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着替えのときまでもうすぐ

この齢になっても、自分はぜんぜん大人じゃないな。私がそう思ったのは、ショッピングモールの床に大の字になって、泣き叫ぶ4歳くらいの男の子を見かけたのがきっかけだった。

『あのおもちゃがほしい』

『パパじゃないといやだ』

『大切にしてくれないと、ずっと泣くぞ』

うおう、うおうと泣いてじたばたしている男の子の心の声を想像して、私はつい自らを重ねた。私の心のなかにも、常に泣きわめいている小さな女の子がいる。ほしかったものを数えて、恨みがましく思い、わがままを言ってはふくれている女の子が。

ショッピングモールを出て、バスに乗り、自宅までの帰路を歩いている間じゅう、私は自分の幼さについて考えていた。誰かにそう指摘されたわけではない。

でも、さっきその男の子と、そばにいて真面目に男の子を抱き立たせて、きちんとなだめている母親を見たとき、ふいに思ったのだ。ああ、私、もう三十四歳にもなるのに、男の子と母親のどちら寄りに自分がいるかと考えたら、たぶん男の子側の心情でいるのだ、と。

私は私を、大人だと思えたためしがない。ひっくり返って泣く子供を見て、ますますそう思ってしまった。

家に帰ると、今日は土曜日なので夫がダイニングテーブルでコーヒーを淹れて飲んでいた。

「どうだった? 漢方薬局」
「うーん、まあ、薬もらってきただけだよ」
「そっか」

私と夫は結婚して四年。私は子どもができにくい体質だと産婦人科で診断され、二週間に一回薬局に通い、毎日血のめぐりを改善させる漢方薬を飲むことになっている。夫も、私の両親も子供が生まれることを望んでいる。ただ、私は周りの期待が少し重い。こんなに甘くて幼い自分が人の親になどなれるのか、とずっと疑っている。

親になる、ということに対して、どうにも腹が決まらないのだ。子供は産んだら、ひっこめるわけにはいかない。でも、そのことについてうまく話し合えないまま、私は夫と両親の期待を、どうにもできなくてのろのろと薬局に通っている。

「漢方、苦くてもちゃんと飲まないとダメだよ」

夫が茶目っ気のある表情で言う。夫は、隅から隅まで「健全」という言葉が似あうタイプで、子供を持つことに対するおそれや拒否感はないらしい。私自身、彼ならきっと子育ての負担もきっちり分担してくれるいい父親になると思っている。

問題は、私の心持ちだった。自分の「まだどこかで子供でいたい、親になるのが怖い」という思いを、持て余していることに、すべての元凶があるのだった。

もちろん子供を持つことイコール大人だと考えているわけでは決してない。独身でばりばり働いて、自身の生き方に迷いのない友達などは、本当に尊敬している。

ただ、私は今の私の生き方が好きかといったら、そうではない。こんな中途半端で、自分が本当はどうしたいかすら理解できていない自分は、好きではないのだった。


子供を産みたいかどうかという自身の気持ちを確かめることから逃げたまま、夏を迎えた。子供ができる気配はなかった。おそるおそる確かめた妊娠検査薬の検査窓は、いつも白いままだった。

ある日、美容室でふと眺めた雑誌に、テレビで見たことのある女性シンガーのインタビューがあった。彼女は人気の絶頂で結婚し、子供を産んで活動を一時休止していた。

『自分の夢のために使う時間も、もちろん大切なものですけれど、ふと、赤ちゃんを育ててみたくなったんです。人ひとりの成長にたずさわるという時間を持ちたくなった。それはもちろん、お金がもらえるわけではなくて、親業というのはボランティアに等しいことなのかもしれないです。

でも、自分のためだけに時間を使いたくなくなったという心境の変化がありました。子育てをすることで、なにかを世界に「お返し」する気持ちになっています。できたら、また次の子供も来てくれたらいいなとも思います』


お返し、と私は思わず口のなかでもごもごと呟いた。お返しというのは、育ててもらった恩を、という意味だろうか。でも彼女が言っていることは、もっと大きなもののように感じた。

雑誌の後半には、昔よく見たアニメの劇場版の映画館スケジュールがあらすじとともに載っていた。天涯孤独の主人公カイトが、頼もしくて優しい大人ロイに保護されて、一緒に旅をするアニメだった。

私はそのアニメが大好きで、小学生のときは何度も録画して視聴するほどだった。高校生のとき、またはまりなおして、グッズなども買ったこともあった。

カイトと同い年だった子供時代は遥かに昔で、自分はもうロイの年齢をとうに越したのだ、とふいに気づいて胸がしぼられた。

大人であることとは、という問いを再度喉元に突き付けられた気がした。もちろん子供を産む産まないはどちらでもいいのだろう。でも、自分はもう「誰かを守り育てられると、周りにみなされる」ぐらいのいい年齢にはなっているのだということは、自覚したいと思った。


