日常をおもしろがれる力のこと
村上春樹さんが、読者からの質問にこう答えていたのを見たことがある。うろ覚えなので、細かいニュアンスが違ったらごめんなさい。
いまの会社の仕事がおもしろくなくて、このまま人生が過ぎていくのがいやだという質問者に、村上さんは「いまの仕事をおもしろがれるようになるか、仕事を替わるかどちらかですね」と答えていた。
その答えに「ほう」と思ったのを覚えている。
私も、若かったころは、娯楽以外のことをみんなつまらないと思っていて、だから娯楽を作る側に回りたかった。
高校生のころは「授業つまんない!国語しかわからない!」と、隔週号の少女マンガの続きだけが楽しみだったし、就活のころは「会社員が安定しているから会社員になりたいけど、事務も営業もどちらかといえばしたくない」とのたまって、叔父に「あんたバカじゃない」と突っ込まれていた。
でも、こうして、ものを書くことをささやかながらなりわいにしてみると、目の前の一見つまらないことを楽しむ力や、目の前の仕事をおもしろがる力が、いかに大切か身に染みてわかる。
ものを書く、ということは、目のまえの現象をよく観察して、自分なりの尺度や視点でまとめなおすことだ。エッセイだって小説だって論文だってそうだ。
世界に対する観察眼が必要だし、それは「家事つまらない!仕事つまらない!美容やりたくない!料理もしたくない!」とイヤイヤばかりの態度では、そのものに対する本質にはぜんぜん迫れないのである。
私はお皿洗いが苦手なんだけど、お皿洗いを「つまらない」と思ってやるのと「せめておもしろがろう」とゲームみたいにとらえてやるのでは、まったく仕上がりも向き合う気持ちも違う。
世界をつまらないことだらけにしてるのは自分じゃないのか!?ってときには、振り返ることが必要だと思う。
そして、作家はたぶん「世界の現象を面白がる力」なしには、やっていけそうにないことに気づいて、おそれながらもわくわくしている。
面白い文章を書く人は、日常のどんなささいなことでも、めちゃくちゃ面白い作品にしてくる。
願わくば、私も、そういう力を身に着けたいと思う。
世界を「つまんない」と一刀両断にしていては、エンタメも、文学も、おもしろいものはなにもつくれないと思う。
世界に、社会に、人に対する興味が、あなたに作品を書かせてくれる。
仕事、しよう。
家事、しよう。
人と、関わろう。
目の前のことを、おもしろがろう。
そういう心構えで、私は作品を編んでいきたい。
さて、連休始まってますが、7/8にPHP文芸文庫から「金沢 洋食屋ななかまど物語」という小説が発売されました。
コロナで本屋さん、行くの怖いなって方には、電子書籍もありますよ。
みなさんに、お楽しみいただけると幸いです。
作品発売の経緯を書いたnoteはこちらです。
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