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【コラボ企画】ひめたるもの【協力・三針エリ】



 そこは思いを紡ぐ場所。
 願いを望み、世界を繋ぐ異彩の仕立て屋。
 同じものはひとつもなく。
 違う存在モノもひとりもいない。
 だから届く依頼も当然、一通りのものばかりではないのでした。

『三針エリ様』
 それは先ほど、玄関先のポストから回収してきた手紙。
 そしてここはバーチャルファッションデザイナー・三針エリのデザイン事務所。兼自宅。
 天井も床も壁も、壁にかけた大小も形状も様々な額縁も、全てモノトーンでまとめたモダンかつアーティスティックな空間。ではあるものの、仕事柄どうしても物が多くなってしまって、スマートと呼ぶには今ひとつかも知れません。
 ともかくここは仕事場であり、そこにいる私は当然ファッションデザイナーであり、要するにこの手紙もまあ、それに準ずる内容であるはずです。 まだ起床から幾許も経っていないブランチの時間。
 デスクに座り、毎朝の日課である紙パックの野菜ジュースにストローを刺し、口をつける。さて、とりあえず目を通してみましょうか。
 そんな風に、思うともなく思いながら読み始めます。
 するとどうでしょう。
 一行目。口がぽかんと開き、ストローから離れる。
 二行目。野菜ジュースをデスクに置いて、深呼吸して居住まいを正す。
 そして三行目。
 ああ、どうしましょうねこれ。
 心の準備は整えたはずだったのに、結局私は頭を抱えてしまいました。
 そんな手紙の出だしはこうです。

『アイア王国 翅王しおうネル・アイアに代わりお手紙を差し上げます。
 私はアイア王国で宰相を務めているコーナと申します。
 エリ様はあらゆる世界を股にかけた活動をされていて、その世界に応じたお洋服をお仕立てするプロであるとお伺いしています。つきましては——』

