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再分断 The Refragmentation (2)

Y Combinator 創始者 Paul Graham が2016年1月に公開した論考 The Refragmentation の翻訳、後半です。(前半からどうぞ)

まだ先とは言え、時代の変化はすぐそこまで来ていた。デュプロ型経済の解体の兆候は、複数の面で並行して見られた。垂直統合していた会社は、効率を求め、文字通り解体していった。既存企業は新たな競合に直面した。a)競争がグローバル化したことと、b)技術革新が規模の経済を無効化し、規模が資産から負債に転じたことの2つが要因だ。消費者に届く販路が広がるに従い、中小企業の生存率が高まった。全く新しい商品群が現れるようになり、市場の変化が速くなった。そして政府も、それまではJ.P.モルガン的世界を、自然な発展段階だとあたたかく見守っていたのが、そうでもないと気がついた。

J.P.モルガンを横軸とするなら、縦軸はヘンリー・フォードだった。フォードは完全な自前主義だった。1917年から1928年にリバー・ルージュにあった工場では、本当に一方から鉄鉱石を取り込むと、反対側から自動車が出て来たのだ。そこで働いていたのは10万人。当時は、それこそが未来だった。しかし、現代の自動車会社はそんな運営はしていない。自動車の設計と生産は長いサプライチェーンの中で行われ、最後に自動車会社が組み立てて、完成車を販売している。なぜかといえば、こっちの方がうまくいくからだ。サプライチェーンの一社ずつが、得意分野に特化し、同業他社に取り替わられないよう切磋琢磨しているのだ。

では、なぜヘンリー・フォードは、巨大企業一つよりも協力会社のネットワークの方が上手くいくことに気づかなかったのだろうか。ひとつには、サプライヤーのネットワークが育つまで時間がかかるからだ。1917年当時のフォードにとって、目指す規模を実現するには自前主義しか選択肢がなかった。二つ目の理由は、協力会社のネットワークで何かを成し遂げるには互いの調整が不可欠で、それはコンピュータの得意分野だからだ。コースは組織の存在理由を取引コストに求めたが、コンピュータはその取引コストを下げる。これは抜本的な変化だった。

20世紀の初めには、大企業とは効率性を意味した。20世紀の終わりには、それは非効率性を意味するようになった。大企業自身が硬直化したせいもある。でもそれだけではない。私達の求める水準が高くなったからだ。

変化は、既存の業界の中だけで起きたのではない。業界の定義そのものが変わった。さまざまな新しいものが作れるようになった。しかし、新しいものを一番うまく作れるのは、必ずしも既存の大企業とは限らなかった。

典型的な例は、マイクロコンピューターだ。市場の先陣を切ったのは、アップルのような新興企業だった。IBMは、市場が一定規模まで大きくなって初めて、真剣に取り組むことを考えた。当時IBMはコンピューター業界を完全に支配していた。マイクロコンピューター市場も、そろそろ育ってきたから、あとは手を伸ばしてもぎ取るだけだ、というつもりだった。当時、多くの人がIBMの考え方に賛同していたはずだ。しかし、実際起きたことは、世界がいかに複雑になってきたかを示すこととなった。IBMは、実際、マイクロコンピューターを発売し、かなりの成功を収めた。しかし、アップルを潰すには至らなかった。もっと重要なのは、IBM自身が、横からひょっこり出てきた業者に、最終的に取って代わられてしまったことだ。その業者はソフトウェアのサプライヤーだった。そもそもIBMとは異なる業界の、競合とは思えなかったサプライヤーだ。IBMの大失策は、DOSの非独占契約を結んでしまったことだ。当時は、特段のリスクはないと判断したに違いない。IBMはそれまで、競合に売り負けたことはなかったのだ。他のメーカーがDOSを提供できるようになったからといって、何が変わるというのか。ここでおかした計算違いの結果、安価なPCクローンが爆発的に増えた。PCのスタンダードはマイクロソフトと、ユーザーに握られた。マイクロコンピューター業界は、アップル対マイクロソフトの構図になってしまった。

