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小説を5年書いてみて

29歳ごろからやっと少しずつものが書けるようになってきたと思う。それはほぼnoteで書かせてもらっていたおかげなのだけど、5年間ものをそれなりに書いてみて気づけたことは「小説や文章を書くのは、自分の人生でどうしてもやりたいことだけれど、普通のお仕事や、家庭生活と並行しながら、ゆるゆる上達を目指すのが、自分の人生に合っている。それらを放棄して小説を書くこと一本に人生を賭けられるほどの適性は自分にはない」ということでしょうか。

これは、5年書いてみたから気づけたことだと思います。ぜんぜん書いてなかった若いころは「自分にはプロ小説家としてのすごい才能があるはず」と真剣に思っているのですよね。書いてない人ほど大言壮語というか。

でも、実際書いてみると、ガンガンガンガン壁にぶつかるんですよね。何万字もするする簡単に書けないし、空想も苦手なほうだって気づけたし、調べものもあまり得意とはいえないし、自分のやりたいことと、自分の真の適性って違うんだって思い知りました。

いまはやっと趣味で楽しめるほどにはなりましたけど、同世代のプロの方の作品を見ると、その技術の高さに打ちのめされますね。明らかに、自分とは、段階が違う。違っている。

こういうこと書くと「ネガティブ発言よくない」って思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとっては「自分の才能のかたちとサイズ」が5年という時間ある程度小説と向き合ってみてわかったので、すごく良かったことなんです。決してネガティブ発言じゃないんです。

それらは、ある程度時間をつぎこまないと気付けなかったことです。それがわかっただけでも向き合ってきてよかった。

だから、なんでも興味あることに取り組んでみるって大事だと思う。そして、一度取り組みはじめて「あ、好きだな」って思えたことは数年続けてみるのがいいと思います。

これからももちろん、小説を書いていきます。紙の本もkindleも作るし、いいものができたら、賞に応募することもあると思います。

だけど小説のみで口を糊するほどができるほどの幸運って、この先ないと思って、人生設計していきたいです。もっと早くしとけって思う人もいるかもしれませんが。小説のみで食べている人たちの、才能のすさまじさを、自分で書いてみたこの5年で、改めて知ったように思います。

働いて、家事して、子育てして。そういう市井の人の当たり前の生活を、昔はなんとなくしたくないなあと、不遜にも思っていました。自分は芸術家だから、芸術のことだけ考えて、霞を食って生きていきたいなあなんて、甘っちょろいことを思っていました。

でも、今は、市井の人の当たり前の生活の尊さも、プロで小説を書いている人たちの凄さも、同時にわかります。自分がそのどちらでもない、中途半端な存在なことも。

この5年小説のことばかり考える日々だったので、ちょっとひとくぎりというか、飯のタネになりそうなことにいろいろチャレンジしたり、趣味を増やしたり(手芸とか園芸とかやりたいこといろいろ)、人生や暮らしを充実させていきたいと思います。

これからもnoteでいろんなことを書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。







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