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出会って3秒で帰られたワケ。

 新宿紀伊国屋書店で女の子と待ち合わせる。まわりにバレないようにアプリをひらくと「もうすぐでつきます」「ノースリーブのシャツです」とメッセージが届いていた。僕は「ゆっくりで大丈夫です」と返し、プロフィールをタップして、20代後半でインテリアと猫とフェスが好きな子だと暗記する。

 交差点が青になる。雑踏の中から女の子が遅刻を詫びるような顔をして、駆け寄ってくるのが見えた。僕も軽く会釈して歩み寄る。しかし、彼女は僕の顔がはっきり見えるや「あっ…」みたいな顔をして口に手をやり、立ち止まったかと思えば、美しいUターンをかまして交差点の雑踏へと逃げていった。

 僕は何が起こったのかわからず、ただただ呆然としていた。それでもきっと何か勘違いしているのだと思い、アプリをひらいた。「どうしました?」と送る。すると女の子は「ごめんなさい」とメッセージを送ってきた。それから「私たち会ったことありますよ」と。

「え!? すみません、僕ぜんぜん覚えてなくて」

「5年くらい前だったと思います」

「お名前聞いてもいいですか」

「まりです」

 名前を聞いても、まったく思い出せなかった。5年も前だった。僕はもやもやしていた。彼女は会った瞬間、見てはいけないものを見てしまったかのような顔をして逃げていった。5年前、僕は彼女に何をしたのだろうか? 得体の知れない罪悪感が僕にメッセージを打ち込ませる。

「あの……せっかくなので、ごはんだけでもいかがですか? もしまりさんが嫌じゃなければ」

 すぐに返信は届いた。

「ごめんなさい、帰りますね」


 出会って3秒でなぜ彼女は帰ったのか。それはわからない。ただ、確かに言えるのは、僕は彼女のことを忘れていて、彼女の方は僕を5年経っても一目でわかるくらいに覚えていたということだ。彼女のことを思い出さなければいけないと思い、僕は駅へと向かいながらLINEで彼女の名前を探した。


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 まりという名前の女の子はLINEで10人くらい出てくる。ネイリストで猫顔でスタイル抜群のまりちゃん。僕より年上で出会ったその日にホテルに行って付き合って沼られて即ふったまりちゃん。現在進行形で体の関係を持っている大学院生のまりちゃん。

 そして、紀伊国屋書店で待ち合わせて3秒で帰られてしまったまりちゃんも、その中にいた。5年前、本当にちょうど5年前に、僕らは同じアプリで知り合っていた。LINEをスクロールして時系列に沿って会話を眺めていると、僕が彼女にしでかしたことが次々と走馬灯のように思い出された。


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 5年前、僕は仕事がうまくいかず、せっかく掴んだ夢なのに自分の実力の無さが原因で挫折しかけていた。遊ぶ時間もないはずなのに大学の同期と飲みに行き、ラウンジで女の子を口説いたりした。ゲームもギャンブルもせず、僕は女遊びで時間と心の穴を埋めていた。

 まりちゃんとはそんなときにアプリで出会った。家の最寄りの駅で待ち合わせて行きつけの焼鳥屋に行った。色白で、口元を押さえて笑うような上品な子で、女子高出身だった。大学は共学だったらしいけれど、一度も男と付き合ったことはないといった。

 彼女も仕事のことで悩んでいて、就職したばかりだが転職を考えていた。僕はその仕事の悩みをいかにも先輩らしく聞いてあげたが、僕自身うまくいってなかったし、誰かに話を聞いてほしかった。ただ、こうして話を聞いた先で彼女を部屋に持ち帰れるなら何度だって「辛いね」「大変だね」と言えた。


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 部屋を真っ暗にしてキスの先のことをしようとしたら、まりちゃんが急に僕に強く抱きついた。それから「もう少し待ってほしい」と言われた。声も緊張してるみたいに震えていた。「どうして?」と僕が聞くと、「いま男の人信じられなくて」とまりちゃんは言った。