要するに、まずアップルがIBMに打撃を与え、続いてマイクロソフトがIBMの身ぐるみを剥がしたわけだ。そんなことは、20世紀中盤の大企業には決して起きなかった。しかし、これ以降は、こうしたことが次々起きるようになる。

コンピューター業界では、変化はおおむね自然発生的に起きた。しかし他の業界では、まず法規制が撤廃される必要があった。20世紀中盤、連邦政府は、多くの業界で競合を排除するような政策をとっており(戦時中は大量発注もして)、業界を寡占していた大企業を競合から守っていた。現在の感覚では後ろ暗い感じさえするが、当時の官僚はそこまで思っていなかったに違いない。政治の世界では、二大政党によって十分な競争が担保されている。民間も同じだろう、と。

しかし、競争を阻害するような政策は、メリットより害のほうが多いことに、政府も気づき始め、カーター政権においてそうした政策を転換しはじめた。この政策転換は「規制緩和」と呼ばれたが、これは本質をかなり狭く捉えてしまっている。これは実は「非寡占化」であり、業界から業界へ広がった。消費者にもっともわかりやすいのは、航空と長距離電話だった。どちらも規制緩和後、価格が劇的に下がった。

規制緩和は、1980年代の敵対的買収の波も引き起こした。それ以前の時代には、どの企業も、倒産の危機に直面しているのでもない限り、競合と同じ水準までなら、生産性が低くても問題なかった。しかし新しい時代になると、相対的な基準ではなく絶対的な基準を満たす必要に直面した。資産に対する収益率が不十分な上場企業の経営者は、十分な収益率を実現できる者にいつ取って代わられてもおかしくなかった。新しい大企業経営者の典型的な手法は、事業をばらばらにして、大コングロマリットの一部だったときよりも、事業価値を高めることだった[17]。

アメリカ経済バージョン1では、大きなブロックごとに、少数の経営者、政治家、官僚、労組幹部が密室で交渉して、相互の利害を調整していた。バージョン2はもっと高解像度だ。関わる会社数が増え、規模も様々、生産するものもいろいろで、相互の関係もどんどんスピーディーに変化する。新しい世界になっても、密室の交渉はいくらでもあった。でも、市場で需給により決まることが増え、それにより分断が加速した。

現実では徐々に変化したものを、バージョン違いで説明するのは、やや誤解を招くかもしれない。でも、本質ははずしていないと思う。数十年のあいだに大きな変化があり、その結果、質的にまったく違う世界になったのだ。1958年、S&P500に名を連ねた会社は平均61年の歴史があった。2012年、平均値は18年になっていた[18]。

デュプロ型経済の崩壊は、コンピューターが広がるのと同時に起きた。では、コンピューターの発達が経済の変質の前提条件だったのだろうか。この問いには、本1冊書かないと答えきれない。コンピューターの発達は、例えば、スタートアップの勃興の前提条件となったのは明らかだ。おそらく金融業界の発展においても同様だろう。では、グローバル化の前提条件だったのか?LBOの波の前提条件だったのか?私にはわからない。しかし、可能性は否定しない。蒸気機関が産業革命を推し進めたように、コンピューターが再分断を推し進めたのではないか。前提条件だったかどうかはともかく、加速させたのは間違いない。

企業の状況がそれまでになく流動的になり、人々と雇用主である企業との関係も変化した。はしごをはずされるかもしれないのに、なぜ一段ずつ登ろうとするのか。野心ある人々は、一本のはしごを登るのではなく、違う会社に移る可能性も含めて職務経験を重ねるキャリアを考え始めた。転職(あるいは転職の可能性)が増えたことで、報酬水準にも競争が起きはじめた。加えて、企業規模が小さくなり、一社員が会社の収益にどれほど貢献したのか、推測しやすくなった。これらの2つの変化により、報酬水準は市場価値に近づいていった。そして、人によって生産性は劇的に異なるので、市場価値を報酬として支払うということは、報酬水準のばらつきが広がることを意味した。

