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【連載小説】梅の湯となりの小町さん 4話

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やっぱなあ、と笑う昌太くんに、私は口をとがらせた。

「居候が迷惑だって言われたから、出ていきますって言っちゃった。売り言葉に買い言葉だったのは否めないけど。それに、私の顔が嫌いなんだって。なんでそんなひどいこと、言われなきゃなんないの?」

花恵さんの言葉の理不尽さを思い出して、私は言いつのった。昌太くんは「ははあ、なるほど」とつぶやく。

「紘加さん、姉貴さ、いまごろ銭湯で汗流して戻ってくるから、会ってみなよ。なんでそんなこと言われたのか、すぐわかるから」

「ーーはあ」

ほんとうによくわからない家族だと思いながら、私は肩を落とし、昌太くんのあとについて台所に戻った。

はたして冷蔵庫のなかにはタッパーがいっぱい入っていて、私は昌太くんに言われるがままに中の作り置きおかずを皿に盛りつけ、ひとつずつレンチンしていった。それにしても、どれもすごく彩りも栄養バランスもよくて、美味しそうなおかずだった。

「これ、みんな佳代さんが作ってるの?」「そうだね。母さん、なんでもてきぱきしてっから、こういうの作っておくのは苦にならないみたい」

昌太くんが箸をテーブルに並べ始めたところで、花恵さんが低い声で「ただいま」と言って台所に姿を現した。さっきの昌太くんの言葉「なんでそんなこと言われたのか、すぐにわかるから」が気になり、そっと彼女に視線をやった私は、心の中で「うえっ」と思った。

花恵さんは、顔全面に保湿用の白いフェイシャルシートをぴっちりとはりつけていた。声に出さないが、怖い、としか思えない。昌太くんの爆笑の声が響き渡った。

「姉貴さあ、いつもの風呂上りはただ化粧水と乳液しかつけないじゃんか。今日はなんで、パックしてるんだよ。まさかその姿で、外から歩いてきたわけ?」

「うるさい、昌太」

昌太くんの質問を切って捨てると、花恵さんは席についた。そのまま、自分用のご飯茶碗にごく少量のごはんを盛り付けると、さっさと一人食べ始めた。

「あのさあ、いただきますくらい、全員で言おうぜ」

昌太くんがたしなめたけれど、花恵さんは意に介さない。仕方ないので、私と昌太くんもごはんを盛り付けた。昌太くんは大盛り、私は普通の量を。いただきます、と手を合わせてとりあえず食べ始めたが、花恵さんががんとしてしゃべろうとしないのと、昌太くんが食べるのに夢中なので、無言の食卓にしかならない。

佳代さんのつくったおかずたち――甘辛いタレがかかった鶏肉のチャーシューや、和風で優しい味のマーボー豆腐、わかめともやしのナムルや、ネギとしらすいり卵焼き――は、すごくどれも美味しいのに、食卓が静かすぎて味気ない。

実家の、父と母と一緒に囲む食卓は、いつも笑いが絶えなくて、みんなが今日あったことを口ぐちに話していて、すごくほっとしたのに――。いまのこの冷えた時間との落差がすごくて、つらかった。食べ終えた私は、自分の分の皿を洗ってしまったあと、腹を決めて二人に告げた。

「私、部屋で勉強します。もちろん、二畳だけしか使いません。出て行く手続きはおいおいやっていきますので、いまは新学期の授業に向けて、準備します」

昌太くんがのんきな口調で「おー、がんばって」と言ってくれた。予想通り、花恵さんからはなんの返答もない。こっちを完全に無視している。私のなかで、なにかがぷつんと切れた。たぶん、あちらが強く出るなら、こちらも強くいようとしないと負けてしまう。

