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子供時代、風邪の日を何度も過ごした

一ヶ月前のことですが、私8度ちょっとの熱を出しまして。いきなりスパーンと高熱になったのです。前日寒い外を移動したので「これはいま流行りのアレか?」と戦々恐々として病院に行ったのですが、コロナもインフルも陰性で、熱は数日で下がって元通り元気になったのでほっとしたことがあったのです。

能登の親からは段ボール一杯の支援物資が届き、冷凍ハンバーグやらお惣菜のパックやらお菓子やらりんごやらが詰め合わされていて、買いものに行けない私を助けてくれました。

布団で寝るしかなかったので大人しくしていたのですが、そのとき思い出されたのは子供時代のこと。私、本当に虚弱体質で小学生から思春期のころは体調が安定しなかったこともあり、しょっちゅう熱を出して病院通いをしていました。

授業中具合が悪くなって保健室行き、もわりと多かった気もするし、親としては「この子は無事に大人になって働けるのだろうか」と心配していたと思います。

熱を出すと、市立病院に連れていってくれたのは、亡き祖父でした。私を乗せて車を出し、診察が終わるまで祖父は待合室で一緒に待ってくれていました。小さい頃よく飲まされた、オレンジの水に溶かすタイプの粉薬の味は、いまでもなんとなく思い出せる気がします。

錠剤は高校生になってもうまく飲むことができず、よくうええと吐き出していました。いまは上手に飲めるのですけどね。

家に帰って布団に入ると、父が友人の家から少年マガジンをたくさん借りてきてくれて、私は下がらない熱のなか、寝ながら週刊少年漫画を読んでいました。なのでいまでも漫画喫茶などでマガジンを見かけると、風邪を引いた子供時代の記憶がよみがえります。

社会人一年目のとき、体調不良を押して仕事に行っていたら倒れ、能登で療養することになりました。お医者さんからは「ちょっと栄養失調だね」と眉を寄せられました。大学時代も社会人のときも、ろくに自炊ができなかった毎日がたたりました。もともとの体の弱さに加えて、運動もしていなかったこともあり、行き詰ったのは必然ではないかといまは思えます。

能登で、去年鬼籍に入った祖母と、二十代のひきこもりの私は、働いている家族の料理をつくりはじめました。祖母に倣って、包丁遣いを覚え、味の薄い肉じゃがや、祖母お得意のふろふき大根を一緒につくりました。

祖母は亡くなる直前こそ寝たきりになりましたが、私と一緒に料理をしていた八十代のころは本当にかくしゃくとして元気で、一緒に車庫で体操をしたり、私の勧めた本を読んでくれたりしていました。

そうして、自炊生活を続けるうちに、体重が少しずつ増え、それとともに精神も安定してきました。少しずつ元気になるのが実感をともなって自分自身にわかるようになりました。

二十代後半になって、やっと私はまた外で働けるようになり、最初は短時間のパートから始めて、いまとなっては週4週5のフルタイム勤務も一応ですができるようになりました。じょじょに体は強くなっていったので、ゆっくりでしたが、無理のないペースで社会復帰できたのではないかと思います。

2020年の夏から2021年の秋は、夫の県をまたいでの転勤があったこともあり、家で過ごしていたのですが、そうなるとどうも逆に調子がすぐれなくなってしまいまして。

2021年の11月からバイトに出るようになったら、時間はなくなるのですが通勤のときに歩いて朝の空気を吸ったり、職場にいると人から気力をもらえる感じがして、ああ、自分は働いていたほうが調子がいいなと思えるまでになりました。

就職直前の大学生のとき「いつか倒れるんじゃないか」と未来がブラックアウトして見えました。ちゃんと社会で働けるなんて、とても思えなかった。自分のいままでの体の弱さを考えると、いまこうして元気に外に働きに出ているのが、嘘みたいです。

でもそれは、少しずつ積み上げた自炊の習慣と、社会でパートから出るようになって、働くことで少しずつ体が良くなったというその体験にあるのだと、いま自分の足あとを辿るようにそう思います。

とはいっても、一週間前にぎっくり腰になり、ようやくそれが治ったばかりなのですけどね。ストレッチや体操をよくやることで、再発を防がなければと思っています。

そんな暗黒二十代(穏やかではあったけど)を過ごしていたので、一生のライフワークといえる趣味の執筆に取り掛かれたのも、二十代ラストあたりからでした。

とにかく、体が元気でないと執筆も趣味も続けられないのだなと思います。なので、自炊の習慣はすごくおすすめですし、なんなら運動して体を整えておくことも、そこに時間をとられてしまうようにも思えますが、のちのちに強い味方になってくれるはずです。

子どものとき、風邪の日にマガジンを読みながらプリンをスプーンですくって食べたあの日から、ずいぶん遠いところまで来た気がします。

それでも、弱かった自分も甘やかしてくれた家族も、いまの自分をつくってくれた一部であるから、誰かが具合の悪いときは「よく休んで、あったかくしてね」と声をかけようと思うのでした。





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