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学校へ来なくなった友人

(以前の記事『行進と転校生』の続きです。)

転校生に好意を抱くようになった友人…Aさんは、中学三年の時に初めて知り合った友人だった。
私が通っていた中学校は1学年毎にクラス替えがあった。私は中学二年の頃からいじめに遭っていたのだが、その時の担任はそれを知っていながらクラス替えの時に配慮が無く、一番最悪なクラスに入ってしまうこととなった。

かなり滅茶苦茶なクラスだった。授業中に英語の先生をいじめて泣かし、先生は授業を放棄していなくなった時があった。

そんな中、A子さんとは一緒に遊んだり、お互いの家を行き来して楽しい時を過ごした。当時流行っていた髪型を真似てみたり、アイドル雑誌を読んだり、近場の用品店で買い物をしたり。ごく普通の中学生だったと思う。

しかし中学三年になっても私はいじめられていて、一緒にいたA子さんもいじめられるようになってしまった。
最悪だったのがスポーツテストの持久走。私もA子さんも運動能力が低かったので、持久走ではビリとビリ2を争うことになってしまった。それを見ていた同じ学年の人達は、真剣に走っている私達を見て嘲笑った。その嘲笑う多くの人達の声を聞きながら、私達はゴールした。どちらが早かったかは全く覚えていない。

夏休みまではA子さんと仲良く過ごしていたが、二学期になってからA子さんの行動が急に変わった。
ある日の夜、突然私の家に担任教師から電話が掛かって来た。
「A子さんが来ていないか?」と聞かれたが、A子さんは私の家には来ていなかった。後で聞いた話では、他のクラスの友人と遊びに行っていたらしかった。

翌日、A子さんに会ったので私は「あんた何やってんの?馬鹿じゃないの?」とA子さんを叱った。
当時の私は親や先生の言うことをきちんと守る、親や先生にとっての『良い子』だった。私は担任教師の言うことが正しいと思っていたので、A子さんを叱った。

数日後、A子さんは学校に来なくなった。たまに学校に来ていた時もあったようだったが、教室には来なかった。チラッと見かけた時があって、その時に髪が茶髪になっていて驚いた。当時中学生が髪を染めることはほとんど無かった。

A子さんは私の知らないところで転校生とコンタクトを取っていたのかもしれない。他の友人の話によると、転校生の家の近くへはよく行っていたようだった。
A子さんと私が一緒に転校生の家の近くへ行くことはなかった。
なぜなら、転校生は私をいじめていた人達と仲間になったため、私から近付くことは絶対になかったのだ。

A子さんが学校へ来なくなってからも、私は他の友人や先生からA子さんの情報を聞こうとしていた。
今思えば、その頃の私は思いやりのない人間だった。A子さんを心配していたのではなく、芸能レポーターのようにただ知りたがっていた。その時のちょっとした非日常を楽しみたかったのかもしれない。

結局、A子さんは卒業するまで教室には来なかった。
卒業間近、担任教師から「A子は妊娠したらしい」と聞かされた。その話は夢の中で聞いたような嘘か真かのような感覚で脳内に残っている。

転校生も途中から学校に来なくなった。二学期の途中に突然校長先生が教室に来て「○○君は今後学校には来ない。代わりに働いている。」と聞かされた。中学校は義務教育じゃないの?と疑問が残ったが、校長が言うのだから許したんだろう。
三学期最後にお別れの会があった。
お別れの会の時に転校生が現れた。クルクルの黄色のパーマ頭だったので、周りがどよめいた。

私はずっといじめられ続けた。一時期収まった時ももあったが、私のはっきりしない態度が原因で元に戻ってしまった。ずっと「早く卒業したい」と思いながら、残りの中学生活を過ごした。卒業すればこの状況から抜け出せるから…とただそれだけを考えて。

私が高校を卒業し、仕事をするようになってから数ヶ月か1年以上経った時、電車の中で偶然A子さんと出会った。A子さんは当時のことを忘れたように元気で、資格を取るために頑張って仕事をしていると聞いた。
私はその時にホッとした。

今はどうしているだろうか。


それから何十年も経ち、当時のことを思い返して考えるのは、「なぜ私はA子さんの気持ちを想像してあげられなかったんだろう?」という疑問と自分自身の行動に対しての不快さを感じます。そして「なぜ優しい言葉を掛けてあげられなかったのか」という後悔があります。若かったからとはいえ、とても未熟だったと思います。

この話は22年前に私のサイトに載せていた時があったのですが、その当時は、

この当時を思い出すと、自分がとても嫌になります。しかも、この事を反省できるようになったのは社会人になってからでした。私は自分がいじめられていたから、「私が一番の被害者」とでも思っていたのだろうか?

2000.6.11 私のサイトのエッセイより

と書いていました。その後自分のことが色々と分かって来て、思いやりのない人間になった原因もほぼ分かっています。それは追々書いていこうと思います。

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