妹の放った言葉で愕然としたけど私が7ルールが好きな理由が浮き彫りになった話。
先日、妹とビデオ通話で話していたときのことだった。どういう流れだったか、忘れたけれど、高校生になった私の娘の進学の話になって、まだ本人が、どうするつもりなのか分からない。と答えたところ、妹が放った一言に、最近の私のモヤモヤの正体と、私がフジテレビの7ルールという番組がとても好きな理由に立体感がもたらされた。
妹が放った一言は
「まあ、女の子は大学じゃなくてもいいんじゃない?」
だった。
私と妹は年子で、二人とも現在40代。いわゆる団塊ジュニアだと思う。同じ両親から生まれ、「姉」と「妹」という分け隔てがあったことは否めないとはいえ、ほとんど同じ環境で育った。にも関わらず、妹の口から飛び出した言葉のファーストインパクトは頭をハンマーで殴られたくらい衝撃的なものであった。妹の頭の中にあるジェンダーバイアスを垣間見てしまったからだ。
そして、妹個人だけでなく、地元を一度も離れなかった田舎の女性の大半は令和でもそう考えるのがマジョリティーなのではないだろうかという疑惑に頭がクラクラした。
人はあたりまえだと受け入れていることをそれが自分にとっていかに理不尽で不利益で不当であってもなかなか否定することができない。
困ったことに女にはその理不尽や不利益や不当さをしなやかに乗り切ってしまえるパワーがあるのだ。受け入れる受け止めてしまう。その中からどうにかするという力。それを否定することも私にはできない。
でも、それに甘えている社会に関しては許すことができない。
きっと妹には「何をしたって無駄」という気持ちと「何もしなくたっていい」という気持ちがあるのかもしれないと思った。
衝撃的だった。
けれど、妹のこの発言からのセカンドインパクトは妹自身は自分の人生にまずまずの満足感を得ていて、幸せなんだなあということだった。だからきっと素直にでてきた言葉なのだと思う。妹が現在幸せだということは姉としては喜んでいいことだ。
人はなにごとも自分の人生になぞらえて考えがちだ。特に幸福に過ごしてきたことを誰かに否定される筋合いはないと考えるだろう。
そもそも勉強が嫌いだから大学にはいかないという選択をした妹は大学そのものにも否定的だし、自分の人生の経験から、ああ言ったのであって、そこに悪気も毒もない。
そう。悪気もない毒もない。
そういう感じのモヤモヤすることをよくツイッターなどで見かける。
私のなかでフェミニズムやフェミニストというものはジェンダーギャップやジェンダーバイアスをなくしていく活動や活動する人のことなのだけれど、私の思うフェミニズムとは違うなあ。と思うものがフェミニズムやフェミニストとして扱われていてモヤモヤすることが多いのだ。
これはフェミニストではなくてミサンドリー(男性嫌悪)なのでは?
とか、
それは確かに不快かもしれないけれど排除するのは行き過ぎなのでは?
とか、
あれは一周回ってむしろミソジニーなんじゃあないかな?
などなどだ。
困ったことに、いつもおおむね正しいこと言っている方でも時々「あれ?それはちょっとちがうかもしれない。うまく言えないけど」と言うことがあってモヤモヤする。
ものすごく、大炎上しているのを見かけたりすると、とても疲れてしまうこともある。
でも、こういうことが繰り返されることによって、色んなことがアップデートされていくのだろうとも思う。
だから、とことんモヤモヤして自分なりに答えを出していきたいと思う。
かつて誰かが主張したり、怒ったりしたから、今私が当然の顔をして享受していることもあるということを知っているし、私がこどもの頃は問題にならなかったようなことが今は問題になっているというのは、過去の自分へ励みと慰めになっている。
まっすぐにダメだと主張できる若い人を羨望と嫉妬がない交ぜになったような気持ちで見ることだってある。それは私にはできなかったことだからだ。
うまく言えない自分にやきもきするかもしれないけれど、せっかく大人になったのだから、自分もここぞと言うときは主張したり、怒ったりしていきたいものだなあと思う。
かつての田辺聖子先生だって、女性参政権不要論を唱えたときの石川達三氏にエッセイで小気味よく痛快にそして痛烈に反論している。
私もそうありたいと思う。
妹の投げたあの一言には
「女の子はとかそんなことないよー。本人の実力と希望するかどうかでしょー!」
とつるっと言ったところ、納得してくれた。
ど田舎出身の現在40代の私が子どもの頃、周りの身近な大人の女性はほとんど専業主婦か、パートタイムでお仕事をされているかだった。フルタイムで働く。というイメージが抱きにくかった。結婚しないで一人で生きていくというイメージも抱きにくかった。
そうなるとどうしても、結婚した上で働いていくというのが現在40代の私の現実味のあるイメージだった。
まだ20代半ばだった頃、祖母の葬儀で母が私と妹を自分の視線で自分の娘だと言った上で、その場にいた知人に
「この子たちまだ独身なのよ。だれかいい人ご存じないかしら?」
と言ったとき、私の頭の中では谷崎潤一郎の『細雪』とオースティンの『高慢と偏見』と童謡『ドナドナ』がぐるぐると高速回転していた。
今って21世紀じゃなかったっけ? と唖然としたものだ。
ちゃんと働いていて自立していても結婚していないというだけで、牛のように品評される対象でしかないのか……。と思った。しかも母に競りに出される私たち姉妹。理不尽すぎて怒りさえわかなかった。
理不尽すぎて怒りさえわかない状態から理不尽には怒ってもいい。みんなで怒ろう。というのが今なんじゃないかなと思う。
私は7ルールが大好きだ。
それはなぜか。と色々とつきつめて考えると、少女の頃に見たかった番組だからだ。
いろんな職業で夢や信念を持って働く女性の日常が見られることにつきると思う。
こういう番組が私の少女時代にあればよかったのにと思う。身近に感じられる未来がもっと沢山あって欲しかった。
私には娘と息子がいる。どちらにも幸せになって欲しいと思う。
男だから、女だから。
ということが娘の幸福にも息子の幸福にも関係ありませんように。
と心から願う。
3月8日は国際女性デー。
色んなことを考えたい日だ。でもシンプルに
私の妹の誕生日だ。
なんという偶然だろうと笑ってしまった。
妹よ。お誕生日おめでとう。あなたは今までずっと私の味方でいてくれたし、私もきっとそうだ。ずっとそうだと思うよ。意見が違ったって私はずっとあなたの味方でいるよ。
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