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再分断 The Refragmentation (1)

Y Combinator 創始者 Paul Graham は、ときどき自分のウェブサイトに長文エッセイを発表します。2016年1月に公開された The Refragmentation に感銘を受け、大好きで時々読み返していました。誰か日本語に訳してくれたら、友達に紹介できるのに。そう思っていたのですが、2年近くたってもこのエッセイだけ翻訳されないようなので、試してみました。

まずは前半を公開します。以下、翻訳です。

年をとっているほうが有利なことがある。世の中の大きな変化を人生の中で実際に経験できたことだ。私が見てきた大きな変化は、分断だ。アメリカ政治では、2つの政党が過去よりずっと乖離している。社会を覆う価値観の面でも、これほど共通項が見えなくなった時代はない。クリエイティブ・クラスは他を見捨てて、数少ない幸せな都市に集まっている。経済格差が広がっているということは、富裕層と貧困層の距離も遠のいているということだ。こうした動きはどれも、同じ潮流から発生した現象だ。そして、この潮流が引き起こされているのは、私たちを互いに引き離そうとする力学が働いているから、ではない。私たちの距離を近づけていた潮流が弱まっているから、というのが私の仮説だ。

現在のこうした傾向を嘆くみなさんには申し訳ないのだが、私たちの距離を近づけていた潮流は、歴史上は特異値でしかない。おそらく繰り返されることのない、そして繰り返したくない、さまざまな状況が重なったことで発生した潮流だ。

戦争(特に第二次世界大戦)と大企業の勃興が、私たちの距離を近づける潮流を生んだのだ。

第二次世界大戦は、経済面、そして社会面の変化をもたらした。経済面では、戦争は収入格差を縮める方向に働いた。他の先進国の軍がみなそうであったように、アメリカ軍も経済面では社会主義だった。個々の能力ではなく、個々のニーズに応じて、である。少なくとも、傾向としてはそうだった。軍の中で位が高いほど報酬は高い(社会主義社会では、高位の者はいつもそうだ)が、報酬額は位ごとに決まっていた。収入格差の平準化は、軍属に限らない。アメリカ経済も統制されていたからだ。1942年から1945年のあいだ、あらゆる賃金は National War Labor Board が決めていた。軍と同じように、基本は格差縮小だ。全国的に賃金を標準化したことの影響力は強く、その影響は戦後何年も続いた。[1]

事業主も稼がないように規制が課された。フランクリン・D・ルーズベルト大統領は「戦争で百万長者になるなんて、そんな者はひとりも」許さないと言い、そのために、会社は、利益額が戦前の水準を超えたら、その増加分に対して85%課税された。そして、課税後の利益が個人に配当されると、そこでまた限界税率93%の課税があった。[2]

社会的にも、戦争は平準化をもたらした。多様な出身からなる1600万人以上の男女が、同じ軍服に身を包み、同じ生活様式を送った。1920年代生まれの男性の実に80%近くが兵役についた。共通の目標に向って、ストレスにさらされながら働く体験を共有し、彼らはさらに近くなった。

第二次世界大戦にアメリカが参戦したのは4年弱しかないが、その影響は長く続いた。戦争は中央政府の権限を強めるものだが、第二次世界大戦は中でも極端にそうだったと言える。他の同盟国もみなそうであったように、アメリカの連邦政府は、一度獲得した権限をなかなか手放そうとしなかった。ある意味、敵がソ連に変わっただけで、戦争は1945年以降も続いたとも言える。戦後数十年の税率、連邦政府の権限、防衛への支出、徴兵制、そしてナショナリズムは、戦前の状況には戻らず、どちらかといえば戦時中の傾向を引きずっていた。[3] 社会的な影響も長く残った。ウェスト・バージニア州でロバを追い立てていた青年は、従軍後、再び農地に戻ることはなかった。彼を待ち受けていたものは、農業よりずっと軍に似ていた。