必死にこなした受験勉強の果てにつかんだ合格切符。私は、これからの四年間、学べる環境をもらえたのだから、一にも二にもまずがんばらなくては。

黄色く褪せた畳の部屋に戻る。二朗叔父さんに案内された当初は、ひどく狭く思えた二畳だったが、いまは「意外とスペースあるよね」と思えるようになっていた。

ガラガラと道すがらひっぱってきたキャリーケースを、横倒しにする。もちろん、机がわりとして使うのだ。キャリーの中から取り出したのは、ボロボロになった一冊の福祉社会学の専門書だった。本のいたるところに付箋が貼ってあるこの本は、私の宝物だった。

高校一年生のとき、ボランティア部で活動していた私は、学校図書室で一冊の本と出会い感銘を受けた。著者の山原雄次郎先生は、福祉社会に基づいた街のデザインについて専門にしている教授で、その本を読んだときから、この先生の授業を受けてみたいと強く思った。それで、山原先生が教鞭をとりゼミを開講している大学を第一志望として、落ちたら浪人も辞さない覚悟で受験したのだった。

結果は、サクラサク。こんなに嬉しいことはない、と意気揚々と上京してきたのだった。ぱらぱらと、付箋だらけの山原先生の著書を読み返していると、お腹にみるみる闘志とやる気が湧いて来た。

受験勉強のときに使っていたこれまた書きすぎてボロボロのノートを取り出し、続きの白紙部分に、大事な本の内容をまとめ直していく。私、小町紘加はやっぱり真面目がとりえなのだ。というか、それしか長所がないのだから、十全に活かさねば。

そのまま作業に没頭して、気づけば三十分が経っていた。ふすまが静かに空く音がして、振り向いた私は心のなかで(ひえっ)と叫んだ。そこにいたのは、さっきの花恵さんと同じ服装の――まったく違う顔の女性、だった。正確にいえば、ばっちり決めたメイクを落としたあとの――素顔の花恵さん。その顔立ちは、はっきり言って私とそっくりだった。

(――私、あなたの顔、あまり好きじゃない。細くてつり上がった目も、低い鼻も、薄いくちびるも――)

さっき彼女に投げつけられた言葉の意味を遅まきながら理解する。花恵さんが私の顔が嫌いだと言ったのは、要するに自分の素顔が嫌いだということだったのかもしれない。

「あの」
「なに」

つっけんどんな態度は相変わらずで、花恵さんは押入れを開けると自分の分の布団を取り出した。さっさと花恵さんのスペースのほうに敷いて、どさりと寝転がる。

「――いえ、なんでもないです」

何を言いたいのか自分でもわからなくなってしまって、一旦言葉を引っ込めると、花恵さんがこちらを見ないままたずねてきた。

「紘加さんは、メイクしないの」

思いもよらない質問に、戸惑った。高校生のときまでは、化粧禁止の校則をきちんと守っていたのと、周りの友達もほとんどすっぴんの子ばかりだったので、いまだにそういうスキルはない。でも、東京駅から名村家に来るまでのあいだにたくさんの若くて化粧をしている子を見てびっくりした、というようなことをとつとつと、私は語った。

花恵さんは聞き終えると、ぽつんとつぶやいた。

「いいね、自信があって」

嫌味なのか? と一瞬思ったけれど、それ以上にどこか寂し気なニュアンスも感じ、改めて花恵さんにどう接したらいいのかわからなくなる私だった。でも、とりあえずいまが会話するチャンスなのだということは、事実だ。

「花恵さんは、会社員――ですか?」
「何も聞いてないんだ。バイトしながら、ネイルの専門学校行ってる」
「ネイルって、あの、あれ、爪に塗る……」

「そう」
「器用なんですね」
「たぶん、そうなんじゃない」

また、投げやりに適当に返された。でも、小さな爪の先にこまかな模様を描くだなんて、不器用な自分には到底できないことだ。邪険にされている以上、尊敬するだなんてとても言えないけれど、花恵さんには自分にないものを持っている人なのだと理解した。

花恵さんは、ごろりと私に背を向けた。私にそっくりな素顔を隠すようにして。ゆっくりと、名村家に来て一日目の夜が更けていく。私は、花恵さんが「電気消して」と言うまではと、再度ノートのまとめ直しに意識を向けた。

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