蝉の抜け殻

突発性難聴になってしまい、殆どの声が聞き取れなくなったいま、それでもなお、時間の隙間を見つけて私に会いにきてくれる妻子には心から感謝しています。
すべてを把握している妻と違い、現在の父親の病状をある程度でしか理解していない娘。もしかしたら気遣ってくれているのかもと申し訳ない気持ちでいたところ、実際に「私が来れば元気になるもんね」と言われてしまい、子供の成長と思いやりの心が身に沁みました。

病院の隣の公園は噴水があり、木々が生い茂って居心地がいい。茹だる暑さと時折に吹きつける風が心地よく、噴水の冷気が清涼感を送り届けてくれる。でも何かが足りない。夏のようで夏ではない何か。
そして気がついた。蝉が鳴く声が聞こえないのだ。熱風には蝉のけたたましい鳴き声がつきものだ。アイスクリームや素麺が美味しくかんじるのも、入道雲と蝉の鳴き声があってこそだ。治る予兆がみられない難聴は、蝉のいない夏をもたらして、秋の虫たちの合唱祭には間に合ってくれるのだろうか。

そんなことをぼんやりと考えながら冷えたベンチに座っていると娘が駆け足でやってきて、絶不調の身体に鞭をうって一緒に遊んじゃいました。そして木々に止まっていた蝉の抜け殻の場所を教えてくれました。
遠い昔、蝉の抜け殻を上着にいっぱいつけて遊んだなという記憶が蘇り、そうだ、あの時、母親は「全部外に置いてきなさい」って笑ってくれたことを思い出してしまった。

娘は触るのは少しこわいようで、手を後ろに組んで触らない素振り。その姿がとても可愛くて、そのあとは家族4人で、あそこにあるよ、ここにもある、ほらあっちにも、と蝉の抜け殻の場所を指さしてはケラケラと笑いあうことができました。

今日も限られた時間でしか遊べなかったけれど、そのわずかな時間で体力を90%ほど削ぎ落し、気力を120%まで持ち上げてくれる家族には感謝するしかないです。23日に外出許可がおりたので、こっそりと蝉の抜け殻を持って帰ってあげようかな。いや。それは妻にも怒られそうだからやめておこうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?