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【小説】別れのための僕の仕事

街灯のオレンジ色が雨ににじんで、夕闇のなか少し遠くに浮かび上がっている。運転席のハンドルを握っている先輩社員の今井侑平に、熊沢真悟はつい聞いていた。


「今井さんは、なんでこの仕事で働こうと思ったんですか」

真悟が今井と乗っているのは、遺体引き取りのための専用寝台車だ。さきほど夕方五時ごろ、遺族から連絡があり、七十代の父親が病院で息を引き取ったから、一連の葬儀をお願いしたいと連絡があった。それで、今井と真悟が二人して、遺体が安置されている病院へと向かっている。二人とも、黒いスーツに黒いネクタイを締め、白シャツに白い手袋をつけている。セレモニーアテンドをするにあたっての正装だ。


真悟は二十七歳、今井は三十四歳だ。真悟は昨年の夏、転職して葬儀社に就職した。先輩社員である今井からは、いろいろなことを教わっている。家族が急に亡くなって、取り乱している状態の遺族との電話応対で気をつけることや、会葬者への飲み物サービスのこと、葬列者への案内の仕方など、多岐に渡る葬儀社員としての仕事を彼にたたきこまれた。

今井は、雨粒を寄せながら動くワイパーを眺めながら、んん、と声をもらした。


「なんでと言われても、自分じゃよくわからんな。でも、この世に生きてるやつって全員死ぬだろ、いつかは」
「はい」


「誰かは、そういうことに四六時中向き合って、生から死へ送ってやる役目のやつが要るんだよ。俺は、そういう役目を引き当てたんだと思ってる。てか、じゃあお前はなんで葬儀社に転職してきたんだよ」
「うちから通いやすいからです」
「へ」


今井の鼻からへんな息がもれる音が聞こえた。


「最近の若者はよくわかんねえなあ」

今井がそうつぶやいたきり、運転に集中しはじめたので真悟も黙った。ホームページでは「人生の卒業式」だとか「心に残る感動の葬儀を」などと、きれいな言葉で飾った葬儀社の宣伝文句が並んでいるが、死を扱う仕事ということには変わりない。

やがて、市で一番大きい総合病院が見えてきて、今井は裏口に車をつける。遺体はもう病室から霊安室に運ばれていると聞いた。いまから引き取り、葬儀所の安置所に運ばないといけない。

待ち合わせをした霊安室に、遺族で娘だという衣川朝子という女性は待っていた。顔立ちから、三十代後半と思われるのだが、頭のはしばしに染めていない白髪が見えた。


「今日はお世話になります」
そう言って今井と真悟に頭を下げた朝子を見て、今井が名刺を取り出す。


「このたびは、心よりお悔やみ申し上げます。私、しらかわ葬儀社の今井と申します。どうぞよろしくお願いいたします。葬儀についてのご希望など、なんなりとおっしゃってください」


真悟は、今井が職業柄身に着けている「相手を慮るようなかすかな微笑」を浮かべたまま、応対をしていることに感心する。葬儀社はサービス業のひとつといっても、家族を亡くしてすぐの相手に、満面の笑顔で応対することは不正解である。今井はそれをよくわかっている、と思いながら真悟もわずかに口の両端を引き上げた。――表情をつくるのが難しい。


「死亡診断書は、もう」

今井が言うと、朝子はうなずいた。


「はい、担当医の先生が書いてくださいました」

それでは、と真悟は今井と一緒に霊安室に入った。面布を顔にかけられた遺体は、男性にしては小柄なものだった。膵臓がんで亡くなったと事前に聞いていた。


「また、葬儀の打ち合わせをしますので、こちらが僕の電話番号になっておりまして」

朝子に説明する今井を見ながら、自分はこの仕事を続けていけるだろうか、と真悟はつい自問した。


「音楽葬を、やりたいんだと」

翌日、朝子からの電話を切ると、今井は真悟に向って言った。


「音楽葬、いままで今井さんもやったことありますか?」
「うーん、どうだったかな。好きな歌手のⅭⅮ流すとかは数年前にいちどやったのを覚えてるけど、なんでも、故人の友人の女性に、バイオリンを弾いてもらいたいんだと」


「その人はなにかプロのバイオリニストなんですか?」
「いや、そうじゃなくて一般人らしい。ただ、故人とは仲がよく、同じバイオリン教室に通っていたそうだ。故人は妻に先立たれているが、そのバイオリニストは、娘の朝子さんいわく『父の親友』だったそうだ」


「はあ、なかなか複雑な関係に思えますが」
「熊沢。男女の仲だけを想定するな。世の中にはお前の知りえない、いろいろな関係性がある。打ち合わせに、朝子さんと一緒にそのバイオリニストも同席するらしいから、あまりうがった見方をするな。顔に出すな」
「……はい」


真悟はうなずいた。今井はこういう遺族への思いやりや気遣いが、徹底している。いままで真悟がかかわった葬儀でも、腹違いの兄弟が遺産をめぐって、打ち合わせ中に一触即発の気配になったりしたことがあったが、今井はそのときも上手く場を収めていた。

