、用のある母に代わって父の世話をしに行った。
しかしそこで私が見たものは、
椅子に座っていることもできずに床に転げ落ち、
全身をエビのようにピキ、ピキ、と激しく左右に振る父の姿だった。
いわゆる「ジスキネジア」(不随意運動)である。
自らの意思とは関係なく、体が動いてしまう。
動きを止めようにも止めることができず、
身体は熱を持ち、身体のあらゆる場所を床や壁へぶつけ、
唸ることすらもできずに私を見て助けを求めていた。
苦しそうで見ていられなかった。
知識のない私は救急車を呼ぶことも検討した。
ちょうどやってきた介護福祉士の方と相談し、
かかりつけの訪問看護師と相談した上で病院に連絡。
しかし、今すぐに動きを止める方法はない、という返答だった。
ジスキネジアはパーキンソン病治療薬の
長期服薬による副作用と言われている。

段階を踏みながら薬を減らしていくことで
ジスキネジアを多少抑えることは可能だが、
その分本来の病状は悪化し、自ら身体を動かすこともできなくなる

治療の限界

きっと今、その段階に来ているのだろう。
今の父はトイレに行こうと思っても、間に合わないことが多い。
午前中は体が動かず、ベッドから起き上がることができない日もある。
唯一の趣味だったオーディオいじりはできなくなった。
嚥下にも障害が出始め、通常炊きの白米では飲み込むのが難しい。
発症から16~7年。
これがパーキンソン病の、リアルである。

*毎日介護*
大切な家族と過ごす時間を、もっと明るく楽しく!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?