 いやいやいやいや。
 誰から何をどうお伺いしたのかは知りませんが、とんだ勘違いをされているのではないでしょうか。しかも国?宰相?
 確かにある意味世界を股にかけているとは言えるかも知れませんが、それはこの世界に自分の事務所以外何もないから結果的にそうなっているというだけで、なんかこう、ちょっと違う。そういう感じではないです。
 とは言え無碍にもできませんよね。
 詳しいお話は王城で、お茶とお菓子でも交えながら、なんて書いてありますが、世界を越える郵便は届くまでに時間がかかるものです。私のように異世界翻訳サービスを介しているのなら尚更。
 もしかしたら先方は今も、いつでも私を出迎えられるようにと首を長くして待っているかもしれません。出発は早ければ早いほどいいでしょう。
 野菜ジュースのパックを潰して捨て、玄関横のクローゼットを勢いよく開く。
 最初は無難なスーツを着ていくことが多い私ですが、今回のお相手はなんと王族。
 失礼のないようにとは思うものの、ドレスコードなんて世界によって違いすぎるので正直気にしてはいられません。
 仮に何か粗相があったとしても、「こちらではこれが礼儀なので」で全て誤魔化せることでしょう。グローバル万歳。なんて思いながらネイビーのパンツドレスを選び、ささっと身なりを整え準備完了。
 いざ、アイア王国へ。できれば王城のなるべく近くへ。
 祈りを込めて玄関のドアノブを握り、回す。
 その扉は異世界へと続く架け橋であり、物語の始まりであり、また私の気持ちを羅針とする帆船でもありました。
 なんて、もったいぶってしまいましたが要するにただの外出。私にとっては日常の一部でしかありません。なので別に眩い光に包まれるとか、いい感じのワープゾーンに入るとかそんなことはなく、普通に開けて、出て、閉めるだけ。
 そこは森の中でした。
 つるりとした象牙色の木々はどれも小指のごとき細さで、いずれも針のように真っ直ぐと空へ伸びていて、雲すら突き抜けていると言われても信じてしまいそうなほどでしたが、それでも多分森の中でした。
 何にせよ、私はあらゆる世界を股にかける(と思われている)ファッションデザイナー。その世界特有の景色程度でいちいち戸惑ったりはしません。「ここはこんな感じなんだな、綺麗だな」程度のものです。
「お待ちしておりました」
 なので、その声の方がよっぽど驚きでした。
 実はあの手紙には手紙だけが入っていたわけではなく、いわゆる一つの符牒として銀の翅も添えられていました。その翅と同じものを持っているのが、手紙の差出人である国王の使い・宰相コーナその人であり、王城への送迎も直接務めるとのこと。
 流麗な筆致と名前からなんとなく女性を想像していましたが、彼は人間で言うところの壮年男性のような見た目であり、エルフのように尖った耳と高い鼻、そして符牒と同じ色の髪と翼を「持って」いました。
 そういうことか、なんてちょっと感心してしまいました。
「こちらへどうぞ、姫様がお待ちです」
 コーナさんとともに乗り込んだのは、あの木々と同じ象牙色の乗り物でした。観覧車のゴンドラ部分を一個ちぎって持ってきたようなちょっと愉快な形状で、馬などが引いているわけでもないのにひとりでに浮かび空を泳いでいきます。
 王城までは少々時間がかかるそうなので、私は窓のように丸くくり抜かれただけの穴から緩い風を感じつつ、手紙に記されていた内容を頭の中で整理することにしました。
 この世界に暮らす彼らは「ハビト」と呼ばれていて、コーナさんのような耳と鼻、壮麗な顔立ちが特徴の種族です。でも一番の特徴はその翼であり、ハビトによって色も形も量も透明感もまるで違うんだそうです。親子ですら違うことも多いそれは、指紋や身分証のように扱われることもあるとかないとか。
 森を抜けて集落に入ると多くのハビトが確認できましたが、確かにその組み合わせは無限にあるように感じられます。
 一見すると同じような色でも鳥と蝶のような違いがあったり、そもそも単色ではなかったり、いっそ透明であったりと本当に様々でした。
 でも手紙によると、今回の仕事相手であるお姫様は——
「彼らは翅のない者をいぶかしむ習性がありますが、貴女の姿形を見れば異世界の方であることはすぐに分かります。驚きはあれども追い立てるようなことはしないでしょう」
 確かに私は耳も尖っていないし、身につけている服や装飾もまるで違っています。どうやらこちらの世界では、庶民が身につける布の種類はさほど多くなく、ボタンや髪飾りなどは全て木や色石を加工したものでした。細かな刺繍や金属の装飾は、上流階級にのみ許される贅沢品と思われます。
「おや、私の顔に何かついていますかな」
「いいえ、なんでも」
 細かい刺繍を施された首元のスカーフと、どう見ても一点ものな銀のブローチから目を逸らしつつ、私はそう言って曖昧に笑いました。


