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尖ったあいつ。

連日お風呂の中を歩いているようだな、と外に出るたび思う。
それでも花も咲き、実も成る草木には頭が下がる。
湯に浸かった水中花のごとく、夕風に吹かれた花が揺れる。

芽吹きの季節はだいぶ過ぎてしまったけれど、新芽を見つけることはしばしばある。
よくよく目を凝らしてみると、黄緑のちいさな粒が色づく季節に備えていたり。
花と交代するように、木々の頂上に現れた新しい葉が光る。

ヒイラギやヒノキ類のように、葉先の尖った樹木の中に、時折異なる葉形を認めることがある。
出はじめの若芽はまるで触れたら刺さる針のような鋭さで。
そのやわらかな薄緑の色とは裏腹に、じつに攻撃的な形をしている。
一方、まわりの育ちきった葉の中には、どうかするとまるで別の植物なのではないかと思うほど丸みを帯びたものもあったりして。

人も植物も、年を取るほどに丸くなっていくものなのだろうか。
見た目はともかく、中身において、人がトゲトゲしいほどの鋭さを持ち続けるには、芽吹きはじめた頃の力が大きいのかもしれない。
「尖る」というのは、案外、エネルギーが要る。
なんだか寂しいような気もするけれど、自分もだいぶ丸くなったものだと思うときがある。



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