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夏草(2)

宮がふっと目を開けると、柔らかいとはいえない布団の感触がした。かつがれたまま気を失ったことまで思い出し、はっと身を起こして周りを見渡すと、近くの囲炉裏の側に、年を召した老僧が座っているのに気が付いた。

「目が覚めたようですな」

柔和な笑みで話しかけてきた老僧に、宮はたずねた。

「あの、私、なにがなんだか。ここは、どこなのでしょうか」
「ここは、村井の荘のはずれの、長楽寺というぼろ寺ですよ」
「ちょうらく、じ」
「ぴんとこないでしょう。あなたのいたお屋敷からは、だいぶ遠いですからね」
「あの、私、二人組の男の人にさらわれたんですけど、今、彼らは」
「じきに戻ってきますよ。今は魚を獲りに、川へ」

二人が戻ってくると聞いて、身をかたくした宮に、老僧は「ほっほっ」と笑った。

「そんなにかまえんでもよろしいかと。あの二人は、そんなに悪党ではない。話をさっき聞いたところ、本当はあなたを捕えて献上するつもりだったのだけれど、情が動いて、つい連れ逃げてしまったと言っておりましたぞ」

宮ははっと口をつぐんでから、とても心残りがあるように言った。

「わたくしは、あの場で死にたかったのに。そうすれば、父様と母様の元へ行けましたのに」
「わしは少々霊力をもっているのですが」

老僧は少し間を置いて言った。

「あなたは、今死ぬようなお人ではない。きっと、お役目があると見た。自分を信じて、もう少し生きてみたら、いかがですか」

宮が押し黙っていると、外から草の踏み分ける音がして、魚獲りに出ていた二人が帰ってきたのがわかった。寺の縁先から、二人ははだしのままあがりこんできて、宮と僧が座っている姿を見ると、まず弥十郎が口を開いた。

「その服装のままだと、すぐにばれるな」

宮はたしかに、屋敷からさらわれたままの恰好だった。夏用の薄物の単であったが、一目で高貴な身分とわかるような良い生地でできているので、見とがめた人はどこぞの姫君だと思うだろう。

「和尚、何か着替えの服はあるか」
「おぬし、無茶をふるな。うーむ、この寺で世話している小僧の母君から、村人の服を借りられるかもしれんな。ちょっと待て。頼んでこよう」

老僧がそう言って囲炉裏端から寺の裏手へと出て行くと、あとには宮と、弥十郎と佐吉が遺された。佐吉が今度は口を開いた。

「姫様の名前は、なんというのですか」

答えたくなかったが、佐吉の言葉づかいは、身をわきまえているものだったので、宮はしぶしぶ口を開いた。

「みや、と言いますが」
「良いお名前ですが、それも替えたほうがいいでしょう。見とがめられず、これからも逃げ続けるためには」
「だれが、だれがあなたたちと逃げたいと言ったのですか。私は、ただ、何もわからず、さらわれてきたのですよ。なぜ、誰もわたくしがどうしたいか聞いてくれないの」
「なら聞くが」

弥十郎が言った。

「死にたいのなら、今俺が切ってくれよう。ただ、本当に、望みはないのか? この世でやり残したことはないのか?――俺自身は、いくさの日々に厭いて、いっそ一番ばかげたことをしでかしてから、誰にでも殺されようと思った。なにかして、名を挙げたかったんだ。でも、宮姫を見て、本当に、姫が死ぬしか道がない、と信じているのを見て、そんなはずはないと思った。くだらなくてはかない、阿呆みたいな世の中だが、もう少し、宮姫は、いろんな世界を見たほうがいいと思った。本当に死にたくなったときは、いつでも俺が切ってやる。だから、もう少し、俺たちと、旅をしていかないか」

宮は目をまるくして、弥十郎の言葉をただ聞いていることしかできなかった。

(続く)

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