「Yuppie(ヤッピー)」という表現が1980年代に生まれたのは、偶然ではない。今は誰もヤッピーなんて言わなくなったが、それは当時はとても新鮮に思えた現象が、いまは当然になってしまったからだ。ヤッピーとは、若くて高報酬のホワイトカラーのことだ。今日の20歳代の人には当たり前すぎて、わざわざ名前をつけるほどのことなの?と思えるだろう。若いホワイトカラーの報酬が高くない、なんてことがあり得るのか?しかし、1980年代までは、若いうちは実際に出している成果に比して低い報酬しかもらえないというのは、ホワイトカラーとして当然のことだった。若手はまずはご奉公をし、はしごを一段ずつ登っていくのだ。ご褒美はもっと後になってやってくる。当時、ヤッピーの新しさは、いま出している成果に見合った報酬を求めたことだったのだ。

初期のヤッピーたちは、スタートアップでは働いていない。それはもっと未来の話だ。彼らは大企業勤めでもなかった。彼らが働いていたのは、法律、金融、コンサルティングといった分野だった。しかし、彼らの存在は仲間たちを刺激した。友達の真新しい BMW 325i を見たら、自分も欲しくなる。

キャリアの初期にある人たちの報酬を低く抑えられた理由は、誰もがその慣行に従っていたからでしかない。いったん序列を崩す雇用主が現れれば、他社も追随せざるを得ない。さもないと、よい人材が採れないから。この動きは、いったん始まると経済全体に広がった。キャリアの初期にある人達は、会社も移るし、異業種にも簡単に移れるからだ。

でも、若手ホワイトカラーがみんないい思いをしたわけではない。成果をださなければ、高報酬は得られない。初期のヤッピーは、成果がはかりやすい業界に現れたが、それは偶然ではなかった。

その頃、言い古されたような考え方が再び世の中に広まり始めた。あまりに長い間、実現をみなかった考え方だ。それは、「一代で財を成せる」、ということ。過去も当時も、財を成すやりかたはいろいろあった。富を創出する者もいたし、ゼロサムゲームを勝ち抜いてお金持ちになる者もいた。どちらにしろ、一代で財を成すことができるとなったら、野心ある者は、それをやるかやらないか、決めなくてはならない。例えば物理学専攻の人が、ウォールストリートではなく学問の道を選んだ場合、1960年にはなかった機会損失が1990年には発生してしまう。

この考え方は大企業にまで及んだ。大企業のCEOは昔より今のほうがたくさんもらってるが、主に社会的地位が関係してると思う。1960年の大企業CEOは、とんでもなく社会的地位が高かった。経済界に存在した唯一のゲームの勝者だったから。でも、もし、現在のCEOの報酬が実質ベースで当時の水準のままだったら、現在のプロスポーツ選手や、スタートアップやヘッジファンドを成功させた若き天才たちと比べると、小粒になってしまう。そんなの許せない、というわけで、今は報酬をなるべく高くもらおうとしている[19]。

一方その頃、所得水準の低い方の世界でも、同じように分断が始まっていた。大企業が市場を寡占しきれなくなると、商品の価格競争がおきて、コストをそのまま消費者に転嫁することが難しくなり、市場価値を上回るような賃金を支払わなくなった。大企業ブロックだけで構成されていたデュプロ型経済が細分化し、業界が大小様々な規模の企業や海外企業で構成されるようになると、労組も労働市場を独占できなくなってきた。その結果、労働賃金も市場価値に近づいていった。それまで労組が機能していたとするなら、市場価値に近づくということは、賃金が下がるということだ。オートメーションが進んで労働需要そのものが減り、賃金が劇的に下がる職種もあった。