仕事を終えて、真悟が家についたのは二十一時だった。


「ただいま」

そう小さな声で言うと、真悟は内鍵をかけて靴をぬぎ、キッチンへ直行した。真悟の母である美津子は、予想どおりに、ダイニングテーブルの上につっぷして寝ていた。安い発泡酒の匂いがたちこめている。


「あー、また、こんなところで寝て」

真悟はため息をつくと、美津子を揺り起こした。


「ここで寝ないで。寝室へ行ってよ、母さん」

美津子は、三年前に夫である真悟の父が、外に女をつくって出て行ってから一気に酒量が増えた。自分より十五歳も若い愛人のもとに、夫が走ったのが許せなかった美津子は、したたかに昼すぎから毎晩飲むようになり、だんだん規則正しかった生活が崩れていった。れっきとしたアルコール依存症といって間違いない。

壊れてしまった母を、真悟は持て余していた。本当は、自分が休みの日などにちゃんと医療機関に連れていかないといけないのだ。しかし、葬儀社の仕事は気力が削られることも多く、休みの日はついだらだらと休息をとってしまう。こんなことじゃいけないんだけどな、と思いながら真悟は、ようやく目を覚ました母を寝室へと追いやった。


数年前まで、ちゃんと真悟には美津子がつくった手料理が用意されていたのだが、ダイニングテーブルの上に並んでいるのは、美津子が朝スーパーで買ったお惣菜の残りだ。どれもこれも美津子の箸がつけてある。

母は病気なのだ。不満であるなら、自分で自炊すればいいことだ。

そう思ってはいるのだが、なんとなく釈然としないものを感じる。

そもそも、あいつ――父親が、美津子を捨てさえしなければ、自分だってそのとばっちりには合わなかった。慰謝料もろくにとれなかったので、今現在美津子を養っているのは真悟である。この暮らしから出ていきたいと思いながら、自分が出て行って母がどうにかなるのが怖い。

いつも、堂々めぐりだ。本当は真悟もお酒が好きだったが、母の廃人ぶりを目の当たりにして、飲むのが怖くなった。帰り際、コンビニで買ったおにぎりと、ペットボトルの麦茶を取り出して、真悟は母の食べかけのお惣菜を口に運んだ。


衣川朝子の父の音楽葬は、しめやかに執り行われた。朝子の父の友人のバイオリニストで、演奏を披露したのは、越川姫子という女性で、五十歳だということだった。朝子の父とは、二十近く年齢が離れている。それで、――親友、とは。


真悟の頭のなかに、今井にされた忠告が浮かんだ。


(うがった見方をするな)
(世の中にはお前の知りえない、いろいろな関係性がある)


真悟は自分の中の邪推を、振り払うように頭を動かした。

はたして、姫子の演奏はすばらしいものだった。「愛の挨拶」を堂々と弾きこなし、一般人の演奏にはとても思えない。葬列者たちからも、惜しみない拍手が送られた。


弾き終わると、姫子は葬儀場からバイオリンを抱えて、控室のほうに戻ってきた。真悟はそのとき控室で、お茶の湯のみを片付けていたので、控室に飛び込んできた姫子と偶然目が合うことになった。――姫子は、うっすら泣いていた。


「ごめんなさい、壮一さんがもういないのだと思ったら、急に泣けてきちゃって」


壮一とは、朝子の父の名前だった。真悟は、曖昧にうなずいた。これを聞いたら、今井に「立ち入るな」と叱られるのがわかりながら、真悟は姫子にたずねていた。


「故人の方に、よくしていただいたんですね」

姫子は一瞬、目をぱちくりとさせて真悟を見た後「お恥ずかしい話ですが」と続けた。


「じつは、私も、夫を四十代で亡くしまして、同じく奥様を先に亡くされた壮一さんと、とても気が合ったのです。バイオリン教室で知り合った壮一さんはなんども『越川さんを一人ぼっちにするなんて、越川さんの旦那さんは、なんてけしからんやつなんだ』と何度もおっしゃってくれました。

壮一さんの奥様についても『俺を置いていくなんて、薄情なやつだと思わんかね』といつもぷりぷりしていて。だから、今日は壮一さんが、やっと奥様に再会できたと思うと、悲しいのに嬉しくて」


真悟は殴られたように(そうだったのか)と思った。同時に、母にもそういう風に親身になって一緒に怒ってくれる人がいたらよかった、としみじみ感じた。自分でもよかったのだ。へんにクールぶらないで、平気な顔をしないで、母と一緒になって父を罵倒すればよかった。そうしたら母が救われたかはわからないが、少なくとも今よりましだったんじゃないか。


葬儀がすべて終わり、会場の片づけをしながら真悟は司会を終えて戻ってきた今井に話しかける。


「今井さん、僕、この仕事を続けようと思います」
「なんだ。やめる気だったのかよ。――て、冗談だよそんな顔すんな。期待してるよ、若者」

今井は真悟の肩をぽんとたたくと、背を向けた。今日も帰ったら、母は酔っているだろう。つっぷして寝ているだろう。けれど、せめて袋ラーメンでも煮て、美津子と一緒に食べようか。そんなことを思いながら真悟は、白手袋を外した。

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