20世紀の政治の大きな物語を全面戦争とするならば、20世紀の経済の大きな物語は、新しいタイプの会社の勃興だ。この物語もまた、社会的、そして経済的な平準化をもたらした。[4]

20世紀は、全国規模の大企業の世紀だ。ゼネラル・エレクトリック(GE)、ゼネラル・フーズ、ゼネラル・モーターズ(GM)。金融、通信、交通、製造業の発達により、規模の拡大を至上命題とする、新しいタイプの会社が出現したのだ。この世界のバージョン1は、例えるなら低解像度の世界だ。大きな業界ごとに少数の巨大企業が寡占する、デュプロ(レゴブロックの幼児版。大きなブロック)のような世界だ。[5]

19世紀終盤から20世紀初頭は、企業集約化の時代だった。時代を引っ張ったのはJ.P. モルガン。創業者が経営していた何千もの会社が、次々に合併して200ほどの巨大企業に集約され、プロ経営者が経営するようになった。規模の経済がすべてを支配した。当時の人々には、これが最終段階のように思えた。ジョン・D・ロックフェラーは1880年、こう述べた。

「完全に、合体の時代になった。個人主義は永遠に終わってしまった。」

ロックフェラーは間違っていた。この言葉を語った時から100年間は、正しかったけれど。

19世紀末に始まった企業の集約化と寡占は、20世紀の終盤まで続いた。第2次世界大戦の終わりまでには「経済の主な業界はみな、政府の認めたカルテル構造か、少数の企業による寡占状態となった」と、マイケル・リンドは述べている。

消費者にとって、この新しい世界は、どこに行っても同じものが手に入るけれど、選択肢は少ない世界となった。私が子どもの頃、大抵の物は2、3種類しかなかった。どれも市場の真ん中を狙っているので商品の違いもほとんどなかった。

この傾向の最も重要な事例は、テレビ放送だ。選択肢はNBC, CBS, ABCの3つ。あとはインテリと共産主義者しか見ないPBS(公共放送)。3大ネットワークの放送する番組は見分けがつかないほどそっくりだった。同じにならざるを得ない要因が3つもあったのだ。もし大胆な試みに取り組もうという番組があったとしても、保守的な地域の系列局が止めに入る。さらにテレビは高価だったから一家に一台だけ。家族全員で同じ番組を見る。だから番組は、誰が見ても大丈夫な内容でなければいけなかった。

みんなが同じものを見ていただけではない。みな同時に見ていたのだ。今となっては想像し難いが、毎晩、何千万の家庭がそれぞれテレビの前に座り、お隣さんと同じ時間に同じ番組を見ていた。今日ではスーパーボウルでしか起きないことが、毎晩起きていたのだ。私たちは文字通り、同期していた。[6]

20世紀中盤のテレビ文化には、よい面もあった。テレビが提示していたのは、児童書の世界観のようなものだった。おそらく、(親が望む)児童書が子に与える影響と同じように、人々の態度が良くなる効果をもたらしたはずだ。しかし、児童書と同じように、テレビは現実を直視していなかった。大人にとっては危険なほど、現実を直視しなかった。ロバート・マクニールは自伝の中で、ベトナムから届いたばかりの凄惨な画像を見て、食事の時間帯のお茶の間になんて、とても流せる内容ではないと思った、と語っている。

こうした一般向けの消費文化がどれほど深く浸透していたか、私は身を以て知っている。そこから逃れようとしたけれど、それ以外の選択肢を見つけるのは事実上不可能だったから。13歳のとき、私は、外から聞かされたのではなく自力で、テレビで言ってることはクソだと気づき、見なくなった。[7] でも問題はテレビだけではなかった。身の回りのもの全てがクソだった。政治家は皆同じことを言う。消費材はどれも中身は殆ど同じなのにラベルだけ変えて「こちらのほうがすごい」と主張する。風船細工に「コロニアル風」の皮をかぶせただけのような家。車の両側には何十センチもの無意味な金物がつき、しかも2年で取れてしまう。赤い「デリシャス」リンゴだって、真っ赤だけどたいしてデリシャスじゃなかった。思い返せば、あのリンゴもクソだった。[8]

