2024/07/29 依存症

今日は睡眠の調子が変だった。
途中で起きたり寝汗をかいたりしてた。
変な夢もみたけどもう覚えてない。
でも起きた時の気分はスッキリしているかな。

 

YouTubeで動画を見るのが好きだけど、過度な視聴は動画依存症と呼ばれるらしい。
ショート動画とかTikTokとかは気軽に見れる分もっと依存にはまりそう。
依存症について考えたので試しに今日はスマホをキッチンで充電している。

暑いのに昨日は帰宅後にエアコンが動かなくて困った。
正確にはエアコンではなくて室外機がなぜか反応しなくなって仕方がないのでブレーカーを一度おとしたら治った。
汗だくになってしまった。

水分補給も大事だけど、塩分も取らないと元気が出ないので朝起きたら塩をちょっとだけ指で摘んで食べている。

これを書いている間もYouTubeの動画欄見ちゃった。
依存症かなあやっぱり。


『暇と退屈の倫理学』の國分功一郎さんが好きなんだけど、國分さんが中動態について書いた本の導入に依存症の話が載っていてへえ〜と思って読んだことがある。
中動態とは何かというと、例えば「私は悲しんでいる」は言葉にすると受け身ではなく能動態に見えるが、かといって自分から積極的に悲しもうとしているのではない。
「楽しんでいる」「悲しんでいる」は、「歩いている」のような能動と同列ではなく、「私に悲しみがやってきて留まっている」というニュアンスらしい。
これが中動態なのだ。
日本語だと長くなってしまうけど、古代ギリシャ語には中動態の表現が明確にあるらしい。

能動態でも「待っている」は中動態にもなり得るかも。
「飽きている」とか「忙しい」とかは、中動態かな?

例えば「悲しんでいる」人に「悲しむのをやめなさい」と言って、悲しんでいる本人が「よし悲しむのをやめよう」と思って、やめられる訳ではない。
歩くのをやめるように、悲しむのをやめられる人はいない。
同じように依存も「依存をやめなさい」「依存をやめよう」と思ってもやめることはできない。
中動態は本人の意思は関係なくその状態になっていることなのだ。

正直この本は買って読んだわけじゃなくて図書館でさわりをちょっと読んだだけだからうろ覚えで、その後の深い内容については何も知らない。
でもこの中動態という概念がもっと知られるようになれば、悲しみや依存を抱えた人たちに対してちょっと優しい世界になるのかもしれない。
そんなふうに記憶に残っている。


美味しいもののコーナー

ミスタードーナツはポンデリング一択なんだけど、チョコレートも美味しいことに気づいた。
あとはオールドファッションも好き。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?