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【短編】誰かのサンタクロース

クリスマスイブの夜、七時五十分。仕事をやっと終えた私は息をきらしながら、家の近くのケーキ屋に向かって走っていた。店が閉まるのは八時。間に合うだろうか。まだ、ケーキは残っているだろうか。

家で待っている娘の里桜(りお)のことが、頭をちらちらよぎる。

『ママ、クリスマス二人でしようね。パパは、忙しいんだもんね』

夫である久志は、長野で単身赴任をしていて、私と里桜が住む東京には、帰ってこれないそうだ。


『ほら、今年のクリスマスは平日だからさ。土日だったら帰れたんだけど、ごめんな』


『パパと、ママとクリスマス一緒にしたかったのに……』

久志に向かって電話ごしに愚痴を言う里桜がけなげで、せめて自分だけは、早く帰ってあげて、お料理をつくってケーキと一緒に食べてあげたかったのに。


「こんな日に残業になるだなんて……」

走りながら、思わずわだかまっていた不服な気持ちを、口に出してつぶやいてしまう。だけど、今日の仕事は、誰とも交替できなかった。引き受けてしまった自分を「お人よしすぎたんじゃない」と思うけれども、どうしようもない。

七時五十八分。ぎりぎりでケーキ屋のドアを開け、ショーウインドウにケーキがひとつだけ残っているのを見て、ほっとした。私の分はなくていい。里桜の分だけあれば。

そう思って、ケーキを買おうと声をあげようと思った瞬間、私の後ろでドアが開く音がした。

「あ……一個しかない」

入ってきたのは、十二歳くらいの女の子だった。里桜よりは、ひとつふたつ年上にすぎないくらいの。

私は内心「あー」と思った。これは、譲らなきゃならないだろうな。

「ケーキ買いに来たの?」

優しい口調で話しかけた。


「一個しかないから、私はいいよ。あなたが、買いにきたんでしょう」


「え、いいんですか? 先に来てたのに」


「先も何も、ほぼ同時だったから」


お店の人が私たちの話に気付き「今日はもうこれだけしか残らなくて、本当にすみません」と平謝りしてきた。ケーキを買いに来た女の子は、


「ごめんなさい、ありがとうございます。弟に、どうしても持っていってあげたかったから」

とお詫びの言葉を口にすると、私に何度も頭を下げてケーキを買い、帰っていった。

すみませんが店を閉めます、との声に私は我に返り、ケーキ屋の外に出た。さっきの女の子は走ってでも行ったのか、もう見えなくなっていた。

ケーキを買えなくて、仕方なくとぼとぼと家に帰って来た。


「里桜、ただいま」

そのとたん、クラッカーがパーンと鳴って私は飛び上がった。

「ママ、メリークリスマス」

「里桜、びっくりするじゃない」

廊下で待ち構えていてクラッカーを鳴らした里桜は、サンタガールの服装を着ていた。去年のお友達とのクリスマス会で里桜が仮装していた衣装だった。


「ママのこと、待ってたんだよ」


「里桜、ごめんね、ケーキ買えなかったの」


私は里桜にそう言って、ケーキを女の子に譲ったことを話した。


「ママはいいことしたね。その子にとっては、ママがサンタさんだったかもね」

優しいことを言う子に育ってくれた、と心が温まった。


「ママ、びっくりしないでね」
「え?」


里桜はダイニングキッチンに続くドアを、さっと開けた。食卓を見て驚いた。とりどりの惣菜がつめこまれたオードブルと、小さなホールケーキが乗っていた。


「里桜、これ、どうしたの」
「えっへへー」


里桜は笑うと、言った。


「最近ママがね、毎晩仕事で遅いって、パパと電話で話してたの。そしたら、パパが、クリスマスのために、ってオードブルとケーキ注文してくれてたの。あたしは受け取るだけでよかったんだよ」


「パパが……」


「今年は、ママのために、あたしとパパがサンタさんやろうって、そう二人で話していたんだよ」

このあいだまで、あんなに小さくて赤ちゃんみたいだったのに、いつの間にこんなに成長したんだろう。そう思って、私は思わず涙ぐんだ。


「ママ、クリスマスの歌を歌って、一緒に食べよう。あ、その前にパパに電話しようか」

里桜はそう言って、電話機の子機から久志の携帯番号にかけているようだ。


「パパー、クリスマス大作戦、成功したよ。ママ嬉しそう」


里桜は久志とにこにこしゃべったあと、私に子機を渡した。


「ママ、今年はそっちに帰れなくてごめん。二人のクリスマスはちょっと寂しいから、せめてもと思ってさ」


「ありがとう、すごく嬉しい」


「お正月は帰るから、三人で初詣行こうな」


久志のその言葉を里桜に伝えると「やったあ」と飛び上がった。

二人できよしこの夜や赤鼻のトナカイ、あわてんぼうのサンタクロースを歌って、美味しくオードブルとケーキを食べた。さんざんはしゃいでいた里桜が、疲れて寝てしまったころ、私の携帯が鳴った。久志からだった。


「美紗」


電話口の声が、心なしか弾んでいる。


「仕事終えて帰ったら、届いてたよ。美紗と里桜からのクリスマスプレゼント」


「ふふ」


私からのサプライズも、無事に成功したようだ。久志が仕事でこっちに帰ってこれないことがわかってから、里桜と二人で選んだ、万年筆だった。

私は眠ってしまった里桜の枕元に、久志と事前に相談して選んだプレゼントの箱を置いた。中身を見た里桜は、明日また、飛び上がって喜ぶだろう。

クリスマスイブの夜、たぶんみんなが誰かのサンタクロースなのだ。

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