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「吊るされた男」になってみてはじめて見えてくること

タロットに詳しくない方でも、「死神」や「悪魔」のカードはなんとなく知っているよという方は多いです。そして次に名前があがってくるカードが、「吊るされた男」ではないでしょうか。「死神」「悪魔」「吊るされた男」、タロットってちょっと怖い感じやミステリーさと直結したイメージなのかもしれません。


今回のタロット考察は、大アルカナ12番「吊るされた男」です。

12吊るされた男

異質ですよね。だって吊るされていますもの。この絵のように、身動きがとれない、手も足も出ない、思うように動けない、そんな様子を表しています。
けれど、その絵の人物の表情は、吊るされているにもかかわらず苦痛さがあまり感じられません。それが普通とばかりに平然としています。
「吊るされる」ことに無駄にジタバタと抵抗することもなく受け入れ、場合によっては、自ら吊るされに行くような行動もあるのです。自己犠牲や忍耐もあれば、ドMって一面もあったり。

自分がやらなきゃ家族が困る、自分が動かなきゃ仕事が回らない、自分がガマンしなきゃ相手に嫌われる…そんな自己犠牲的な要素もあれば、どうしても自分の思い通りには行かないという状況を表すことも。何に対してこのカードが出たのか。現状か?心境か?意識か?アドバイスか?でずいぶん読み方が変わるカードだなと思います。

自ら望んでか、状況的に仕方なくか、どちらにせよ「吊るされた」状態になっていてもそれにはやっぱり意味があるんです。
カードの絵は、頭(顔)に光がピカッと当たっていますが

12吊るされた男

そんな「吊るされた」状態だからこそ、ひらめくこと、気づくこと、知ること、得られることがあるんです。

運動嫌いの私は”マラソン”に全く魅力を感じません。あんなに苦しい思いをして走るなんて何で?なんて思ってしまうけれど、マラソンが好きな人は、その大変さを乗り越えても得られる体感があって、それを知っているから走り続けるのだと思うのです。その得られる”体感”のようなものは、言葉や文章で頭では理解することはできても身を持ってリアルに感じることはできないでしょう。なぜならマラソンをしていないから。マラソンをしてみて「あー、マラソンの魅力ってこういうことだったのね」とそこではじめて理解できるのかもしれません。

「吊るされた男」は、その状態だからこそ得られるもの。場合によっては、その得られるもののために吊るされるという、逆説的な部分もあったりするなかなか深いカードです。


逆位置はこちら。
一見するとこちらの方が普通に見えてしまうという不思議さも。

12吊るされた男R

吊るされてしまうのか、吊るされに行くのか、吊るされすぎてそれが普通になってしまうのか。何にせよ身動きはとれないから絶望的なイメージを持ってしまうかもしれませんね。でも、それで終わりではないのです。

この人物はちゃんと靴をはいているのです。
吊るされている縄がほどければ、すぐにでも歩き出せる状態なのです。
だからこの「吊るされた男」のカードが出た時は、歩みはちょっとストップ。でもその吊るされた男になってみて得られることに注目する時なのです。

得られることって何でしょうね?吊るされてみないとわからないのです。


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