 王族の敷地は普通に町一個分くらいあるそうで、上空からでも全容が伺えないほどの広さでした。
 中に入ることになるのだろうかと緊張しましたが、さすがに一介の仕立て屋にそこまではさせないようで、敷地の中ではだいぶ手前にあたるお客様用の庭園に通されます。ちなみに国王がおわす宮までは、さっきの乗り物でさらに十五分ほどかかるらしいです。すごい。
 庭園には季節の花が咲き誇り、奥には真っ白なテーブルと椅子が見えました。
 椅子の一つには既に女性が座っており、近くには給仕も控えているようです。
 どこぞのレディにでもなったかのように椅子を引かれ、座るよう促されましたが、私はここで先に、付け焼き刃の地球式カーテシーを披露しました。
 だってコーナさんなど比ではないほどに飾り立てられたこの方こそ、手紙に書かれていたお姫様に違いありません。
「ハンナ・アイア殿下にご挨拶申し上げます」
 ハンナ姫はずっと俯いていた顔をこちらに向けました。やはり事前に聞いていた通りの姿をしています。長くまっすぐな金の髪と、濡れた若草色の細い瞳。尖った耳と高い鼻。今日は瞳に合わせた色彩のアフタヌーンドレスに、大きな飾りとリボンがついた外出用の帽子を身につけていました。生粋のお姫様らしく立ち居振る舞いも淑女然としていて、身だしなみには一分の隙もないように見えます。
 ただ、翼だけがありませんでした。
 ハンナ姫はこれまでメイド以外の誰とも話したことがないらしく、雀のような声でただ「こんにちは」とだけ答えます。
 なぜ宰相が直々に私を出迎え、この場に同席までするのかがようやく分かりました。
 そうでなければ、居心地が悪すぎてすぐに帰っていたかもしれません。
 案の定喋るのはほぼ宰相だけでした。姫はずっと俯いているし、私も私で「なるほど」とか「そうなんですね」くらいしか言いませんでした。
 長いのでまとめると、ハンナ姫は生まれつき翅も翼も生えておらず、そんな特異体質のハビトは王国内で「翅なし」と呼ばれていて、強い差別の対象となっているんだそうです。
 一国の姫たる者が「翅なし」だなんて、なんと嘆かわしい。これでは王族の権威に関わる。ゆえにこれまでは奥の宮で隠すように閉じ込めて育てていたが、成人を迎えた王族は必ず民の前で「お披露目」をする必要がある。だからどうかそれまでに、この事実を隠し切るために、美しい偽翼をあしらったドレスを仕立ててほしい。それが今回の依頼の全容でした。
 率直に言うと、見ていられませんでした。
 姫はもう青ざめるを通り越して真っ白で、微かに震えていました。嘆かわしいほどの差別を、この場で一番滲ませていたのは、どう見ても宰相でした。
 薄桃色の小さな天使の翼を持つ給仕も、何も言わないなりに同情的な顔をしています。きっと近くで長く世話をしてきた方なのでしょう。
 さてどうしたものか。これはこれで帰りたくなってきます。
「ご事情は分かりました」
 でもこんな風に国のトップシークレットを聞かされた時点で、しがない小市民はもう頷くしかありませんでした。
「私にお任せください」

 王宮のお茶とお菓子と聞いてそれなりに楽しみにしていたのに、ほとんど味の分からないひとときでした。今度はハンナ姫のドレスルームに通され、二人きりで採寸を行うことに。
 姫は基本的にされるがまま言われるがままだったので、割とスムーズに進みました。
 手紙を受け取った段階では、お姫様=わがままで注文が多いみたいなイメージを持っていたのもあって、薄暗い部屋で粛々と行われるその作業はいっそ不気味ですらありました。人形の服でも作っているような気分。
 好きな色を聞いても「お披露目では白い服を着るのが慣例です」としか答えず、デザインも「場に相応しいものであれば」と言って全面的にお任せ。ならば装飾はとカタログを見せても、やはり反応が薄い。心の底からなんでも良さそうだったので、全部こちらで選ぶことにしました。手間が省けるのはいいのですが、なんかこう、うん。
「あなたには翅がないんですね」
「ええ、私どもはそれが普通ですから」
 いつどこを向いても翅だの翼だのが目に入るからか、人間である私しかいないこの状況は彼女にとっていくらかの安らぎになっているように見えました。
「いいな」
「わたしもそちらに行けたらいいのに」
 羽ばたきのように小さな声。
 気持ちはよく分かりますが、ここは聞かなかったことにしておきましょう。
 残念ながら私は王子様ではありません。一国まるまる敵に回してまで、彼女を連れ出すことなんてできやしないのですから。
「終わりましたよ」
 ただ採寸が済んだだけなのに、姫はこの世の終わりみたいな顔をしました。
 苦い罪悪感が胸を襲いましたが、私にできるのはそこまででした。