20世紀半ばのモデルが社会的にも経済的にも平準化をもたらしたように、そのモデルの崩壊は、社会的にも経済的にも細分化をもたらした。人によって服装や態度物腰が違うようになった。後に「クリエイティブ・クラス」と呼ばれるようになった人々は、どんどん住む都市を移転するようになった。宗教に関心の薄い人々は、教会に通わなくても周りの目があまり気にならなくなり、逆に宗教が大好きな人々は新興の教義を選ぶようになった。(国民食である)ミートローフをやめてトーフに乗り換える者も、冷凍食品のHot Pockets に乗り換える者もいた。フォードのセダンから小型の輸入車に替える者も、SUVに乗るものも出てきた。私立に通う子や憧れる子は「プレッピー」な服装をし、反抗的に見られたい子は、一生懸命、周りをなめきった服装をした。あらゆる面で、人々はばらばらになった[20]。

その時期から40年近くたった。細分化はますます進んでいる。これは良かったのだろうか、悪かったのだろうか。私にはわからない。答えのない問いなのかもしれない。ただ、全面的に悪だとは思わない。私たちは、自分に好ましい細分化は無意識に受け入れ、好ましくない細分化のことだけを心配する。しかし、20世紀半ばの体制順応主義の終盤を経験した者から言わせてもらえば、あれはユートピアとは程遠いものだった[21]。

私はこの論考を通して、細分化の良し悪しを論じたいのではない。なぜ起きているのかを説明したいだけだ。全面戦争と20世紀の寡占企業という求心力がほとんど消えたいま、何が起きようとしているのか。もう少し課題を絞ろう。これまで起きてしまった分断の傾向から、再びかつての世界に戻すことはできるのだろうか。

できるとしても、部分的にしか実現しないだろう。20世紀半ばの一体感を、その成り立ちに遡って再現することはできない。国の一体感を醸成するためだけに戦争を始めるなんて、狂っている。また、20世紀のバージョン1経済の歴史が、いかにあらゆる面で低解像だったかを理解すれば、それを再現するのも不可能だとはっきりわかるだろう。

20世紀の一体感は、ある程度、自然にうまれたものだ。戦争は主に外部要因で引き起こされたし、デュプロ型経済は発展段階のひとつだった。もしいま、一体感を求めるなら、それは意図的に醸成しないといけない。しかし、どうすればできるのか、明らかではない。細分化がもたらす現象に対応するのがせいぜいではないだろうか。それで十分なのかもしれない。

細分化の影響のうち、近年多くの人が心配しているのが、所得格差だ。しかし、所得格差をなくそうとしても、激烈な向かい風が吹いている。石器時代からずっと作用し続けきた力だ。それは、技術(テクノロジー)。技術は、テコのようなものだ。仕事の種類を拡大する。そしてこのテコはどんどん長くなり、しかも長くなるスピードもどんどん速まっている。

ということは、人々が創造できる富の規模のばらつきが大きくなり、かつ、ばらつきの拡大スピードが速まっているのだ。20世紀には歴史上まれな状況が支配し、この有史以来作用し続けている基本潮流を覆い隠してしまっていた。野心ある者も、大きな組織に入るしか選択肢がなかった。軍に入れば、文字通り、その他大勢と足並みを揃えざるを得ず、企業に入れば、象徴的な意味で足並みを揃えざるを得なかった。仮に大企業が、働く人それぞれの価値に応じて報酬を支払おうとしても、どうやればいいか分からなかった。しかし現在、それを制約するものはない。1970年代に制約が崩れはじめ、それ以降は基本潮流が再び姿を現し、作用している[22]。

富を創造してお金持ちになる人も、違う方法でお金持ちになる人もいる。でも、相当数が富を創造するわけだ。そうすると、ボーモル効果がはたらき、富を創造した者の影響で、周りの者は、相対的に生産性が低くなってしまう[23]。富を創造してお金持ちになることが可能な限り、仮にお金持ちになる他のあらゆる方法を排除したとしても、所得格差は拡大する方向に向かわざるをえない。所得の低い層には補助金を出し、高い層には高い税金を課せば、所得格差は回避できる。しかし、人々が富の創造を諦めるほどに税率が高くならない限り、生産性のばらつきの拡大には、ずっと追いつけない[24]。

