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なぜ"隣人"を愛せないのか?簡単に楽しんで人殺しができるようになる方法

毎度どうも

本日はまた発達に関連したお話です。

世界的な有名人であるキリストさんの言葉に

『汝の隣人を愛しなさい』

とあります。

でもこの教えを忠実に守っているクリスチャンは果たしているでしょうか?

こんなこと言うと怒られるかもしれませんが、キリスト以後の歴史を見れば、ほとんど守られていないと感じるのではないでしょうか?

ではなぜ、キリストの教えは忠実に守られないのか?

言い換えるのなら、なぜ僕らは"隣人"を愛せないのか?

今回はそんなことを言語認識と認知領域に絡めてお話ししたいと思います。

そしてそれに付随して、僕らはなぜ人を殺せるかも考えていきたいと思います。

ではいきましょう。

・隣人とはどこまでを言うのか?

まずキリストの言う隣人とはそもそも誰のことを言うのでしょうか?

僕の解釈では、もう解釈もクソもなく、全ての人、他者全て。だと思います。

これは前回記事でもお話した発達とも関連しますが、キリストは全人類全ての人との共同体意識があったので、隣人というのは彼にとってそのまま全ての人間であり、例外はないと言えます。

前回の記事はこちら→https://note.com/hoshimiyabi/n/nb16dab8b527c

隣人と言ったら隣人であって、例外はないということです。

でも当時の人々はキリストさんほど意識の発達はしていませんでしたから、この隣人というシンプルな言葉に勝手に但し書きをつけてしまいました。

例えば・・・

隣人を愛しなさい。ただし異教徒は別だ。

隣人を愛しなさい。ただし異民族は別だ。

隣人を愛しなさい。ただしプロテスタントは別だ。

隣人を愛しなさい。ただしカトリックは別だ。

などなどなど。

当時の人の発達レベル、というより今でもそうですが、人類の大半は自分達と違う存在を仲間とか共同体の一部とは認識できません。

そしてそんな発達の状態で、当時の教会関係者や政治関係者などの一部の人々は自分達の利益の最大化のためにこの"隣人"の範囲を意図的に狭めたり限定することで、神の名の下に戦争の起こしたりするものなんだから、今でもその影響が残っているわけです。

近代になればこれが政治的なイデオロギーにとって変わっただけで、やっていることは変わりません。

隣人という本来の意味をねじ曲げ、同じ宗教、同じ民族、同じイデオロギーの人々だけを隣人の範囲に限定することで、僕らは簡単に人も殺せるようになってしまいました。

あいつは○○主義者だから殺そう。とか、ね。


・名前をつけることで認識を変え認知を変える

そんな簡単に自分は人なんて殺せないよ!

そうお考えならば相当甘い考えです。

この隣人の定義や範囲に関する認識をコントロールすれば、あなたは可愛らしい赤ちゃんや小さな子供を楽しんで殺すことも簡単にできるようになります。

それが言語認識を操作し認知領域をコントロールする力です。

僕たちはあらゆることものに名前をつけます。

名前をつけることでそれがなんであるか認識します。

隣人という曖昧なものを別の言語に置き換えて、誰が隣人であるかそうでないのかを認識するわけです。

そして隣人以外には何をしてもいいという認識を植え付ければ殺人なんて誰でもできます。

そう、簡単にしかも楽しんで人を殺すには名前をつけて理由を与えればいいだけなんです。

・ベトナム戦争中の米軍の訓練理論

ベトナム戦争中に米軍の訓練所では、新兵たちにベトコンは人間じゃない、あれはベトコンという名前の別の生き物だと徹底的に教育しました。

その結果喧嘩もしたことないような敬虔なクリスチャンの若者をわずか数ヶ月で立派な殺人マシーンに育て上げたのです。

結果、ベトナム戦争での前線での敵に対しての発砲率は80%を超えて、誰もが知る凄惨な戦場へとなっていったのです。

ちなみに第二次世界大戦までの前線の兵士の発砲率は米陸軍の調査ではおよそ20%弱だったそうです。

使う言葉を変え、名前を変えて適切に訓練すれば、60%もの敵への殺意を伴う有効発砲率を60%も急上昇させることができてしまいます。

もちろん他にも殺人への抵抗を無くすための細かい訓練理論の工夫はありましたが、呼び方を変える、名前を変えることで敵を人間とは認識しないように認知領域へ働きかけることはかなり有効なものだったと言えるでしょう。

"右翼"とか"左翼"も名前です。

"資本主義者"も"共産主義者"も名前です。

"日本人"も"アメリカ人"も名前です。

"黒人"も"白人"も名前です。

そしてこの名前に、"これは人間じゃない"とか、もしくは"仲間じゃない"という認識をくっつけてあげれば、どんなことでも可能になります。

それは歴史を見れば多分わかりますよね?


・認知領域が戦争の舞台

隣人の言葉の定義から始まり米軍の訓練理論の話になりましたが、全ては繋がっています。

つまりは言語による認知領域の操作は、簡単にできるということです。

そしてその手法は大昔から行われており、その方法が名前をつけること。

そしてその名前に敵であるとか何をしてもいいと感じれるような免罪符を貼り付けること。

それだけで、本来は愛すべき隣人を容易く殺してしまえるようになります。

現代ではこの認知領域こそ、最も激しい戦争の舞台であり最前線と言えるでしょう。

ちょっと余談ですが、新○コ○ナウ○ル○なんてのも、名前ですよね?

もうすでに僕らの認知領域は奪われているのかもしれません・・・

・言葉を磨け

なんだか恐ろしい話をしたような気がしますが、怖いことだけ言うのもあれなんで、今後どうすればいいのかをちょっとだけお話します。

というか僕自身が心がけていることですね。

それは言葉を磨くこと。

言葉を磨くとは、自分が普段当たり前に使っている言葉、見聞きする言葉について一つ一つ再定義をすることです。

なんとなく聞いていないか?

なんとなく使っていないか?

これを常に意識して、ちょっとでも引っかかるものがあればこの言葉に関しての定義や認識をしっかりをやり直すこと。

そうすることで、他人があなたの認知領域に歪んだ認識やあなたが不利になるような認識を植え付けることを少しは阻止できるかもしれません。

まあもうすでに手遅れかもしれませんが・・・・

今回はなんだかホラー調なお話でした。

ではでは。


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