2階とは、小さな異界である

 タイトル通り、2階とは、小さな異界だと思う。

 実家は平屋だったから、2階へ続く階段というものに憧れた。

 1階から2階へと向かうときの、先の見えないワクワク感。それが日常でも味わえたら素敵だなぁ、と子供の頃思っていた。

 実家はとにかく狭かったから、もっと広いスペースに憧れたのかも……しれないが、もっと未知の世界という高揚感があった。

 祖母の家は2階があったのだが、いつも階段を登る瞬間トキメキを感じていた。この踊り場を曲がったら、異界へと通じているかもしれないというドキドキ感。魔女がいるかもしれない、鬼がいるかもしれない、見たこともないヘンテコな生き物がいるかもしれない。とにかく冒険が始まる予感に満ちていた。

 そういえば、本棚の影にも憧れた。本がぎっしり詰まったという、食器棚やタンスにはないワクワク心。本から抜け出した「誰か」がそこにいるかもしれない……そんな空想を楽しんでいた。

 2階へと続く廊下も、恐怖とともに想像を掻き立てるポイントだった。いつも真っ暗で闇に満ちている。祖母の家の2階は普段は使われていない。使うのは私たち家族が来たときの、客間に近い使われ方をされていた。だから、悪戯防止か、あまり夜は上がってはいけないとされていて、いつも両親とともに2階へ行っていた。

 そんな時、2階に忘れ物をしてしまい、ひとりで上がらなくてはならなくなった。小学生の時は両親がついていってくれたのだけれど、確か中学生くらいの頃だったから、ひとりで行けと言われたのかもしれない。

 廊下へと続くドアを開けると、そこには真っ暗の空間。10cm先も見通せない。特に恐ろしかったのは廊下の曲がり角だ。暗闇の中の角というのは、特に「なにかが出てくるかもしれない」感覚を研ぎ澄まさせる。今にも「どこか」に通じているんじゃないかという感覚を沸き立たせる。

 結局何も出てこず、無事に忘れ物は取りに行けたのだが、明るいリビングに帰ってきた後もドキドキしていた。異界に行ってしまうかもしれないという恐怖の空想と、普段入ってはいけないという場所に入ったという、禁忌にちょっとだけ似た高揚感。

 大人になった今は、そこは本当に何もないことを知っている。子供の頃に感じた、「なにか」を鮮明に空想しすぎて実体化させそうな感覚はない。ちょっとした禁忌も何もなく、子供の頃のように悪戯することもないから、昼も夜もごく普通に入ることができる。

 けれど今でも、2階のある家に憧れるのだ。すぐに行ける、コンパクトな異界のある家。

 それはとても素敵だと思う。

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