 翌日からは新規の依頼受付を中止して、制作の準備に入ります。
 ワケありとはいえ国が相手のお仕事、とてもじゃないけど片手間というわけにもいきません。集中して取り組むに越したことはないでしょう。
 けれども私の専門はあくまで服と装飾なので、リアルな偽翼となるとだいぶ難しいのも事実。ハリボテならともかく、お披露目では実際に飛び回ったりするそうなので飛行機能は必須でした。
 これは今日も出かける必要がありそうです。というわけでまた玄関横のクローゼットから、今回はクラシカルなブラウスと皮のベスト、硬めのショートパンツをチョイス。
 そして前金も兼ねて用意してもらった潤沢な予算を皮袋にざざーっと入れ、これまた皮のブーツを履きます。
 つまりそういう感じの世界に行くということです。
 技師にはアテがありました。前にも一度動く装飾を発注したことがあったのです。
 行ったことがあるお店なので、イメージも容易いですね。
 いつものように玄関の扉を開くと、すぐに知ってる通りに出ることができました。ワープごとき大した技術コトでもない世界なので、人通りが多くても注目されることはありません。
 遠くを見やると、相も変わらず巨大な歯車が回っていました。ここは何もかもが機械仕掛けの世界で、名を「リーヴ」といいます。
 非常に高度な技術を持っている反面、その代償として星は数多の工場から上る分厚い煙に覆われ、月も太陽も見えません。だからあんなに大きな歯車を作り、人工の太陽を巡らせることで昼と夜を維持しているのだそうです。
 すごいことではあるのでしょうが、到底住む気にはなれませんね。
 呼吸をなるべく控えつつ、さっさと目当てのお店に入ると見覚えのある技師さんが出迎えてくれました。まあ見覚えも何も、全身を作業着や手袋、長靴、フルフェイスのマスクなどで覆っているので肌は一切見えないのですが。でもこんな人はこの世界にもそうそういないし、向こうも私を覚えているような態度なので間違いないはず。私は早速資料を取り出し事情を説明しました。
 ここはおおよそ使い道が理解できない妙なカラクリばかり売ってる変わったお店ですが、オーダーメイドも一応受け付けているのです。あと変わったものが大好きなので「異世界からの依頼です」とか言うといたく喜んでノリノリで作ってくれます。場所によっては「なんだこいつ」みたいな顔をされることもあるので、正直頼みやすいです。なんなら今回もすごいテンションで引き受けてくれたし、楽しそうだからという理由で貼り付ける羽の調達も買って出てくれました。「サービスしちゃう」とのことだったので、骨組み代だけお支払いして契約書を交わします。
 顔が一切見えないのもあって、私は遊園地で着ぐるみから風船でももらったような気分でお店を後にしました。
 住民はもう慣れているのでしょうが、私は長居すると普通にのどを傷めるので即帰宅。いわゆるスチームパンク的な、見ててわくわくする世界なので、ゆっくり見て回りたい気持ちもあるにはあるのですが。それはまたの機会ということで。
 

 次の日からは、二階の居住スペースと一階の作業スペースをただ行き来するだけの日々が続きました。
 本来であれば、一度デザイン案を見せて選んでもらってから制作に入るものではあるのですが、コーナさんからは省略して良いと言われたし、実際ハンナ姫に見せたとしても全部「何でもいい」で終わりそうなので、お言葉に甘えてすぐに制作を始めることにしたのです。
 そこからはもう、大忙しでした。
 案を連ねてラフ画を描き、生地を選んで糸を注文。
 リボンのようにメジャーが舞い、ミシンを踏んでエリの仮縫い。
 悪くはない。いやまだ足りない。
 あれやこれやともつれながらも、それでも歌うように制作は進んでいきます。
 私が一番私な時間。脇目もふらず向き合う時間。
 ここは思いを紡ぐ場所。
 願いに臨み、世界すら越える。
 見えるけど聞こえない。
 一人でも孤独じゃない。
 私が誰よりも最強になれる瞬間が、そこにはありました。


