妻との馴れ初め
Twitterで1いいね=1文字として妻に恋文を贈る投稿をしたことにより、最終的に約6,000文字のラブレターを書いて送信しました。妻の生活スタイルを考えると、子供達を寝かしつけたあとに大好きなハーゲンダッツを食べながら、恋文を読む姿が目に浮かぶので、私が入院しているいま、彼女の公式なリアクションを撮影できないことが残念でなりません。
とはいえ、妻に恋文を渡して大団円だと、いいねに協力してくださったフォロワーさんも納得いかないと思うので、馴れ初めだけで6,000字を書いてみようと思います。
私が所属していた早稲田大学のビリヤードサークルに、大学2年生のときに入部してきたのが妻でした。私の学年は責任ある幹部代で、新入生、特に女子大生に一人でも多く入部してもらうために、早稲田大学近郊の大学にまで足を伸ばして躍起になってビラを配っていた。
私は放送作家として社会の渦に巻き込まれながらバリバリに働いてる時期で、積極的に新歓活動に参加することができず、飲み会に遅れて参加するのが常だった。
ある新歓の飲み会。遅れてやってきた私の左隣に座ったのが妻でした。物静かで品があることはひと目で見抜いたけど、中学生みたいな容貌だし、私みたいな世間の弾かれ者とは会話が噛み合わないと思いながら通過儀礼的な質問を投げかけてみた。
「なんでビリヤードやりたいの?」
「家族で行くホテルにビリヤード台があって楽しかったもので」
「そうなんだ、頑張ってね、いつでも教えてあげるから」
「ありがとうございます」
そんな会話をしながらメール交換をサクッと済ませて飲み会が終わり、高田馬場駅周辺に群がる有象無象をかき分けながら、品のない三本締めで家路につきました。彼女のことを思い返す余裕がないくらい忙しかった私は、2次会が終わると直ぐにタクシーに乗りこみテレビ局へと向かったのを覚えている。その道中、妻からメールの着信がありました。
「今日は楽しかったです。ビリヤードを教えてくださいね。約束ですよ」
ご両親の躾があってこその自然な気遣いだなと感心すると同時に、煙草の煙でいつも曇っているようなビリヤード場に、幼気な女子大生を誘いこんで良いものかと考えながらタクシーは首都高を走っていきました。
そんな私の心配も余所に、妻は大学の僅かな空き時間にもビリヤード場に通うようになり、空間認識能力が高いのか筋がとても良く上達スピードも早かった。この時点では関心だけで一切の好意はなかった。分け隔てなく可愛い後輩の一人だった。
なぜなら、私は妻とお付き合いするまで、年上の女性としか付き合ったことがなかったのだ。年上の女性にすべてを委ねるスタイルが自分には合っていると決めつけていたので、同年代や、況してや年下と付き合う姿が想像できなかった。
当時のビリヤード場は朝10時開店の朝6時閉店というビリヤード好きには堪らない環境で、私は仕事がないときは、サークルで出来た親友と永続性を感じるくらい撞きこんでいた。仕事をしていないときは基本的にビリヤード場に居て、稀に大学に行くような怠惰な生活を送っていた。まさに青春は此処にありといった感じでとても楽しい時代だった。
ある晩、確か深夜1時くらいに妻から連絡があり、「今日はお休みですよね。ビリヤードやりませんか?」と誘われた。「いいよ、いつでもどうぞ」と気怠く返信すると電話が鳴り「今からどうですか?」と突拍子もないことを言われた。深夜1時過ぎの高田馬場に小動物を放つのは危険極まりないと思い、迎えに行くからちょっと待っててと言って電話を切り、「この子は面白い子だな」と思いながら深夜2時過ぎのビリヤード場で然して上手くもないビリヤードを熱心に教えることになった。
その一件以降、妻は、ただの可愛い後輩から特別な後輩に昇格し、メールや電話の頻度も上がっていた。そして距離感が近接してきた実感を得た頃に、当時話題だった「ダビンチ・コード」がみたいという思いが一致して、ビリヤード場の外でふたりだけで会うことになった。
確か2徹明けの夕暮れ時だったと思う。「疲れが溜まってそうですよ、ちゃんと寝てくださいね」「映画の途中で寝ちゃったら御免ね」なんて会話を乗せながら都バスで池袋に向かった。そして映画の前に早めの夕飯を食べることにして、適当なイタリアンレストランに入った。確か妻はトマトベースのパスタを、私はカルボナーラとピザを注文し、初めて対面してそれを食べた。
目の前に座る彼女は、イタリア貴族でもこれほど綺麗に食べないだろうという所作でパスタを口に運んでいく。背筋は伸ばし、椅子に深く腰掛けることなく、話すときはナプキンで口を覆いながら、ゆっくりと味わうように食べていた。後に茶道の裏千家の師範代の資格を有していることが分かり合点がいったが、ご飯を丁寧に、そして美味しそうに食べる姿に、私は心がざわついたのを覚えている。
