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彩りの日々🌿69 ☆ 自分の中のシット、イカリに向きあうとき

娘が映画にいき「たのしかったぁ〜」「先生は少しねてたけど」というので「おもしろくなかったん?」というと映画の内容がやさしく楽しかったこと、始まる時間をまちがえた話をしていたときに、自分は何かおもしろくない気がしました。
ん…?
いいな…という気持ちがよぎったようで…嫉妬だとおもいました。前は気づかなかったようで、抑えていたと分かりました。
前は気づかず、"良かったね"とか、"どんな話なん"とか聞いていたような気がします。嫉妬と向き合えてなかったようです。
今回は聞きたいとおもわないことを感じられました。そう…嫉妬を感じられ自分の気持ちを、少しコントロールできたような、分かった気がしました。

娘との距離が縮まった気はしますが…信頼関係はできにくいし、積み重ねていくものと、なんとなく分かりますが、自分はそんなに望んでいないのかもしれない気もします…信頼関係は素敵なように思いますが…分からないです…。面倒をみてくれているので、あるのかな…。


きのう雨がふったとき、ベランダの洗濯物を取り入れるか、迷いました。通り雨っぽいし…。無理したらできる気もしますが、止めました。いつもは悪化が恐くてしませんでした。

なぜか…階段をふさがないように何回か頼んでも、そのときだけで、片つけが苦手なこともあり、すぐに忘れるからしかたないと思っていますが…これって信頼関係が出来ていないことなのかも…。孫が置くカバンのこともあり、私のためによけようという気がまわらないようです。
サミシサ、イカリから逃げないで受け入れ、洗濯物は無理をして取り入れなくてもいいのかもしれません…。
娘と孫はかるいハッタツショウガイのようですが…自分も同じなのかもしれません。自分で創り出した景色を少しずつ変えていこうと思います。気をまわして取り入れても、そのときだけなので、自分のオセッカイが相手をダメにしてしまうので、気をつけようともおもいます。

そんなことを考えていたら…2回目の雨のときは、孫がいてたのですが、取り入れた様子はなく、声をかけるのもやめ、放っておきました。その後娘が帰り「洗濯物いれてくれた?」「まだ」「入れて」「わかった」で話はおわりました。前に雨が降っても洗濯物をいれてないことを怒っていたのですが…二人共忘れているようです。

この状況は自分が創り出したものですから、イライラしますが、しかたないです。今日は孫のカバンで通れなくなっている階段のことを孫に怒っていました。

よくわかりませんが…手さぐりで、自分がどうしたらいいか考えるようになりました。自分にイカリ、シット、があることを知り、会話かな?行動かな?を変えていこうと思いました。オセッカイは禁物です。


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