「実は細貝くんの前にアプリで会った人のこと、本気で好きになっちゃって、付き合えると思ってたのに連絡取れなくなった……。そういう目的だったんだって思ったらけっこう辛くて」

「辛いね」

「細貝くんとも今しちゃったら、そういうことするだけの関係になって、捨てられるのが怖い」

「俺はそんなことしないよ」

「わかんないじゃん」

「……居酒屋で思ったんだよね。あ、この子好きかもって。そういうのってすぐわからない? 友達としては見れないな、恋人とかそっちの感じだなって」

 あのころ、僕は思ってないことを平気で言えた。

「だから信じて?」

 そうして、まりちゃんの背中に手を回し、下着のホックをキャミソールの上から外した。ベッドに押し倒し、キスをしながらブラの位置をずらし、キャミ越しに彼女の胸に触れる。指先で焦らし、たまに先に触れ、そのたびにまりちゃんは小さく声を上げた。

 すべてが終わって、まりちゃんと裸でベッドの上に寝転んだ。まりちゃんの首もとの匂いをかぐと焼鳥屋の炭の匂いがして笑った。怒った彼女が僕のうなじの匂いをかぐ。僕はまりちゃんの首を舐める。少しだけしょっぱくて、また興奮してしまいそうになる。


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 まりちゃんとは何度か会ううちに「付き合いたい」とそれとなく迫られた。そのたびにそれとなく交わしつつ体を求めた。生理のときも。仕事で疲れてるときも。どんなときも押しに弱かった。付き合うことはできないけれど、ベッドの上では「好き」と言った。

 LINEで満月の写真が送られてきたことがあった。僕はそれを保存し、別の遊びの女の子に自分で撮ったみたいに送ったりもした。まりちゃんと待ち合わせがあるのに、ご無沙汰の女の子からLINEが来て、そっちの子と会うためにまりちゃんに「会えなくなった」とメッセージを送ったこともある。

 そんなふうにまりちゃんの心と体を弄んでしまった僕は、あるとき彼女にLINEを見られる。自分のほかにも似たようなポジションの子がたくさんいることを知り、まりちゃんは僕がシャワーを浴びている間に静かに部屋を出て行った。


 ただ、それが彼女との終わりではなかった。僕は最後に彼女と電話をしている。電話は僕の方からかけたのに、喋っていたのはほとんど向こうだった。まりちゃんは僕に対してずっと我慢していたことをすべてぶつけた。バックでするときにお尻を叩くのも実は嫌だったらしい。

「私、たぶん細貝くんのこと好きじゃなかったと思う」

 強がりだと思った。

「仕事がうまくいかなくて、ずっと転職考えてて、逃げてただけだから。これからは自分に向き合います。細貝くんといても、そのときは幸せだけど、会えないときすごく辛くて。……そんなの、好き、じゃないですよ」

「どういうこと?」

「あなたにはわからないと思うよ、ばーか!!」

 そう言って電話を切られたのが衝撃的だった。


 思えば、紀伊国屋書店で再会したときも、電話を切られたときも、僕は立ち尽くしていた。

 今だからこそわかる。僕の方こそ彼女に逃げていたと。仕事や目の前の課題から逃げ、ちょうど自分と同じく傷ついていた彼女の弱みにつけ込み、都合よく弄んだ。彼女に求められることで自分の輪郭を保っていた。

 僕はもうあのころの自分じゃない。当たり前に成長し、自分に自信を持っているし、あのころみたいな卑怯者じゃない。嘘もつかないし、思ったことしか言わない。女の子は好きだし、クズなのかもしれないけど。

 謝りたかったけれど、帰りの山手線でアプリをひらいたら、彼女とのメッセージがすべて消えていた。せめてこのnoteが彼女の目に届いたらいいな、と思って書いた。

いつもありがとうございます。