映画は眠らずにみることができたが、内容は細切れにしか入ってこなかった。トム・ハンクスがオドレイ・トトゥと事件の解明に勤しんでいる間に、私は「この子が好きかもしれない」という感情が発芽しては摘み取る作業を繰り返していた。
「おいおい、何回か一緒にビリヤードやっただけだろ?」
「うん」
「それがなんだ、食べ方が綺麗だからって好きになったのか?」
「それが分からなくて映画の内容も全然はいってこないんだ」
そんな脳内会議をしている間にエンドロールが流れ出し、夜も遅かったので帰路につくことになった。ただ、この感情を引きずったまま池袋駅で見送るのは勿体ないと本能が察したので、妻が住んでいた目白駅まで散歩しながら帰ることにした。
何を話したかは殆ど覚えていない。ただ、一歩ずつ進むたびに、彼女の物腰の柔らかさに内包されていく自分がいて、住まいまであと数百メートルの地点で「あ、この子が好きだわ」という捺印を心臓に大きく押されたのでした。
妻のマンションが近づくと、今日という日が終わることに寂しさを覚え、「今日はありがとうございました」と深々とお礼をする妻を見送ると、自分の感情が暴発しそうなことに気がついた。
近くのコンビニで買ったお茶を一気に飲み干して「OK、クールにいこう」と熱が冷めるのを待ち、冷静を装ってみたけれど、出てくる答えは瞭然だった。高田馬場に向かう長い下り坂で妻に電話をかけた。
「どうされました?」
「今日は楽しかったなと思って」
「はい、楽しかったです。ありがとうございました」
「あのさ、突然で悪いんだけど、君のことが好きになっちゃったから彼氏に立候補させてくれないかな?」
「え~~~~!!!」
「ごめんね。今すぐに回答が欲しいわけじゃないから。気持ちだけは受け取ってほしい」
どうやって電話を切ったのかは覚えていない。ただ心臓が昂っている自分がいて、多角的に今日を振り返り、幹部代としては失格だという観点から冷静さを取り戻すことができた。100kg近い巨漢に突然の告白をされたら、恐らくサークルには2度と来てくれないだろう。サークルの幹事長に謝ろうと思いながら、家に帰る気持ちにもなれず、幹事長の家に雪崩こんだ。
「映画はどうだった?あの子、残ってくれそう?」
「わからん」
「なんか元気ないけどどうしたの?」
「すまない、ビビビッときて告白してしまった」
「え~~~~!!!」
一晩眠れば昨日の気持ちが幻想だったと思うかもしれないと思い、同期のベッドを借りて眠りにつき、目が覚めて携帯をチェックすると、妻から「明後日の昼間、講義がないのでビリヤード教えてください」と連絡がきていた。
普段は無宗派を気取っているけど、その瞬間だけはプロテスタントとして都合よく神様に感謝しました。
そこからはもう日々是告白に努めた。周りの仲間に言わせると、あれは告白じゃなくて脅迫に近かったと今でも笑われるが、それくらい必死だった。
妻も真剣に私がどういう人間なのかを見定めようとしてくれていた。私は姑息な手を使い、同期の女の子を3,000円で買収して「俺のことどう思っているのか逐一教えて」と懇願し、「脈はあるけどもう少しお待ち」との勅令を受け取り、悶々とした日々を重ねながら1週間が過ぎ去った。
5月に入るとサークル主催のお台場BBQがあった。新入生との距離感を詰めるための大事なイベントだったけど、私の第一義は「今日このお台場で彼氏彼女の関係になる」の一点張りで、肉も野菜も心地よい海風もどうでもよかった。サングラスで視線を誤魔化しながら妻への視線を怠らない。
「楽しんでますか?何かお持ちしましょうか?」
「いや、君を見ているだけでおなかいっぱいだよ」
「そんなこと言わないくださ~い。お肉持ってきますね」
今日の予定はこうだった。BBQなんていう埃を被った肉と野菜を食べるイベントは早々に切り上げて、妻をパレットタウンの観覧車に乗せて、頂上で2回目の告白をする完璧かつ横暴な計画を企てていた。「友達で乗って、恋人で降りてきた」なんて後世に伝承されるロマンチックを目論んでいたのである。
BBQが終わると片付けもそこそこに妻の手を掴み、パレットタウンに向かった。私の気持ちを把握しているサークルメンバーからの無言の「頑張れよ」を背中に感じ、気づいたら観覧車に乗っていた。
「ごめんね。無理やり連れ去ったりして」
「いえいえ、お気になさらず」
「…」
「…」
