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「知らない」ことの恐ろしさ。

30代を過ぎて、ようやく知ったことというのが最近増えてきた。
普通の人にとっては常識のようなことも知らなかった自分に、驚きと悲しみを感じざるをえない。
知ることができたのだから、未来は良くなるのだが、もっと早く知っていれば。理解していれば。そんなふうに思うことばかりだ。

今でも自分は時間や約束、ルールを守るという意識は低いと思う。
昔よりは随分とマシになったが、それらを教えてくれるような人と出会えるコミュニケーションも取れていなかったことが悲しい。
本を読み、ネットで検索し、どうにかこうにか少しずつ身に着けていくことでそれがダメだということに気づくことができた。

「他人からの信頼を失う」ことが、自分にとってどんな不利益があるのかわからなかった。
元来気にしない性格でもあるのだろうが、気づいた頃には自分の周りには誰もいなかった。

「コミュニケーション下手」「他人と仲良くできない」と親に言われながら育ったので、そうだと思っていたし、仲良くできないなら、不要だと思っていた。が、本来自分は人間のことが結構好きらしい。
困っている人がいたら自分のできる範囲で力になりたいし、道端で困っている人がいたら自分から声をかけるタイプでもある。友達はたくさんほしいし、優しくしたい。
しかしながら、長年培ってきたニセモノが、そんな自分の純粋な気持ちをかき消してしまうのだ。

私の頭の中はいつも2つの面がせめぎ合っている。
「本当はこうしたい」と言う自分と、「どうせできない」と言う自分だ。
それが自然なくらい否定されて生きてきたら、「どうせできない」を打ち消すのは非常に大変なのだ。
大抵の人は、ここで他人に手助けしてもらう。
だが私は人付き合いにおいても「どうせできない」が発動してしまって、ぜんぜんうまくいかないのだ。
今日も一人、悶々と自問自答をする。

これまでの数年間、ひたすらに自分と向き合ったり、多くのことを知ろうとたくさんの情報を探した。
自分の殻に閉じ込もる時間は少しずつ減ってきて、こうやってnoteにとりとめのないことを書く余裕もできてきた。できない自分から脱するには、あとほんの少しだと思う。

「自分が欲しい物を買ってもいい」なんて、当然のことすらよくわからなかった。とにかく「良い仕事」をしなければいけなくて、すこしでもまともな会社に入って仕事をすることだけが自分のやらなければいけないことだと思っていた。それ以外にやらねばならないことも、やりたいこともなくて、「それをするために必要な最低限のもの」以外は興味がなかったのだ。今はそんな会社もやめて派遣社員なんだけれど、コツコツとスキルアップをしながら好きなように生きられている。
「自分には必要ない」と思っていたオーブンレンジを買ってみたら、お菓子作りや料理が楽しくて、QOLが上がった。
今更だと言いたくなる気持ちもあるが、自分の人生を生きることはいつからでも遅くはない。

来年からはもっと外に向けた活動を増やしていきたいな、と今はぼんやりと考えている。内向きな趣味ばかりを楽しんでいたが、来年からは外出を積極的にしていきたいし、色々な人に出会いたい。
大好きな趣味の一つだったロードバイクも再開できそうだ。
外に出る準備は少しずつ整っている。

「知らないこと」を知る機会は、外に出ればもっとたくさんあるだろう。
失敗もするだろうし、うまく行かなくて落ち込むこともこれまでどおりあると思う。最近になって「自分を受け入れない人もいる」ということをリアルに感じる機会が増えてきたのも、自分自身をしっかりと見つめて、現実を受け止められるようになってきたからだと思う。

人とは違う、少し変わった人間だから「普通になりたい」と強く願って、たくさんの勉強をしてきた。でも、今は「少し変な自分」のことも結構好きになってきているから、このまま「少し変な自分」を受け入れてくれる場所にたどり着けることを願いたい。

過去を思い出して、いなくなりたい!と思ってしまうことはあるけれど、去年に比べたら希死念慮を抱くことはほとんどなくなった。
これからしばらくは生きていけそうだ。

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