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つる座の探索2(魂の神殿である肉体を大事にしよう、エジプトのアマルナ時代)

探索対象:つる座(鶴座)

(夢の内容)

細い入り組んだ路地と坂道のある「漁村」(いま住んでいるところに似ている)にいる。わたしはそこで、「大家」さん(90代の老女)の家に「間借り」して住んでいる。

時期は「真夏」……異常に「暑い」日々が続き、わたしも大家さんも、かなりへたばっている。ある日、細い石段の坂道を下って大通りに出ると、町の人たちが10人程「バス停」のところにいる。「あら、あなたもお買い物?」と訊かれ、そろそろ買い出しに出ないと食糧がなくなってしまうことに気づく。「暑さ」で頭がまともに働いておらず、そのへんに「気が回って」なかった。

「皆と一緒にバスに乗って買い物にいこう」と思ったところにバスが来る。「ちょっと待っててください、財布とってきます」といって、石段を駆け上がろうとすると、「大家」さんが「車椅子」で坂道(石段とは違う迂回路)を降りてくる。どことなく「具合が悪そう」……

で、バス停にいる町の人たちが、「お母さん(と、大家さんは呼ばれている)を、しっかりみていてあげないとダメじゃない」という。「見栄や義務感でお世話するのはイヤだな…」と内心考えていると、大家さんの乗った車椅子が猛スピードで坂を下りはじめる。

「危ない!」と皆口々に叫び、わたしは驚いて大家さんに駆けよる。坂道を下ったあたりで車椅子はバーンと横転し、乗っていた大家さんは路上に投げ出されてしまう。抱き起すと、意識が「朦朧」としている。集まってきた町の人たちに、「タクシーで病院に運ぶのと、救急車を呼ぶのと、どちらにしたらいいでしょう?」と訊ねるが返答はなく、「あなたが、ちゃんと気をつけてあげないからこうなった。一緒に住んでいるのに、あなたは無責任だ!」と責められ、その言葉にショックを受ける。

大家さんは「熱中症」のようだ。「救急車」を呼ぶことに決め、スマホを取り出す。

起きたらひどく怠い、、、脱水を感じたので水分補給した。

しっかり水分をとっているつもりだが、年齢と共に生理機能は衰えてきている。さらに、病気(というか薬害)で筋肉量が著しく落ちた。筋肉量が減ると、脱水しやすくなるのだ、、、

ともあれ、睡眠中に熱中症になり、意識を失うひとの話は他人事ではない

↑ との観点から、夢を解釈してみた。

(夢の解釈)

*漁村:「地球3次元」
*大家さん:「肉体」(「魂-自己」の3次元における器)
*わたし:「サイキカル体
*間借り:今世における一時的な借り物としての「肉体」
*異常に暑い日々:いまの「3次元環境」
*かなりへたばっている:「肉体的ダメージ」を受けている
*町の人たちが10人程いるバス停:「ガイド」との待ち合わせ場所
*買い出しに出ないと食糧がなくなってしまう:「栄養不足」
*気が回ってない:「エーテル・バイタリティーの不足」
*車椅子に乗った具合の悪そうな大家さん:「ダメージ」を訴えにきた
*町の人たちに大家さんのお世話不足を責められる:ガイドの「警告」
*路上に投げ出されて昏倒する大家さん:何も対策せず「放置」しているとこうなる……ということ。
*町の人に無責任と責められる:返す言葉がございません、、、
*脱水症になった大家さん:まさにそういう状態だった、、、
*救急車を呼ぶ:ヤバイと感じたら迷わず「119番」へ!

栄養水分睡眠不足に気をつけたい σ(^_^;)アセアセ...

きのうの記事 で、「できる限りのことはやっておきたい」とか書いたくせに、肉体ケア不十分!と忠告されたのだと思う。それと、もうひとつ思い当たることが……

きのう、ご近所のお年寄りに「石垣の草を取って欲しい」と頼まれたのだが、いってみると、その家には若い娘さんがいた。「若くて元気な娘さんに頼まず、何故わたしが?」と疑問に感じたが、それくらいの奉仕やるべきと思ってやった。

気づいてないだけで、じつはたくさんのひとに助けられて生きている。誰かが助けてくれているから、生きていられる……その事実に感謝し、何らかの「お返し」をしてゆくのは当たり前ではなかろうか?

と、スッキリしたところで、おもむろにつる座恒星をチェック。

アルナイル(α星):2等星。本来は明るく、青白く輝く星だが、日本では地平線低くしか昇らない。太陽系からの距離は101光年。アルナイルAlnair)という固有名はアラビア語で「輝くもの」を意味する al-nayyir という言葉に由来する。元は「(魚の)尾の輝くもの」を意味する al-Nayyir min Dhanab al-ḥūt (al-Janūbiyy) であり、これは元々みなみのうお座の一部であったことに由来する。20世紀の中頃からケンタウルス座ζ星もこの名前で呼ばれるようになっていたが、2016年7月20日に国際天文学連合の恒星の命名に関するワーキンググループは、Alnair をつる座α星の固有名として正式に承認。

Tiaki(β星):2等星。同星座のα星と隣り合っている。太陽系からの距離は177光年。約2.1等級と、α星のアルナイルと比べて特に暗いわけではないが、知られた名称はなかった。2017年9月5日、国際天文学連合の恒星の命名に関するワーキンググループは、つる座β星の固有名として、Tiaki を正式に承認。

