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【エッセイ】春の大人味

先日、初めて一人で天ぷらを揚げた。生来の心配性で、揚げ物は今まで一人でやったことがなかったのだが、一緒に暮らす相手ができてこのたび初めて挑戦するという運びとなった。よし、天ぷら揚げようと思い立って、まずはスーパーへ。なすやかぼちゃなど、よくお店でも目にする野菜を目当てに行ったのだが、季節は春先、いちばんに目が留まったのがふきのとうだった。

思い返せば、子供の頃に祖母の家で食べたきり、ずっと口にしていない。記憶の中の味もおぼろげだ。春が旬の、ほろ苦い山菜ということしか、よく知らない。

子供の頃は、苦く感じたように思う。だが、私ももう三十一歳だ。いい大人である。いまならおいしく食べられるんじゃないか、と思い、ふきのとうのパックを買い物かごに入れた。そのほかにはおなじみの、かぼちゃになす、舞茸、鶏肉の天ぷらにしようと買い求めた。

夕刻から天ぷらの準備にとりかかった。母の教えにより、一にも二にも、洗い場をきれいにして何もない状態にしておく。まずはころもの準備から。薄力粉と片栗粉をまぜて水でとく。今回のころもには、卵を入れない。揚げ油を熱し、菜箸を一本さしいれ、ちいさな泡がぷくぷく出てくるのを待って、ころもをつけたふきのとうを油鍋に投じる。

順に、なす、かぼちゃ、舞茸と揚げて、最後に下味をつけた鶏肉を卵を入れたころもをつけて揚げた。鶏肉の天ぷらはとり天と言って、どうも大分県のご当地料理らしい。実家では鶏肉を天ぷらにはしないのだが、チェーンのうどん屋さんでよくあり、おいしいため、いつかつくりたいと思っていたのだ。

お皿に紙ナプキンをしいて、天ぷらを盛り付けると、食卓がいっぺんに華やいだ。大根おろしと生姜もすって、あたためただしつゆにつけていただくことにする。

同居人がちょうど仕事から帰ってきて、二人でちいさな食卓を囲む。いただきますと挨拶したあと、私はいの一番にふきのとうに手を伸ばす。ひとくち、ふたくち、噛みしめたところで、思わず口元を抑える。……苦い、とんでもなく、苦い。同居人もふきのとうを食べたあと、とても難しい顔をしていた。

ようやく飲み下すと、私は思う。ふきのとうのほろ苦さを愉しめる大人になれるのは、いったいいつなんだろう、と。なすとかぼちゃ、とり天はとてもおいしかったが、舞茸が油を吸いすぎてべちゃっとしてしまった。私の天ぷら修行も、大人になるための道のりも、まだ始まったばかりらしい。

#エッセイ

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