絵本作家せなけいこさんへ。
昔から武井武雄という童画家が好きだった。「自分は児童へ向けて絵をかいている」と、自分自身を画家ではなく童画家と呼んでいたのがカッコ良かった。
ぼくのルーツでもある長野県塩尻市。隣の岡谷市は武井武雄出身の地。そこにイルフ童画館はあって、墓まりの帰り道よく立ち寄った。そこで彼女が武井武雄の弟子だと知った。
彼女を調べると、長沢節が創設したセツ・モードセミナーに通っていたと記載があった。世代は違うが同窓生だ。同じ場所の匂いを知っているんだと嬉しくなった。
5年前、横須賀美術館から彼女の個展で関連イベントをやって欲しいとご依頼を頂いた。絵本作家の大先輩である彼女の企画展に参加出来るなんて光栄だと、一も二もなく引き受けた。
そこで更に、彼女の旦那さんは六代目柳亭燕路だと知る。落語家で落語研究者でもあった柳亭燕路の著、二俣英五郎が挿絵を担当した「子ども落語」は落語をテーマにした児童書のなかで最高傑作だとぼくは常々思っていた。
イベントの内容は彼女の絵本や紙芝居を披露する事。そして彼女が古典落語を題材にしてつくった絵本と題材となった落語を交互に披露する「絵本と落語の聴き比べ」となった。
これまでの繋がりやご縁も含め、日本全国探してもぼく以上の適任者はいない。そう心の底から感じていた。
そこから彼女のお宅にも伺った。「瀬名・黒田・柳亭」と書かれた表札のカッコよさは忘れられない。家のなかには絵本や児童書や紙芝居、そして落語の本が溢れていた。ぼくにとっては夢の図書館のようだった。
関連イベントはおかげさまでたくさんのお客様に観て頂くことが出来た。そして、彼女が絵本作家としてどれだけのひとに愛されていたのかを見せつけられた日々にもなった。
彼女の個展はそこから数年をかけて全国をまわり、日本中にたくさんの笑顔と感動とチョットだけ恐怖を届けた。そして、これからも彼女の絵本は日本中に、いや世界中にたくさんの笑顔と感動とチョットだけ恐怖を届けていく。
絵本作家の凄さを近い場所で見させて頂きありがとうございました。絵本作家の苦悩を、絵本作家の意味を、絵本作家の矜持を教えて頂きありがとうございまた。
越えていきます。合掌。
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