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いらないものに囲まれる僕ら。それ、本当にいりますか?

まいどどうも。

今回はちょっと前に部屋の掃除をしていろんなものを捨てた時に感じたことを軸に、僕らの人生を本当に豊かにするものはなんなのかをつらつらとお喋りしていきたいと思います。

ではいきましょう・

・20リットル×14

以前部屋の掃除をガンガンした時に、押し入れから本棚まで徹底的にやっていきかなりの量の物を処分しました。

一部は人にあげたりリサイクルショップなどに売ったりもしましたが、大半はゴミとして処分しました。

その量およそ20リットルのゴミ袋14袋分。

ここでタイトル回収ですね。

僕の住んでいる部屋は決して広くないどころかどっちかっていうと狭い方なんですが、そんな狭い部屋にどうやってこんなに物が入っていたんだってくらいありましたね。

ちなみにゴミ袋も有料なので、14袋分で560円ほどですね。

その大量のゴミを何週かに渡って処分したわけですが、その時思ったのは・・・

『なんていらないものに囲まれて生きてたんだろう』

ってことです。

捨てた物の大半は僕がお金を出して買った物です。

でも数年足らずでこうしてゴミとしてその大半を捨ててしまう現実を見て、所有の虚しさといかに物買う時に無頓着でいい加減だったかを思い知りました。

そして何よりも、その物の大半は僕の幸福度に決して貢献していなかったのです。

むしろ物が増えることで管理コストが増え、掃除の手間も増え、部屋の衛生環境の悪化にさえつながっていました。

まあこの辺は僕の管理力のなさもあるんですが・・・

とまあ、幸福に対して貢献もしていない物を溜め込んでいたわけです。

でもなんでそんなにやたらと物を買っていたのかなと疑問に思い、いろいろ考えた結果、あることがわかりました。

・煽られた欲望の果て

わかったことは簡単です。

物ばかり買う理由。それも大半が数年で手放すものや捨てるものを買い込んで溜め込む理由。

それは、現代の僕らはみんな過剰なまでに欲望を煽られているからです。

つまり、本当の欲しいかどうか関係なく、買わされているんです。

服も、車も、果ては家も。

それ、心から自分自身の基準で欲しいとか必要だと思って買ったのですか?

断言してもいいですが、違います。

持っているとモテるとか、自慢できるとか、優越感を感じるとか、果ては買うのは常識だからとかわけわかんない理由でいっぱい買っているんじゃないですか?

男は家を持って一人前、みたいな化石とすら呼べないようなゴミみたいな価値観を未だに堅持されてらっしゃる方とかも稀にいますが、まさにあれが典型です。

自分がどうかじゃなく、別の基準で将来犬小屋並みの値段もつくか怪しいような郊外の建売の一軒家を30年ローンとかで買うわけです。

持ち家の方怒らないでね。

なんでこんなことするかって、広告とかマーケティングとかで徹底的に物を買えば幸せだとか、これを持っていれば勝ち組だとか、モテるだとか、そんな感じで欲望を徹底的に煽られているからです。

その結果、不合理で自分軸じゃない意思決定がそこかしこにあって、その結果幸福度を上げるどころかむしろ減らす結果につながっているんです。

いらない物に囲まれていた時の僕は、思い返してみればいつも何かに追い立てられていてイライラしていました。

怒りっぽくて不機嫌で、くらーい顔して鬱々としている。

まあ今でもそんなに明るくはないですが。

いらない物、自分軸で選んでいない物に囲まれた生活って、ものすごくエネルギーを消費するんですね。


・いつか全て手放していく

突き詰めていけば今持っているものは全て手放してしまうことになります。

全てゴミになる。とまでは言わないまでも、ずっと手元にはありません。

つまり僕らはいつか必ず捨て去るために、必死にお金を稼いでそれを購入しお部屋のスペースにぎゅうぎゅうに詰め込んだり、毎月ローンを必死で払っているってことです。

別にだからといって何も買うなとかそういうことが言いたいんじゃありません。

全ていつか手放して、素っ裸のふるちんで死んでいくんだってことを、いつも心の片隅に置いておいて欲しいのです。

何かを買うときに、それをちょっと思い出してみて欲しいのです。

するとなんだかそこまで欲しく無くなってきたり、本当に欲しいものを見極める観察力が磨かれるはずです。

過剰な消費をしなくなり、必要以上に何かを得ようとすることをやめられるかもしれません。

きっとそうなった時に、心の平穏とやらに出会えるのではないでしょうか?

ということで、また次回。

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