これまで分断の様々な面をみてきたが、生産性のばらつきの拡大による分断も、もはや回避できない。というより、歴史の流れの中では必然でしかない。永遠に続くものは何もないけれど、分断が進む傾向は他のトレンドより永く続くはずだ。なぜなら、それは何か特定の要因によって引き起こされたものではないからだ。ロックフェラーが個の時代は終わったと言ったとき、彼は100年間だけ正しかった。そして今、再び個の時代となった。こんどはもっと永く続くはずだ。


<脚注>

[17] 1980年代の敵対的買収の波は、複数の状況の組み合わせによりを引き起こされた。買収を禁止する州法をくつがえす司法判断がなされたこと。Edgar v. MITE Corp.の最高裁の判決がその皮切りとなった。レーガン政権が買収に対してどちらかというと擁護する態度であったこと。1982年の預金機関法により、銀行や貯蓄貸付組合が社債を購入できるようになったこと。SEC(証券取引委員会)が新しいルール(ルール415)を施行し、社債を市場に早く出せるようになったこと。マイケル・ミルケンによりジャンク・ボンド事業が誕生したこと。それ以前の時期にコングロマリット化が流行し、本来なら一緒になるべきでないような事業が同じ会社の傘下に収められていたこと。インフレが約10年続いた影響で、多くの上場企業の時価総額が資産価値を下回っていたこと。そして、経営が徐々に緩んでいたことも、大事な理由だ。

[18] リチャード・フォスターFoster, Richard. "Creative Destruction Whips through Corporate America." Innosight, February 2012.(創造的破壊がアメリカ企業社会を席巻する)

[19] 大企業CEOの報酬は高すぎるのかもしれない。私は大企業のことをよく知らないので、確かなことは言えない。でも、会社の売上に対する影響力でみたとき、CEOの影響力は一般社員の200倍くらいあってもおかしくない。スティーブ・ジョブスがアップルのCEOとして戻ったことの影響を見るといい。もし当時、会社の持ち分の95%をジョブスに渡したとしても、それでも株主は儲かったのだ。1997年7月、ジョブスがアップルに返り咲いた日のアップルの時価総額は17億3千万ドルだった。今日(2016年1月)のアップルの時価総額の5%だけでも約300億ドルだ。ジョブスが戻らなければ、実現しなかったことだ。それどころか、ジョブスが戻らなかったら、今頃アップルは、存在してなかったかもしれない。

[20] 1960年代終盤は、社会の動乱期だったとされる。しかしあれは反抗であって(反抗は、どんな時代でも人々を刺激すれば起きうる)、分断ではない。人々が右へ左へ同時に乖離するのが分断だ。

[21] グローバルなトレンドは、アメリカ国内とは逆になっている。アメリカでは分断が進んでいるが、世界全体としては概ねよい意味で、分断が縮小している。

[22] 20世紀半ばの時代に一代で財を成す方法はほんの少ししかなかった。主な方法は、石油を掘り当てることだった。大企業が規模の経済を効かせても、独占できるような営みではなかったので、新規参入しやすかった。税率がとても高かったこの時代、個人はどうやって富を蓄積したのか?議会で力を奮った二人の男、サム・レイバーンと、リンドン・ジョンソンが、税法の大きな抜け穴を守り抜いたのだ。

しかし、1950年にテキサスで石油王になる夢を描くのは、2000年にスタートアップを始めたりウォールストリートで働こうというのとは、意味が違った。それは、(a)地元でないと参入しにくく、(b)成功はほとんど運に左右されるからだ。

[23] シリコンバレーでは、スタートアップが引き起こすボーモル効果が非常にわかりやすい。グーグルは、社員が辞めてスタートアップに加わるのを食い止めようと、毎年何百万ドルも支払っている。

[24] 私は、生産性のばらつきだけが、アメリカの所得格差の原因だと主張しているわけではない。でも、生産性のばらつきは大きな要因であり、仮に、他のお金持ちになる方法を全て禁止したとしても、お金持ちになりたい人は自分の生産性を高めて富を創造する方法を使うだろうから、その意味で、今後も大きな要因であり続けるだろう。


(picture by Jens Hoffman)

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