普通の選択肢を捨てたあとを、何で埋めるか。探したけれど、私は何も見つけられなかった。当時、インターネットはまだなかった。唯一の情報源は、地元のショッピングモールにある書店チェーンだった。[9]そこで私はアトランティック誌に出会った。それが私を広い世界へ誘う扉だった、と言いたいところだが、私にはよく理解できず、つまらなかった。少年が初めてウイスキーをなめて無理に美味しいというように、私はその号をまるで本のように丁寧にとっておいた。たぶんまだどこかにあるはずだ。真っ赤なデリシャスではない世界があることを示してくれるものだったけれど、私がその世界を発見したのは大学に入ってからだった。

大企業は、私たちを消費者として平準化した。それだけではない。働き手としての私たちも平準化された。会社は、従業員の見た目や態度物腰を一つの型にはめこんだ。このことではIBMがよく悪口を言われていたけれど、他の大企業だって似たようなものだった。従業員に期待される型は、どの会社もだいたい同じだった。ということは、企業社会の人々は、見た目がそっくりであることが期待された。さらに、この世界に入りたいと野心を持つ人々も、それを真似た。20世紀半ば頃においては、企業社会に入れていないほとんどの人々が、大企業の世界に憧れていた。20世紀の大半、労働階級の人々は中産階級に見えるよう努力していた。古い写真を見ればわかる。1950年には、ちょいワルに見せたい大人なんて、ほとんどいなかった。

全国規模の企業の勃興により、生活文化は平準化した。同時に、経済的にも平準化が進んだ。下からも、上からも。

全国規模の企業とともに、全国規模の労働組合が発達した。20世紀半ば、企業は市場価格を上回る賃金を労組に約束した。労組自体が独占的だったから、という理由もある。[10] 企業側も少数で市場を寡占していたから、コストをそのまま消費者に転嫁できた、という理由もある。競合も自社と同じような条件を労組と合意している状況だと分かっていたから。さらにもう一つ、この時代、多くの大企業はまだまだ規模の経済を追求していた、という理由もある。現代のスタートアップは、事業成長に集中するため、自前サーバーより高コストでも、AWSを利用する。同じように、当時の大企業は高コストでも組織化された労働力を雇用したのだ。[11]

20世紀の大企業は、労組に市場価値より高い賃金を支払って低所得層の所得水準を押し上げた。同時に、経営層の報酬を市場価値より低くし、高所得層の所得水準を押し下げた。経済学者のJ.K.ガルブレイスは1967年、「経営層の報酬をこれ以上上げられない、という企業はほとんどない」と書いている。[12]

しかし、これは必ずしも現実を表していない。経営層が得る広義の報酬には手厚い福利厚生など、所得税の申告書には現れない部分が少なくなかった。所得税率が高いほど、所得に含まれない形の支払いを手厚くする圧力が働いた。(アメリカより税率の高かったイギリスでは、経営者の子弟の私立学校の学費まで会社が負担していた。)20世紀半ばの大企業が社員に提供したもっとも価値の高いもの、それは雇用の保障だった。これも、所得税の申告書にも賃金統計にも現れない。こうした大企業の雇用慣行のため、統計上の経済格差より、現実のほうが格差は大きかった。このようなゆがみを考慮してもなお、大企業が最も優秀な人材に支払う報酬は、市場価値より低かった。労働市場なんて、存在しなかった。同じ会社で何十年も働くこと、一社でつとめあげることが期待されていたのだ。