 よく寝て後日。
 ドレスを持ち運ぶために最適化された大きなバッグを肩にかけ、これまた大きな皮のケースを両手でやっと抱えた私は、再びあの牙の森に立って迎えを待っていました。本当は王宮の近くに出たかったのですが、それでは目立つからということでここを指定されています。
 そういえばこれ、国家機密でしたね。一応。
 なんてぼんやり思っていると、いくらも時間が経たないうちに、黒塗りの箱のような乗り物がこれまたふわふわと空を泳いでこちらに向かってきました。最初に乗せてもらったような、ファンタジックな木製ゴンドラとはまた違っていて、こちらは現実的な無機質。
 不適切な例えなのは百も承知で、それでも例えるなら、まるで棺桶が飛んできたかのような重苦しさがそれにはありました。
「お待たせしました」
 銀の翅。やはり迎えは宰相のコーナさんでした。
 それにしても、毎度早すぎますよね。
 何時に行くとか言ってないのに、なんでこう毎回タイムリーなのでしょう。
 宰相というと忙しいイメージがありますが、そうでもないのでしょうか?
「貴女にはあまり実感がないのかも知れませんが」
 恭しく荷物を預かり、大きな黒い四角に載せながら、コーナさんは心を読んだように微笑みました。
「境界を越えるというのは、そう簡単なものではありません。貴女にとっては一瞬であっても、その揺らぎは事前に伝わっているものなのです」
 なるほどー。
 おそらく時間とか空間とか、なんかそういう難しい話になりそうです。ここは深く考えないでおきましょう。
 さて、荷物を載せたあたりが車のトランクとするなら、私が乗り込んだ辺りはさしずめ後部座席でしょうか。一番前にコーナさんが乗り込むと、また魔法のように箱が浮かびます。
「そう言えば、アイア王国のこういう乗り物って、どうやって浮かんでるんですか?」
「魔法ですね」


 王宮に着いた私は荷物をメイドさん達に預け、後はお部屋でのんびりと待たせていただくことにしました。
 つまりそれはどういうことかと言うと、今度こそ王宮クオリティのお茶とお菓子を穏やかな気持ちでいただけるということです。とはいえ異世界なので正確な名前までは分かりませんでしたが、なんかいい香りがする紅茶っぽい色のお茶と甘さ控えめな焼き菓子を数種類いただきました。姫はまだ試着中のようですが、これなら普通にいくらでも待てそうです。
 そんな風に思ってから、どのくらい経ったでしょうか。ちょうど三杯目のお茶をやんわりと断った辺りで、姫の支度が終わったようでした。
 立ち上がって礼を取り、姫を出迎えます。
 メイドさんが扉を開くと、控えめなヒールの音が二つ。
 顔を上げると、白い花の天使が、そこにはいました。
 そう思ってしまうくらい、よく似合っていました。
 彼女の細く美しいボディラインを、真っ白な薄絹が際立たせるようにぴったりと包み、背中には偽物の翼が取り付けられています。それは異世界《リーヴ》で高級食品とされている鳥の羽をふんだんに使用したもので、一見白く見えますが、太陽の下では虹色に輝き光を返すという不思議な代物です。
 私は自分(と技師さん)の仕事にそれなりに満足しつつ控えめに立っていましたが、それに比べると後から来た宰相さんの興奮は相当なものでした。手を叩いて喜び、これなら王族の名に恥じないと実にニコニコしていらっしゃいます。
 よほど気分が良くなったのか、コーナさんは「報酬とは別に何かお礼を用意したい」と言っていそいそと部屋を出ていきました。
 後には私と姫と、基本的に口を開かないメイドさんだけが残されます。
 また気まずい雰囲気になるのが嫌で俯いていると、意外なことに向こうから声をかけていただきました。
「これ、とても素敵です」
 どうやら服よりも翼の方がお気に召したようでした。緻密に編まれた細い金属の骨組みに羽を一枚一枚貼り付けたそれは、確かに美しいしとても軽そうです。
 複雑な気持ちではありましたが、とりあえず「恐縮です」と頭を下げておきました。
「みんな、こんな気持ちだったんですね」
「どこまでも飛んでいけそうだわ」
 そう言うと彼女はバルコニーに近づき、窓を開けました。姫の魔力に反応して、具合を確かめるように偽翼は一度だけ羽ばたきます。

