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八月の帰郷。

久しぶりに、田舎のわが家に帰る。
電車から見える景色が町並みから海沿いに変わり、帰ってきたなぁと実感がわく。

帰る数日前に宮崎で地震があり、巨大地震警報のニュースがあちこちで報道されて、母に「帰るのどうする?」と訊かれて、正直……悩んだ。

わたしの田舎は海に囲まれている。
だから今回の地震がなくても、警報がなくても、そこで生きている限り、津波のリスクと恐怖は切り離すことができない。

どうするか答えを出す前に、あらためてハザードマップを確認した。
避難場所は、住んでいるときに指定されていたところと変わっていなかった。安心と……それで本当に大丈夫だろうかという疑問が同時に自分のなかでわいてきて、次は周辺の標高を調べてみた。

見た結果は、ほとんど自分の感覚と一致していた。
たぶん……このくらいの津波ならここはダメで、ここなら大丈夫かもしれないという子どものときからの感覚が、標高を表わした地図と一致していて、人の感覚ってあなどれないものだな……としみじみ感じた。

はじめて自分の住んでいた場所を俯瞰して見たことに衝撃を受けながら、頭のなかでは少しずつ冷静になっていく自分がいる。

津波の恐怖から、海から遠ざかって生活するのも選択肢の一つだと思う。
それで安心できるのなら、それが一番いいのだ。

ただ、わたしは海が大好きだし、家がある限りはそこに帰りたいと思う。
そして少しでも長く家を維持できるように努力したいし、何よりそこに住んでいる人たちとの交流を絶やしたくはない。

帰ろう。
そう思った。もし本当に危ないのなら、お父さんでも誰でも……何かしらの合図をくれるだろうと最後は神頼みな気持ちになった。

田舎の家に到着して、エアコンもない家で汗だくになりながら、片付けと掃除をした。

帰るまえに、地元の友達と合流し、一緒にお昼ご飯を食べた。

何度か……
「地震があったら」「津波がきたら」という話しをしようかと思った。
こちらから切り出さなくても、相手からしてくるかもしれないと密かに思っていた。

でも、結局どちらも話さなかった。
そのかわり、どちらともなく「わたしたち、子どものときからこうやって一緒にごはんを食べたり、お茶したりして……今も変わらなくて、幸せだね」と話した。

いつもは「変わってないよね」だけで終わる会話に、「幸せだね」がつく。
それだけで、彼女も怖いけど、覚悟しながら生きているんだってことが分かってちょっと泣きそうになった。

最後はもちろん、笑顔で別れた。
「気をつけて帰ってね」
「また会おうね」と手を振り合う。

どこにいても、災害の恐怖はつきまとう。
でも、そこがどんな土地なのかを知ることで、頭の片隅にこうなったときどうするかを考えておくことで、わたしはちゃんと自分の生活をしていけるんだと強く感じた帰郷だった。

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