個人にしてみれば、自分の仕事の流動性があまりに低いため、市場価値に見合う報酬を得るのは難しかった。同時に、流動性が低いため、そもそも市場価値を要求しようともしなかったのだ。会社が、あなたを定年まで雇用し、その後は年金も払うと約束していれば、この1年、会社から最大限の報酬を搾り取ろうなんてしないほうがいい。会社があなたのめんどうを見てくれるよう、あなたも会社を大切にしないといけない。何十年も同じ仲間と働いて来たのなら、なおさらだ。あなたが会社から報酬を搾り取ろうとすることは、すなわち、仲間のめんどうを見てくれる会社から搾り取ることに他ならない。それに、会社を第一にしなかったら昇進できない。転職できないのだから、昇進以外にキャリアアップする道はない。[14]

この状況は、現代に生きる私たちには奇異に感じられるが、人格形成期を従軍してすごした人々にとっては、そうでもなかった。彼らからすれば、大企業の経営層は軍の上官と同じであり、二等兵より報酬が高くて当然だった。高級レストランで会社の経費でランチをとり、会社のプライベートジェットで飛び回るのも当然だった。報酬が市場価値に見合っているかどうかなんて、気にもしなかったにちがいない。

市場価値に見合う報酬を得る究極の方法は、自分の会社を設立して自営業になることだ。現代なら、向上心のある人にとっては当然の話だ。しかし、20世紀の半ばにおいては、考えられなかった。それは、自分の会社をつくることが野心的すぎるからではなく、向上心が足りないように思われていたからだ。私が子ども時代を過ごした1970年代になってもなお、野心とは、いい学校で十分に教育を受け、いい会社に入って順調な出世を目指すことだった。個人の社会的地位とは、すなわち、所属している組織の社会的地位だった。当時から起業するひとはもちろんいたが、高学歴の人がすることではなかった。なぜなら、いま我々がスタートアップと呼んでいる、小さくはじめて大きく成長するような事業のイメージは、全くなかったからだ。会社をつくるということは、ずっと小さいままでいるということだった。大企業が支配していた当時、小さい会社は、象に踏まれないよう逃げ回り続けるしかない存在だった。象にまたがる経営層のほうが、はるかに社会的に尊敬された。

1970年代になると、そもそも有名大企業がどこから来たのか、考えることすらなくなった。まるで元素のように、はじめから存在していたかのように思えた。実際、大企業の成り立ちと、20世紀の向上心に満ちた若者の間には、二重の壁が立ちはだかっていた。多くの大企業は合併を繰り返して成立したため、明確な創業者がいなかった。創業者がいるケースでも、その創業者は自分とかけ離れた存在にしか思えなかった。そうした創業者のほとんどは大学を卒業しておらず、すなわち教育水準が低い人々だった。シェイクスピアがrude mechanicals と呼んだ、(「真夏の夜の夢」に登場する)職人軍団のようなものだ。大学出身者は、プロフェッショナルとして教育を受けたのだ。大学を卒業してまで、アンドリュー・カーネギーやヘンリー・フォードが駆け出しの頃に経験したような、つまらない、卑しい仕事をするつもりなどない。[15]

20世紀は、大卒者が増える世紀でもあった。1900年には人口の2%しかいなかったが、2000年には25%までに増えた。20世紀半ば、従軍経験者と大卒者という2つの大きな勢力が交わる。鍵はGI Bill(復員軍人援護法)。これにより、220万人の復員兵が大学に行ったのだ。そこまで考えた人はほとんどいなかったけれど、大学進学が向上心ある若者の標準的な進路となり、その結果、ヘンリー・フォードになることを目指すより、ヘンリー・フォードに仕えるほうが社会的に認められる世の中になった。

私はそんな世の中をよく覚えている。その価値観が崩れ始めるころ大人になったのだが、子ども時代はまだ支配的だった。そうは言っても多少は弱まっていて、古いテレビ番組や昔のアルバム、あるいは大人の態度物腰を見ると、1950年代や60年代の人たちは、自分たちよりずっと体制に従順だったことが見て取れた。ミッドセンチュリーの価値観は古くなり始めていたけれど、当時はそこまで分からなかった。せいぜい、1965年と比べれば、1975年のほうが多少は冒険できるよね、という程度の認識しかなかった。実際、大きな変化が訪れるのは、まだ先のことだ。