夜、夫と二人で食卓を囲みながらつぶやいてみた。

「子供ができてもできなくても、大人になろうと思ったり、大人であることを選べる人になりたいなあと思っているところなんだ。このまま子供のままでいることを選んでしまうと、どんどんこれから生きづらくなりそうで」

夫はビールの泡を口につけながら答えた。

「そういうことは、おおいにあると思うね。――たとえば、サイズの合わない服」

「サイズの合わない服?」

「成長するにつれ、体が大きくなるだろう。そしたら、いつまでも小さい服は着ていられないよ。ぱつんぱつんで、着ていると苦しくなってしまう。無理やりそこに体を押し込めて、着続けるという手もあるけど、たいがいはもっとサイズの合う服に、脱ぎ替えていくものだよ。

考え方や、振る舞いは、服と同じ。大人になるということも、自分のいろいろな要素を、年齢を重ねるごとに着替えていくということだと思うよ」

夫はすぐに抽象的なことを言いたがるけど、今日の彼の話はなんとなく腑に落ちるところがあった。


自分は、親になれるだろうか。迷いのさなかにいた数か月前よりは、前向きな気持ちが生まれてきていた。というより、このまま何も自分に負荷をかけないまま生きるとしたら、そちらのほうが、あくまで私にとってはだけれど、幼さを助長する意味でまずいことのような気もしてきた。

雑誌インタビューで読んだ「お返し」という言葉が、また心をよぎる。あの女性シンガーは「自分のためだけに時間を使いたくなくなった」と言っていた。それはすなわち、わが子と言えど他者のために自分の時間を割く、そういう決意をしたということだろう。私にも、それができるのだろうか。


夏の終わりごろ、少し気分の変調を感じて、妊娠検査薬を使ったら薄いけどたしかに線が出た。これが、自分の思いがわからなくて迷いに迷っていた数か月前なら、不安で泣き出していたかもしれないと感じた。

まだ、気持ちはぶれている。心配で仕方ない気持ちもある。でも「母になること」「母にならないこと」をどちらも選べる自分がいたとしたら、前者を選ぶ自分になっていいと思った。いい母親になれるかなんて、まったくもって自信がない。でも、ぐらぐらと揺れる気持ちを、無理にでも収めて、顔を上げようとつとめた。

 
産婦人科の診察室で、初老の山羊みたいな先生は「うーん、これはおめでただね」と言った。その言葉を聞いたとたんに、自分のなかにわけのわからない感情の嵐が吹き荒れた。嬉しいと怖いと、正反対の色がマーブルを描いている。

そのまま帰宅して、夫の帰りを待って報告した。夫はとてもとても喜んで、まだふくらみはじめてもいない私のお腹をなでた。

いろいろなことを引き受けよう。引き受けることを選ぼう。私はそう思おうとする。自分の心のなかの、小さな女の子である自分も、大人である自分が、そっと背後から抱きしめてあげるつもりで。


けれど、次の診察で先生が不穏なことを言った。

「胎嚢(たいのう)が、作られる気配がないですねえ」

胎嚢というのは、赤ちゃんをくるむ袋だ。私がすがるように先生の顔を見つめると、先生は首をゆっくり横に振った。

「お子さん、流れてしまうかもしれません、気持ちをたしかにしていてくださいね」

先生の予告通り、それから何日か経った夜、下腹部に鈍痛が走り、トイレに駆け込むと下着が赤く濡れていた。体の力が抜けて、ゆるゆるとへたりこむ。

私が頼りなかったから、うまく妊娠できなかったのかもしれない。最初にわきあがってきたのは、自分を責める気持ちだった。

夫はいろいろ調べてなぐさめてくれた。

「妊娠初期の流産は、胎児の染色体異常が原因だから、どうしようもなかったんだよ。君のせいじゃない」

納得はできたが、重いわだかまりが胸のなかに残った。その晩は少しだけ泣いて眠った。


翌日は、夏の終わりというにはまだ十分に暑い、ぴかぴかに晴れた日だった。洗濯ものがたまっていたので、洗濯機を回して一気に洗い、干すために陽ざしがさんさんとそそぐベランダに出た。

もう、子供のままでいたいと思っていたころには戻れないかもしれないな。ふと、そんな風に思った。一度、親になることをすべて引き受けようと決めた瞬間は、私自身をどこか変えてしまったようだった。

子供服を脱ぎ捨てて、大人用の服を着る。たとえすぐには似合わなくても。

ぴんとしわを伸ばしたシャツの白さが、青空に哀しいほど映える。物干し竿に順番に、洗濯ものを並べて干しながら、ほんの少しの期間、私の体に宿って消えた小さな光を思った。



この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』7月号に寄稿されているものです。今月号のテーマは「ぬぐ」。登場人物の内面の発露や、それまで身につけていたものからの脱却が描かれた、小説6作品があつまっています。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひごらんください。



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