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彩りの日々🌿69 ☆ 共感という感覚を思うとき

娘に対して"こんな自分でわるいな"、"ありがたい"とは思うのですが、感謝に繋がらないのは…自分が手伝ってあげられないという気持ちからで、娘に対して本当に"わるいな"、"ありがたい"ではなく頭だけな気がし、まだまだ自己中なようです…。

きのうの「むずいね」は、つい出たことばで、"ホント"といっていたらいいかと思いましたが、それは嘘だから「なんとなく分かる感じ」とか言えばよかったと思いました。先日の感じたヤッカミも、私の言葉からと後から分かったのですが、言葉に気をつけないといけないと思います。
娘は会社に元取引先のクセのある人が入ってきて居ずらくなったのですが、「ちょっときいてくれる?、会社8月いっぱいまで手続上では在籍していることになっているのに、31日にはパソコン開いたら消されていた…おかしくない!?」とおこるので「よっぽど嫌われてたんやね」といったからと思います。なんとなくおかしいと思い「みんな良い人たちだったのにね」といってました。
会話の答えみたいなのを出すのではなく、共感する言葉がいいのかもしれません…「失礼やね」でよかった気がします。
娘はただ話しを聞いてほしい、喜こびなどを共感したいだけなのに、イマイチ分からない自分が居ます。

階段をおりるだけでもシンドイのですが、下を向かずに娘と目を合わせると、うんうんという感じでほほえんでいるように見えたので、うんうんと口角あげて、用事を済まそうとしたら、新しいパンフレットが目についたので、「新しいパンフレット?」と聞くと、側にきていろいろ話してくれました。話しは聞きたいのですが体力がないので、聞きながら用事をしていたら、話しはおしまいになりました。元気だったら聞こうとしても無駄口がおおくなって娘との距離は縮まらなかった気がします。いろいろ気づかせてくれる病と娘に感謝してみました。




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