(ここまでが前半です。後半もどうぞ。)

<脚注>

[1] 1975年、レスター・ソローは、二次大戦終結時の賃金差(の小ささ)は社会に深く浸透し、「『公正』だと考えられるようになっていた。二次大戦中にあった格差を抑制する力学が、戦後は消えたにもかかわらず、だ。戦後30年経った今日も、賃金差(の小ささ)は変わっていない。」と述べている。しかし、ゴールディンとマーゴは、二次大戦後の労働市場の需給の状況も賃金差を抑える効果をもたらしたと考えている。非熟練労働への需要が強く、教育水準の高い労働力は過剰供給気味だった、と。

(アメリカでは現在、慣習的に、雇用主が健康保険料を負担するが、これは、事業主が National War Labor Boardの統制をかいくぐって人材を採用するための施策から来ている。奇妙な話だ。)

[2] 税率だけ見ていても全体像は分からないのは、世の常だ。当時は特に個人に対して、さまざまな例外措置があった。また、第二次世界大戦中は、税法はまだ新しく、節税対策に対して政府は無防備だった。戦時中、富裕層が高い税金を納めていたとしたら、それはどちらかというと、払わされたというより払いたかったからだろう。

GDPに占める連邦政府の税収の割合は、戦後も現在も大差ない。税率は劇的に変化したにもかかわらず、戦後一貫して、税収はGDPの18%前後で安定しているのだ。税収のGDP比率が最低だったのは、1950年の14.1%、累進課税の税率が史上最も高かった時だ。データを見る限り、税率は、人々が実際に納税する額に殆ど影響しない、という結論に達さざるを得ない。

[3] しかし実際、戦前の10年間は、大恐慌に対応するために、かつてないほど連邦政府の権限が強まった時期だ。偶然ではない。大恐慌は第二次世界大戦の一因だったのだから。ニューディール政策は、その後、戦時中に連邦政府がとった政策の予行演習だったと言える。でも、戦時中の政策の方がよほど劇的で、社会の隅々まで浸透した。アンソニー・バッジャーが書いたように「多くのアメリカ人にとっての決定的な変化は、ニューディール政策ではなく第二次世界大戦によってもたらされた。」

[4] 世界大戦の歴史を十分に知らないのだが、大企業の勃興と関係があったとしてもおかしくはない。もしそうだとしたら、20世紀における平準化の要因は1つに集約される。

[5] より正確にいうと、経済は二重構造になっていた。ガルブレイスの言葉を借りれば「一方には技術発展、大資本、高度な組織に支えられた企業の世界、もう一方には何十万もの昔からある小規模事業の世界があった。」お金、名誉、権力はすべて前者に集中し、二つの世界が交わることは、まずなかった。

[6] 家族揃って食事をすることがなくなったのは、家族揃って食後にテレビを見なくなったことと関係あるんじゃないかと思う。

[7] テレビドラマ「ダラス」が始まった年だったから、ハッキリ覚えている。みんな「ダラス」のことを話してたけれど、私は何のことだかさっぱり分からなかった。

[8] この論考のために調べ物をするまで気づかなかったが、私の子ども時代にあった商品のけばけばしさは、業界の寡占状態がもたらす副産物だった。価格競争がなければ、むだな飾りで差別化するのだ。

[9] モンロービル・モール(Monroeville Mall)は、完成した1969年当時、全米一の規模を誇った。1970年代後半の映画『ゾンビ』(原題Dawn of the Dead)の撮影もこのショッピングモールで行われた。ここで映画が撮影されたのは、ジョージ・ロメロ監督がこのショッピングモールの中をふらふらと歩き回る買い物客を見て、ゾンビを連想し、映画のインスピレーションを得たからだそうだ。私の初めてのアルバイトは、ここのサーティーワンでアイスクリームをよそう仕事だった。