アルダナブ(γ星):3等星。太陽系からの距離は300光年。元々、クラウディオス・プトレマイオスはみなみのうお座の一部としていた。固有名のアルダナブ(Aldhanab)アラビア語で「尾」を意味する 。これはかつて、みなみのうお座の尾に当たる部分にあったことによる。2017年9月5日、国際天文学連合の恒星の命名に関するワーキンググループは、つる座γ星の固有名として、Aldhanab を正式に承認。古代中国では、敗臼一という名前で知られていた。

Wikipediaより、編集あり

つる座みなみのうお座セットで考えましょう~というのがここでもわかる。

さて、ここからはちょいと趣向を変え、きのう触れた過去世ダスカロスが生きていた頃のエジプト について書いてみたい。

アマルナ時代(新王国 第18王朝)の特徴は、唯一にして普遍的愛の神 アテン と、人間はそのから直接的に、かつ等しく恩寵を得ることができるという教えを説いたことにあるのではなかろうか?

アテンが描かれた壁画(画像ソース)

その教えは、ジョシュア・イマヌエル(イエス)が説いたものと同じものだ。彼は、「わたしも、あなたも、どちらも同じ神の子」といって人々を驚かせた。「それは、いったいどういう意味ですか?」と誰しも思った。

の恩寵の近くにいるひとの輝きは圧倒的だ……そのことを、アマルナにある境界碑も記している。

アマルナには多数の古代エジプトの考古遺跡がある。紀元前1353年ごろ、エジプト第18王朝後期のファラオ・アメンホテプ4世(アクエンアテン
)が新たな首都として建設したが、短期間で放棄された都市だった。古代エジプトではアケトアテン(Akhetaten)と呼ばれていた。アケトアテンとは「アテンの地平線」の意である。

ーーー(中略)ーーー

"Amarna" という地名は8世紀にリビア砂漠を去ってこのあたりのナイル川河岸に定住した遊牧民 Beni Amran に由来する。「テル・エル・アマルナ」とも呼ばれるが、"Tel" はアラビア語で「遺丘」を意味する。

ーーー(中略)ーーー

最古の日付が刻まれた境界碑 Boundary stelae K には、アクエンアテンの「治世5年目の8月13日 (Year 5, IV Peret, day 13)」とある(14個の境界碑の多くは侵食がひどく、碑文が読めない)。それがアクエンアテンによる都市建設の記録を保持している。碑文には、ファラオがこの地にアテンの神殿をいくつか建て、東の丘に自身と妻 ネフェルティティ と長女 メリトアテン の墓を作り、自身が死んだときにアケトアテンに埋葬されることを望んだということが書かれている。Boundary stelae K にはアケトアテンで催された祝賀行事について書かれた記述がある。

「陛下が琥珀金製の大きな戦車に登ると、その姿はさながらアテン神が地平線から昇ってきて大地を慈愛で満たすかのようだった。そして始まりの地、(アテンが)自らのために作りたもうたアケトアテンへと向かう道を進んだ。アテンのためにアケトアテンを建設しアテンの記念碑を建てたのは、その息子 Wa'enre (アクエンアテン)であり、父(アテン)に命じられてのことである。天も地も彼を注視し、全てが喜びで満たされた。」

碑文にはさらにアクエンアテンがアテン神に奉納をする様子が描かれている。境界碑の上の半円部に描かれているのはそのときの様子であり、アテンの放つ光線に照らされて王と王妃と長女が若返る力を得る様が描かれている。

Wikipedia「アマルナ」の解説より

アクエンアテンは真理を伝えたが、彼の治世は短命に終わった。ダスカロスはアクエンアテンの甥っ子としてうまれ、ファラオの改革を支援した。が、子供のいなかったアクエンアテンにじぶんの孫を養子(後のツタンカーメン)に出した神官に、殺されてしまったのだ、、、

「シンボル・オブ・ライフ」には、ネフェルティティの出自と経歴が載っていた(このへん、はじめてちゃんと読んだ ^^;)。

イラク(当時のメソポタミア)の王子であり、著名な哲学者でもあったミク-ラー-ダトが連れてきた自分の兄弟の娘(姪)が「ディティ」であった。アメン-オフィス(Noel注:アクエンアテンの幼名)がこのイラクからの王女の美貌と卓越した知性を称して「ネフェル-ディティ」と呼んだ。そして、アメンホテプ4世の王妃となった。後年、「コール-アトン(Noel注:過去世のダスカロス)と「アンク-エン-アトン」(Noel注:アクエンアテン)が暗殺された後、「ア-ラー-シス」(Noel注:当時のダスカロスの父)の手引きで南エジプトに逃れ、そこで「女王スメンク-カァ-ラ」となり、エジプトを部分的に統治した。これは歴史書にない新たな事実である。

ダスカロス著「シンボル・オブ・ライフ」433ページ

なんと、ネフェルティティはメソポタミア出身だった!……というわけで、みなみのうお座つる座に繋がった。

女王スメンク-カァ-ラとは、下記の人物だろう。

ネフェルティティの出自がわかり、楔形文字で書かれたアマルナ文書の謎が解けたように思える。

一部の高位神官や秘教伝授者しか知り得なかったような情報が、いまは誰でも手の届くものとなってきている。これは、とても喜ばしいこと。

霊的探求当たり前のこととなれば、飢えて死ぬひともなく、自然環境の破壊や戦争もなく、地上は喜びに満たされたものとなってゆく……もちろん、その変化は一気には起こらない。数百年、数千年かけて、地球文明は黄金期へとシフトしてゆく。