コメダ珈琲店に対する畏怖と憧憬
「明日は朝から雨。散歩行けない。オレ悲しい」
感情を手に入れたゴーレム風に言ったら、妻が「それじゃあ明日は朝イチでモーニング行こうか。コメダの」という提案をしてくれた。
そんなわけで今朝は「今日はコメダに行くぞ」とソワソワしている。
僕は何故だかわからないけどコメダ珈琲店に行ったことが一度もなかった。あんなにそこかしこにあるのに、たまたま行く機会がないままここまで来てしまったのだ。
今まで入る機会は無数にあったはずだ。
コメダ珈琲店はだいたい駅前にあるイメージで、人との待ち合わせやちょっとした時間潰しを行うときはだいたい駅前であることが多かったような気がする。
ならばコメダに入店したことがないのは逆に不自然なことのように思える。
おそらく、あの看板のせいかもしれない。
あの極太の毛筆で書かれたような職人気質溢れるロゴに、ある種の威圧感を感じていたのだ。
コメダの『ダ』の崩し具合にも「ワシは型にハマったことは大嫌い(でぇきらい)じゃ!」と言わんばかりの気概を感じる。
そして『珈琲』の『珈』を豪快にキメた後、『琲』のスペーシングがやや手狭になっているのも「ワシは細けえことは気にせん!大事なのは性根(こころいき)じゃ!ガハハハ!(そして景気良く酒をあおる)」と言っているようだ。
看板に漂う器のデカさに、もはや畏怖と尊敬の念を覚えてしまう。
僕みたいなチマチマした小賢しい人間が「ちょっと時間潰すか」なんて気軽に入るなんてできなかったのだ。
さらにはこの謎の紳士だ。
コメダンディとコミカルな名を名乗るこの紳士。雰囲気がヤバい。
ゼンマイかワラビかと見まごうほどのすんごい湯気を立たせるコーヒーを、位置的に持ちにくいであろう右手で無理やり持っている。
ありえないほどつばが反り返ったシルクハットをかぶっているのかと思いきや、よく見るとそれは顔の輪郭の一部である。
この紳士はウサギかネズミのケモ耳人間の可能性がある。
そんな人物が無表情でこちらを見ているのだ。
色々おかしい。色々おかしいのに、なぜかこの紳士からは気品を感じてしまう。
モノクルのせいか。無理のある体勢で常軌を逸した湯気のコーヒーを持たされても平静さを失わない表情がそう思わせるのか。これはすごい。僕ならとてもこうはいられない。
きっと自分が人間なのかケモ耳人間なのかというアイデンティティの揺らぎに頭を抱え、とてもコーヒーどころじゃなくなっているはずだ。
このコメダンディ氏のプロ意識はハンパない。
とにかく、その存在を知りつつも今日まで入ることがなかったのは、コメダ珈琲に対して無意識に畏怖の念を抱いていたからであり、同時に自分の未熟さと知見の狭さを自覚したくなかったからなのだ。
そんな僕が今日、コメダデビューする。まるで大人になった証を得たようだ。まるで新しい世界に踏み出すよう。
そう思うと人生初の遠足のように落ち着かない。
近所のコメダに行く。
たったそれだけで心臓が高鳴る。
日常にはまだまだ新鮮な感動が隠れている。
待ってろコメダ、まっさらな新規客が、今行くぞ。
サポートされると嬉しさのあまり右腕に封印されし古代の龍が目覚めそうになるので、いただいたサポートで封印のための包帯を購入します。