[10] 労働組合は、1914年のクレイトン独占禁止法の適用を免除されていた。人の労働は「商品でもなく、取引の対象でもない」という理由だ。ということは、サービス産業も独禁法を免除されるのだろうか。

[11] 労働組合と企業の関係は、共生関係にもなり得る。宿主を守るため、労組が政治力を発揮する可能性があるからだ。マイケル・リンドによると、政治家がスーパーマーケットチェーンのA&Pをとりあげ、地元商店を廃業に追い込んでいると攻撃しようとしたとき、「A&Pは1938年に従業員の労組結成を認めたことで、労組を味方につけ、攻撃をかわすことができた。」私自身も同じ現象に直面した。AirBnBに政治圧力をかけているのは、ホテル会社よりホテル業界の労組のほうなのだ。

[12] ガルブレイスは、経営者が自分よりも他者(株主)の利益のために、なぜあれだけ懸命に働くのか、まったく理解できなかった。『新しい産業国家』では、この課題に多くの紙幅を割き、経営者の動機が金銭的なものからプロフェッショナリズムに置き換わった、と論じた。現代の経営者は、(良い)科学者がそうであるように、経済的なメリットよりも、よい仕事をして同僚の賞賛を得ることにモチベーションを感じるのだ、と。私は、この議論には一定の正当性はあるものの、保身と、会社間の転職がなかったことのほうが、理由として大きいと考えている。

[13] ガルブレイスは、先の著書の94ページで、300の大企業の経営層のうち所得上位800人を調査したところ、その四分の三はその会社で勤続20年以上だったと述べている。

[14] 20世紀の初めのから1930年代ごろまで、経営者の報酬が低かった理由のひとつに、当時の企業が現代よりも銀行借り入れに依存していたことが挙げられる。経営層の報酬が高すぎると、銀行がそれを認めないからだ。特に初期においては間違いなくそうだった。大企業のCEOの第一世代は、J.P.モルガンに採用されたのだから。

会社が内部留保を投資に振り向けられるようになったのは、1920年代からだ。それまでは、利益はすべて配当しなくてはならず、成長投資の原資は銀行借り入れに頼っていた。1933年のグラス・スティーガル法施行まで、銀行は企業の取締役も派遣していた。

20世紀の半ばになると、大企業は成長投資の四分の三を内部留保でまかなうまでになった。それでも、銀行に依存していた時代の慣習は残り、第二次世界大戦中の金融統制と相まって、経営層の報酬水準の相場感に大きな影響を与えていたと思われる。従って、転職が少ないから報酬水準が低かったとも言えるが、同時に、(どの大企業も)報酬水準が低かったから転職が少なかったのかもしれない。

ちなみに、1920年代に会社が成長投資を内部留保でまかなえるようになったことが、実は、1929年の大恐慌の一因だった。銀行は大企業への貸出が細った分、より信用度の低い貸出案件を増やしたのだ。

[15] これは今でもそうだ。私は、これから起業しようとするひとに、創業初期のころにある種のつまらない仕事をやることの大切さを叩き込むことに、一番苦労している。ヘンリー・フォードだって、初めはスケールしないことをやりきった。これは、昔の農家の食生活が、実は食物繊維豊富な食習慣だった、という話と似ている。当時は他に選択肢がなかったわけだが、結果的によい習慣だった。現在の私たちは、意図してそういう努力をしないといけないのだ。

[16] 私の子ども時代、「創業者」がメディアでもてはやされるなどということはなかった。「創業者」とは、真面目くさった表情で、セイウチのようなヒゲと立ち襟シャツ姿で写真にうつっている、何十年も前に死んだ人、というイメージだった。目指すべきは「エグゼクティブ」だった。今の人たちには、この言葉の持つオーラは分からないだろうけれど、あらゆる物の高級版は「エグゼクティブ・モデル」と呼ばれていたのだ。

(photo by David Howard)

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