バイトを1日で辞めた話。

私の好きな作家、ヘルマン・ヘッセの逸話のなかで「書店員見習いを3日で辞める」というものがある。作家というものはどの人も多かれ少なかれ社会不適合者の素質があるものだと勝手に思っているが、ヘッセの社不っぷりもこのエピソードから垣間見られるのではないだろうか。

そんなヘッセを尊敬しているだけあって(?)私も筋金入りの社会不適合者だということは自覚している。とにかく労働が嫌いなのだ。まず集団生活を嫌っているので誰かと協力して働くのに向いていないし、コミュ障なので接客も大の苦手だ。それなのにあろうことか、軽い気持ちで某大手チェーンの接客バイトに申し込んでしまい、なんと受かってしまったのである。

時給も大してよくないのになぜよりにもよって苦手な接客業に申し込んでしまったのかはあまり覚えていないが、おそらくバイト面接に落とされまくっていたので焦っていたのだろう。余談だが、当時ヘッセをリスペクトして書店員のアルバイトに2か所応募していたものの、2か所ともダメだった。それ以来書店アルバイトには申し込んでいない。

それまで全く勤務経験なし、というわけではなかった。しかし、通っていた塾の事務バイトくらいしかアルバイトの経験はなく、しかもそのバイトもなんだか嫌で1週間で辞めた。辞めると正式に言ったわけではないが、なんとなく働く気が起こらなかったのとシフトを出すのが面倒で放置していたらそのうちシフト催促のメールが来なくなったというわけだ。

7月某日、バイトのオリエンテーションを受けに行った。自分以外にも2人新人がいた。制服を着、名札を付け、何冊ものマニュアルを渡された。最初はちゃんと話を聞き、緊張しながらもいよいよここで働くのだという期待を胸に抱いていた。

しかし、だんだん話を聞いたりマニュアルを読んだりしていくにつれ、不安になってしまった。なぜかはわからないが、「あ、無理」と心がどうしようもなく拒否しているのを感じた。ここで働けない、働いてはいけないともう一人の自分が叫んでいる。そんな気がした。

昔から過剰に心配しすぎる性格もあって、どんどん悪い方悪い方へと考えてしまった。こんなアルバイトごときで音を上げているのに自分は将来ちゃんと就職して働き続けられるのか? 辞められなかったらどうしよう? 落とされ続けてようやく採用されたのに、やっぱり辞めたいだなんて言い出したら親に何と言われるだろう? 頭の中でぐるぐると悪いイメージばかり思い浮かんで、そのうち本気で「死にたい」とまで思っていた。

そんなことで死にたくなるなんて、と言われるかもしれない。だが、私は普段から死にたいとばかり言っているような人間だ。一度言いようもない不安に取りつかれると、死ぬこと以外考えられなくなってしまうのだ。もう話なんて耳に入ってこなかった。マニュアルにメモを書いて契約書に署名もしたが、働く気は毛頭なかった。死のうという意思が固まっていた。

3時間のオリエンテーションがようやく終わり、お腹も空いていたのでとりあえず昼を食べることにした。私としてはもうその日中にでも死のうと思っていたので、最後の晩餐ならぬ「最後の昼餐」のつもりだった。太りたくなかったが最後だし好きなものを食べようということで、近くの喫茶店で大好きな抹茶のパンケーキに抹茶のシャーベットドリンクという豪勢なメニューを注文した。味はそこまででもなかったが、普段避けている炭水化物にハイカロリーのダブルセットは最後の食事にふさわしかった。

最期の昼餐を済ませ、近くの川まで歩いて行った。死ぬときは首吊りか凍死と決めていたのだが、そのときはもう今すぐ死ぬことしか考えられなかった。手段を択ばず入水自殺するつもりだった。

迷いながらも川に着いた。本来は立ち入り禁止だったのエリアに、どうせ死ぬのだから怒られてもいいやと足を踏み入れた。まだ夏の真昼間、周りは若者やカップルや家族だらけで、一人川辺にたたずんでいるのは自分くらいだった。こんなに人が多くては通報されかねないので川に入れない。日が暮れるのを待つことにした。

とはいっても何もせずに何時間も過ごすのは退屈だったので、持ってきていたロシア語の単語帳を取り出した。が、すぐに飽きてしまい『夏への扉』を読むことにした。半分くらいは読み終わっていたがいい暇つぶしにはなった。まあまあ面白かった。

Twitterでつぶやいている内容からかなり本気で死のうとしていたのが見て取れたのか、3人ほどの友人から安否を心配するメッセージが届いた。今思い返せば心配をかけて申し訳なかった。だがそのときは心の余裕がなかったのだと言い訳をしておく。

日も沈みいよいよ川に入ろうかと思ったが、まだ人が多く入れそうになかった。親からいつ帰ってくるのかと怒りと心配の混じった電話が入ったが家には帰りたくなかった。何と言われることか考えるだけでも恐ろしかった。帰りたくない。帰れない。涙をこぼしては蹲っていた。

この記事を書いているということは死なずに生き続けているわけだが、その日は結局バイト帰りの友人が慌てて駆けつけて話を聞いて慰めてくれ、日付が変わる前には帰宅した。

数日後、バイト先にも辞めたい旨を伝えたらあっさり受理され、制服と名札とマニュアルを返しに行った。後日郵送で封筒が届き、「何勝手にやめてんだゴラァ! 違約金払え!」とでも脅されるかと思いきや、オリエンの3時間分の給料明細で、確認したら本当に振り込まれていた。神。

気まずいのでもう二度とあの店で買い物はできないし、他店舗でさえしばらくは視界に入るだけで逃げるように遠ざかっていた。今でもあまり自ら進んでは訪れたくない。

今思い返せばなぜあんなことで悩んでいたのだろうと笑ってしまうが、当時は本当につらかった。生きていけないと泣いていた。あのヘッセよりも短い日数でバイトを辞めてしまうとは自分でも思わなかった。この経験が人生に何かをもたらしたかというと、特に何も変化はない。人生の汚点の一つになってしまったし、これといって成長したわけでもない。相変わらず本気で死にたくなることはしょっちゅうあるし、今でも反省せず無理にバイトに申し込みすぎたり詰め込みすぎたりしてしまう。

学んだことといえば、「自分には接客やマニュアルが多すぎる仕事は向いていない」ということだろうか。そのような職種はこれからも避けていこうと思う。

ちなみにあの日駆けつけてくれた友人には、チェーン店の目の前を通るたび「一生ネタにできるよ」とからかわれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?