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漫才の台本を書き始めた、平凡なきっかけ

今年一月から、noteに「漫才台本」と称し、登場人物二人の、短い会話劇を投稿するようになりました。

生まれて初めて「漫才台本」を書いたのが昨年の十二月、以来誰に頼まれたわけでもなく、自分の楽しみで続けてきましたが、二月余りで十本を立て続けに投稿したところで、少し息切れしてきました。

今回は、自身の備忘録をかねて、なぜ私が台本を書こうと思ったのか、どうしてそれをnoteに投稿するようになったのか、その理由について、少し書いてみたいと思います。

きっかけは、塙宣之さんのYouTubeチャンネル「ナイツ塙の自由時間」でした。昨年の十二月、チャンネルに投稿されてきた漫才の台本を、塙さんが添削するという動画をたまたま拝見しました。

丁寧な添削がとても興味深く、過去に配信された漫才台本の添削動画をさかのぼって拝見するうち、まるで漫才台本の書き方講座を受講しているような気持になりました。

動画を繰り返し再生しては、重要だと思うポイントをメモし、自分なりの「面白い台本の書き方」を整理するうち、いわば講座の課題として、自分でも書いてみたいと思うようになりました。

そして出来上がったのが、七十代の女性コンビを想定した「スマホに買い替え」です。

とにもかくにも最後のオチまで書き終えた、その達成感だけで満足でした。その後も次々とアイデアが浮かび、途切れることなく「漫才の台本」らしきものを書き続けました。

そして、ある時我に返ったのです。わたしは何をやっているのか? 

子供の頃から、お笑いは好きでした。けれど、自分で演じた経験はもちろん、世間話のレベルですら、冗談で人を笑わせたことなど記憶にない自分が、誰に見せるわけでもない「漫才の台本」を書いている。ひどいときには何時間も、時が過ぎるのを忘れて夢中で書いているのです。心配になりました。自分自身に引く、という状態です。

noteに投稿するようになったのは、外に向かってオープンにすれば、世間にライトな趣味として受け入れられ、「大丈夫なのか? わたし」という不安が薄れるのではないかと考えたからでした。

事実とはいえ、経緯をこうして文章にしてみると、どうにも危うい気がしてきます。果たして「外に向かってオープンにする」ことは正しかったでしょうか? 

答えはわかりません。ただ五十代半ばになって、新しい趣味が見つけられたことは、どうであれラッキーだったと確信しています。

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