「ありがとう」

 綺麗な笑顔でした。何もかもから解放されたような、そんな笑顔。
 それと同時に爽やかな風が吹き込んで、それだけ糊付けが甘かったと思われる羽が一本はらりと抜け落ちました。
 きっとこうなることを、ずっと前から分かっていたのでしょう。メイドさんは一瞬驚いたような顔をしたものの、すぐに寂しげに笑いました。
 これまでずっと息を潜めて、隠すべきものとして育てられた彼女にとって、王宮など大きな鳥籠でしかなかったのかも知れません。
 けれども私は知っています。ただ翼を手に入れただけでは、決して自由にはなれません。
 強く羽ばたく覚悟がなければ、それは身投げも同然。
「あの子」が転ぶのはどちらでしょうか。
 と、感動のシーンを見届けたところで、私のことも考えなくては。
 体面だの権威だのをいたく気にしていたコーナさんが戻ってきたら、姫が逃げだしたことに怒り狂うのは想像に難くありません。
「すみません、急用を思い出したのでここで失礼させていただきます」
 私は褒美をお断りする旨をメイドさんに伝えます。嘘ではありません、本当です。依頼を再開させたり、ああ、まずは部屋の掃除からでしょうか。ともかく忙しいことを思い出してしまったのです。決して、今しがた飛び立ったお姫様を引き留めなかったから逃げるのではありません。ええ、決して。

 それに、褒美ならもう充分いただきました。

「かしこまりました。お伝えしておきます」
 メイドさんも引き留めることなく、あくまで業務的な態度で見逃してくれるようです。
 さて、出ていく前に言わなければならないことがあるのですが、その相手はもうこの場にはいません。
 ですがメイドさんに言うのも違う気がしました。私は少し悩んだ末、開け放たれた窓に向かって一礼します。

「ご利用ありがとうございました」

 恭しく下げた頭の中に、あの笑顔が蘇ります。
 お客様に喜んでいただけたのであれば、私もそれが何より嬉しいのです。


 その後の話。
 宰相の怒りはやはり相当なものだったらしく、仕事の手紙に混じってコーナさんからの手紙も繰り返し届きました。
 どれも姫の行方を尋ねるものでしたが、本当に知らないので毎度丁寧に捨てています。というか、内容にバリエーションがなさすぎたため、最近はもう封を切ってすらいないのですが。
 手紙って、着信拒否とかできないのかな。
 まあ放っておけばそのうち来なくなるでしょう。気を取り直して、私はもう一つの手紙を手に取ります。
 差出人の名前は、ハンナ。
 はてどこかで聞いた名前ですが……なんて、誰もいないのに内心ですっとぼけながら、封を切って読んでいきます。なるほどなるほど。
 彼女は今、生まれを隠してとある集落に身を寄せているようです。
「羽なし」と呼ばれるのはどうやら彼女だけではなかったようで、同じように国を追われた者達が寄り集まって生活している場所もあったのだとか。
 私は思わず笑ってしまいました。
 あんな華美な衣装とワンオフの偽翼で現れておいて、本当に身分を隠せたつもりでいるのでしょうか。そういったところはいかにも世間知らずのお姫様らしいですが。
 けれども文字は楽しそうに踊っているし、そもそもこうして外部に手紙を送れていることから考えても、良くしてもらっているのは間違いないでしょう。
『お礼に贈り物をさせてください』
 そういえば、手紙の他にも何か入っていますね。
 縦長の封筒を軽く傾けると、するっと細いものが出てきました。
 それは羽の形をしていました。下が鋭利にカットされ、インクを付けられるようになっています。
『村長さんにお願いして、買ってもらいました』
『鳥型ハビトの羽は美しく頑丈で、羽ペンとして人気なんだそうです』
『羽を持たないあなたにも、今よりもっと遠い高みまで、羽ばたく時が来ますように』
 試しにインク瓶を持ってきて、ちょんちょんと付けてみます。
 確かに抜群の書き心地でした。
 風のように軽やかに走るそれは、あの時何の迷いもなく自由へと飛び立った彼女を思い起こさせます。
 私はひとつ微笑んで、今度は封筒と便箋を出してきました。
 筆ならしついでに、お礼の手紙でもしたためてみたくなったのです。
 ひとりの世界。空の下。さらさらと擦れる紙の音。
 宛名を書いて、封蝋を押します。敬称はきっといらないでしょう。
 飾り物のお姫様なんて、もうどこにもいないのですから。 


 終

 

 

 
 

 

 

 

 
 
 
 

 
 
 
 

 

 
 
 

 
 

 

 

 

 

 
 

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