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【小説】冬嵐 第5話「もう誰も」

第1話「拾い物」
前話「朝が来る」


十二月の総務課は、いつもに増して忙しい。俺の職場は、自宅と同じ町にある、小さな短期大学の総務部総務課だ。いまは短大の五十年史編纂の仕事に関わっていて、資料にあたる日々だった。短大図書館から持ち出した資料にふせんを付けながら、いらいらと貧乏ゆすりをしていると、今年で三年目の職員の島村咲が、俺に遠慮がちに声をかけてきた。


「矢知さん、お菓子どうぞ。副課長の出張のお土産だそうです」

そう言うと、京都の阿闍梨餅の包みを俺の机に置いた。そのまま、自席に戻りもせずに、何か言いたげな様子で、まだ俺のそばにいるので、俺は軽くため息をつくと、


「なに、まだなんかある?」


と聞いた。島村は、ぱっと赤くなって、ぼそぼそと言う。


「矢知さん、課の忘年会は出席されますか? 幹事の永田さんが、そろそろ出欠まだの人に聞いてくれって言ってます」
「何日だっけ」
「十九日の夜、グランドホテルで夜七時からです」


「――また考えて、俺から永田さんに直で返事するから」


そう言うと、島村は「そうですか……」と肩を落として、やっと席に戻って行った。


島村が、この課に来たときから、なんとなく俺に秋波を送っていることには、気付いていた。新卒で大学に入って三年目、歳は二十代後半にさしかかるころだ。――結構、面倒くさい年齢だと思う。


人の悪意に俺は敏感だが、好意にもまた俺は敏感だった。

島村は、地味ではあるが、そんなに悪くない顔立ちだと思う。あえて、いろいろこじらせている俺になど目をつけなくても、職場の外で、いくらでも相手を探せばいいのにと心から思う。俺は、自分自身の面倒な過去を持て余していたし、自分自身を新規の女にさらけだして、わかってほしいなんて、思っていなかった。


頼むからそっとしておいてくれ。誰ももう、俺の過去をほじくりかえして、中身を見ようとしないでくれ。俺は眉間を指でもみながら、はあっと今日何度目かの大きな大きなため息をまたついた。


五十年史の編纂には来年の3月発行という〆切があり、年末にさしかかった今は、あと三か月しかないという大詰めの時期で、俺は今夜も残業していた。


やっと仕事の終わりのめどが見え、俺は仕事用の眼鏡を外すと、まだ数人残っている課のメンバーに「帰ります」と言って、コートを着た。


大学の構内から一歩出たところで、ばんと背中を叩かれた。――隣の教務課で同期の相川覚がにっと笑っていた。


「いーところに、矢知が通るからさー、今日金曜だし、一緒に飲もうぜ。一人でメシ食っても、あれだろ」


一瞬ためらってから、ま、それもいいかなと思った。二人で、飲み屋街に繰り出すと、馴染の居酒屋に入る。


突き出しが運ばれてきて、生ビールを頼み、つまみをいくつか頼んだ。最初のたこわさが出て来るなり、相川は切り出した。


「やー、俺、結婚することになっちゃったわ」
「そうなんか、めでたいな」

ビールに口をつけて淡々と返しながら、かなり女好きだったこいつが、身を固めるのかと感慨深くなった。


「やー、ガキが出来ちゃったら、結婚するしかなかったわ」


そう言いながらも、相川は嬉しそうだ。


「矢知はさー、相変わらず、あれから、一人なん? 俺の元カノでも紹介したろうか」
「いらねーよ」


俺の事情を知りつつ、冗談でまぜっかえしてくれる相川のことは、そう煙たくもない。


相川に、海掃除のとき茉奈に出会ったことを話してみようかと思ったが「おまえ相変わらずのメンヘラホイホイだなー」と百パーセントの確率で返されるような気がしてやめた。


そのかわりといってはなんだが、聞いてみる。


「俺って、この先、誰かと結婚しそうに見えるか?」
「矢知がか。うーむ」


相川は腕組みをして真面目に悩むと、言った。


「神のみぞ知る、ってやつだな。お前自身にわかんねえことを、他人の俺がわかるもんか」

そうだな、と俺は笑うと、ビールを一気にぐっと飲んだ。喉が少し炭酸で焼けたように思えた。

第6話「おでん鍋」

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