一周は16分。つまり8分後が2回目の告白のタイミングだ。買収していた後輩の「たぶん大丈夫ですよ」を心頼りに、沈む夕日を眺めながら沈黙の8分が過ぎ去ろうとしていた。そして、ついに観覧車は頂上に到達した。
「ここに連れてきた意味は勘づいてると思うけど、どうか、僕とお付き合いしてください」
「…」
「もしかして怒ってますか?」
「違うんです。あとちょっとだけお時間をください」
「わ~お」
ここで読者の皆様に伝えたいことがあります。
観覧車の天辺で告白して、保留、若しくは罰点の制裁をくらったとき、地上に戻るまで何処にも逃げ場がありません。それは両者にとってなかなかの地獄なので、観覧車には告白が成功したあと、イチャイチャするために利用することを強くオススメします。
「みてみて、フジテレビが見えるよ」
「…」
「うわ~、夕日が眩しいね」
「…」
「ホント、すんません」
それでも妻はりんかい線と山手線に揺られて一緒に帰ってくれた。2回も告白いただいたのに曖昧な返答しかできずに申し訳ないですと言われて、諦めが悪いからこれからも毎日告白します、なんて笑いながら、彼氏彼女ではなくても、曖昧な関係でも一緒にいられるだけで幸せだと感じられるようになっていました。
その日以降、私は出張の予定が重なり、妻とのやりとりは電話かメールだけになった。仕事に集中したいのに悶々が立ちこめて集中しきれず、これが恋煩いかなんて感傷に浸りながら東京に戻れる日を日永待つことになった。
東京に戻っても妻はサークルからフェイドアウトすることなく、時間を見つけてはビリヤードの練習をしていたし、私への接し方も自然体でいてくれた。それがとても嬉しくて、私のなかの焦りもなくなり、私の輪郭をきちんととらえてもらってから、3回目の告白をしようと思うようになっていた。
妻とふたりで会うことも増えたし、妻と話すたびにますます好感が増幅していくのがわかった。「この子以上の女性と巡り合うのは無理だろう」という確信めいた根拠のない思いも強くなり、3,000円で買収した後輩の「確実にOKです」という言葉を受けても、しばらくは友達以上恋人未満を楽しんだ。
でも、男としてケジメだけはつけなくてはならない。悪戯に妻を待たせるのは女性の心を弄ぶようでよくない。翌日から札幌に出張に行く日の前夜に、目白駅のマクドナルドに妻を呼び寄せて3度目の正直で深々と告白した。
「しつこい男でごめんなさい」
「そんなこと言わないでください」
「今日はなんでお呼び立てしたかわかってますか?」
「はい」
「僕とお付き合いしてくれませんか?」
「はい、どうぞ宜しくお願いします」
すべての細胞がシュプレヒコールをあげた。拡声器を使って世界中に幸福を叫びたい気持ちだった。成熟した恋心はこんなにも素晴らしい感動をもたらすのかと吃驚した。あの時食べたフィレオフィッシュバーガーの味は生涯忘れることはないだろう。それくらい嬉しかったし、結果的には人生の大きなターニングポイントになった。
こうして彼女がサークルの見学にきてから2ヶ月で、晴れて恋人と呼び合える関係になり、それが今も続いている。子供が生まれてもふたりでいるときは恋人繋ぎで散歩をするし、サプライズ好きな私はトキメキが消えないように定期的に妻が喜ぶトラップをしかけている。
そしてふたりが付き合いだした記念日は、いまもふたりで外食して特別な時間を過ごすようにしている。今年は15回目の節目の記念日になるはずだったけど、恐らく今の状態では外出許可はおりないので初めて離れ離れの記念日になってしまいそうだ。
「今年は一緒にお祝いできなくてごめんね」
「仕方ないじゃない」
「病院食でも一緒に食べる?」
「大丈夫よ、アナタが生きていることが今は嬉しいの」
あの日あの時の曲ではないけれど、観たい映画が偶々一緒で、池袋から目白までが徒歩圏内で、勢いに任せて1回目の告白をしていなかったら、どんな世界線を辿っていたのだろうと思う。
やっぱり妻を好きになったのか。年上のお姉さんに甘えるだらしない生活を送っていたのか。それは神様にしか分からないことだけど、今こうして過去を振り返って「神様仏様イエス様、みんなまとめてありがとう」という気持ちになるし、絶対に病気に打ち克つという強い意思を再確認することができました。
6,000文字まであと少しだけ文字数があるんですけど、馴れ初めだけでよくここまで書けたものだと思います。さて、きりがいいのでここで私と妻の馴れ初め話を終わらせようとおもいます。5,714文字。どんな物語もハッピーエンドにはこう書かれていますよね。
ふたりはこうして幸せに暮らしましたとさ。おしまい。
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