見出し画像

blurred night hike

久しぶりに夜道を歩いた。
といっても、二十分ほどの距離を往復するだけ。
けれども、なにぶん視力のせいか夜目がきかない。
といって、メガネをかけるほど見知らぬ道でもない。
すべてが闇夜にぼやけ、すれ違う人は皆、すりガラスの向こうにいるようだ。
時折、通り過ぎるのは外国人ばかり。
耳慣れない言葉が、すれ違う瞬間だけ音量を増す。

以前はよく通ったアーケード街。
すっかりシャッターが下りた店ばかりになってしまったのが、夜ともなると一層無機質に閉ざされる。
街灯だけがやけに煌々として。
まるで車道を挟み夜空を天井に、がらんとしたトンネルを歩いているような。
そんな心許なさで。

道すがら、植え込みの奥にひっそりと電話ボックスが佇む。
透明な箱の中からはぽっかりと灯りが漏れて、黄緑色の公衆電話が一層チープに色づく。
昼間ならなんということもないけれど、闇の中で光る箱はどこか異界の風情が漂って。
中に入ってしまったら、もしかしてどこか別の世界に足を踏み入れてしまうのではないか。
なんてことをぼんやり考えてしまった。

見知った通りからひと筋逸れた、はじめての路地。
どこからか、香ばしい香り。
「とんかつ」と書かれた文字が目に入る。
格子戸を遮るのれん越しに、ちいさなカウンターだけの店内が見える。
平日のこんな夜だからだろうか。
客の姿はなく、店主の気配も感じない。
じつに精巧なミニチュアのとんかつ店があって、それをそっくりそのまま大きくしたら、こんな店になるんじゃないだろうか。
脂の甘い匂いに鼻孔をくすぐられ、舌の奥からじわりと唾液が滲みてくる。

人影もなく、そのくせ明るい景色はどこか嘘くさい。
昼間はごくあたりまえのものが、まったく違った様相で。
見上げると、いびつな月が浮かんでいた。



この記事が参加している募集

#散歩日記

9,979件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?