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【小説】移る季節に

大学院に進んで一年目の夏、日々実験と観察に追われながら、レポート記録をつけている私に、同じ研究室の菊ちゃんが声をかけてきた。

「小島さんも、飲み会来ないー?」
「飲み会?」

観察記録のノートから顔を上げてけげんな顔をした私に、菊ちゃんは重ねて言った。

「というか、社会人の人との合コンなんだけど、人数が足りないから、小島さんもどうかなって」

きれいにつけまつげでふちどられた目をきらきらさせて話す、菊ちゃんこと山下菊乃は、男女の比率が9:1の生物科学のゼミの中で、唯一私と同じ女子だ。が、彼女は化粧をきれいにしていることからもわかるように、とても女子力が高い。化粧もあまり得意ではない私が彼女と一緒に行ったとしても、引き立て役になるのが目に見えていた。

「ごめん、今日は、ちょっとこの記録、つけてしまわないと。夜までかかりそうだし」
「そっかあ。じゃあ、サークルの子誘うわ。忙しかったのにごめんね」
「ううん、こっちこそ」

そそくさと謝って実験に戻ると、菊ちゃんはさっさと研究室を出て行った。遠ざかっていく足音が聞こえた。

合コン、というだけで、身がすくんでしまった。さっきの菊ちゃんの、抜けるような白い肌だけが、目の奥に残り、私はため息をついた。

私には、小さい頃からアトピーがあって、それは大学院生になった今でも治っていない。

首すじから伸びたアトピーの痕は、顔にまで這い上り、どう見てもきれいな肌ではなかった。菊ちゃんが、素直な気持ちで、私にも彼氏ができるように、誘ってくれたその気持ちに、裏がないことはわかる。でも「彼氏いないの」とか「恋をしないの」という言葉には、内心反抗していた。

お前ら、アトピーじゃないだろ。なったこと、ないだろ。私のぼろぼろの肌を見て、引くくせに、安易に彼ができるとか、言うな。

心のうちの毒づきは、発声されることはなく、私のお腹の中に沈んでいく。小さい頃からのぼろぼろの肌は、私にとって、一番のコンプレックスだ。だから、どうしても、人と深く関わりあうのが怖かった。この人は目の前で笑っているけど、本当は私を見て引いているんじゃないか。そう感じる気持ちを、どうしても消せなかったのだ。

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控えめに、矢倉先生の部屋のドアをノックする。どうぞ、という返事が返ってきたので、私はドアを開けた。くるりと椅子を回して、私のほうに向きなおった先生に、私は今日の実験結果のレポートを渡した。

「ありがとう、遅くまで、いつもお疲れさま」

不意にそう言われて、ほっとする。矢倉先生は、三年前からこの大学で教鞭をとる細胞生物学専門の非常勤講師の先生で、三十代半ばくらいの齢だ。短い髪に、薄い眼鏡がよく似合っていた。研究室の中は資料の紙があちらこちらの棚につっこまれて山をつくり、本棚からはいまにも詰めこまれた専門書がなだれ落ちてきそうだった。うっすら、コーヒーの匂いがただよっていた。

「先生、この間聞かれた進路の話ですけど」

私は先生に声をかけた。

「やっぱり、製薬関係に行きたいと思っています。自分の今やっていることにもつながるし、やっぱり、良い薬を開発することで、治る人がいたら、嬉しいから」
「そうか、それは良いモチベーションになるね。僕も応援してるよ。就活は、冬ごろからか」
「はい、だから、この夏は実験に明け暮れたいです」
「それは頼もしいね」

先生が目じりを細くして笑い、私も嬉しくなった。先生のことは、本当に心から慕っていた。自分の顔を見て、げっと頬をひきつらせる同じゼミ生の男子が、影で私をなんといっているか知っていたから。小島さんは性格いいけど、カオがちょっとね。難ありだよね。難ありなのはてめえの性格だろう、と割って入りたいところを押さえた。矢倉先生には一切、自分を拒絶したり、遠ざけようとしたりすることがなく、私も安心してなんでも相談できた。先生に優しい奥さんと小さな子供がいることも知っていたから、恋にはできなかった。ただ、胸のうちで、いいな先生、と思っているだけだった。

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アトピーの薬は、本当にいろいろ試した。市販の薬はもちろんのこと、民間療法やヨモギ蒸しやホオバオイルなど、いろいろなことをやってみて、一番ひどいときよりはだいぶましになったが、それでも痕が目立つほど残った。地道につきあっていくしかない。そう思ってはいたが、やはりつらいことに替わりはなかった。

何年も何年も、心から幸せだと感じたことがなく、それは自分をじわじわと苦しめていた。製薬会社に行きたいのも、先生に言ったように人のためというよりは、薬の知識があれば、いつか治る薬を見つけられるのではないかと、そういう夢を抱いていたせいだった。

だれか。だれか私を助けて。そう叫ぶ夢で、夜中に目覚めることが、一人暮らしを始めた大学生のころから、ときどき起きるようになった。だけれど、暗闇に取り残された私は、実家に電話をかけることさえできなかった。アトピーの私を疎んじたのは、何も同級生だけではない、実の両親もだった。

小さい頃、私がアトピーになった原因は、母の生活の質が良くないからだと、父は母を責めに責め、母はそのせいで精神を病んでしまった。いまも月1で心療内科に通っている。父はだんだんと家に帰らなくなり、今では生活費を振り込むだけで、ほかに女の人を囲っていることは、私も母も知っていた。だけど、何も言うことができなかった。

「あなたがアトピーでさえなければ、私は幸せだったのよ」

大学に入学し、家を出るときに、母に言われた言葉を、忘れることができない。ぼろぼろの私は、親にさえ捨てられかかっていた。きれいでない、汚れた子猫をぽんと捨てるように、私は母からも放り出された。大学院に行く費用は父が今は出してくれていたが、就職できたらずっと一人でまかなって生きていくつもりだった。理系の研究職なら、就職口は必ずある。そう思って、決めた進路でもあった。夜中に、汗びっしょりで目覚めるとき、体がかゆくて仕方ないとき、真っ暗な穴の底にいるような恐怖を感じたが、私にはすがるものはなかった。

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ろくな食事もとらないまま、データ記録のプリントにうずもれて眠って、気づいたら朝が来ていた。携帯電話を確認すると、友達の梨佳からメールが届いていた。昨晩の十一時頃来たようだが、まったく気づかず、作業に没頭していたらしい。メールの内容はというと、「またごはん食べずに研究ばっかりやってるんでしょー、飯食わすからおいで」というもので、私は少し微笑んだ。

梨佳は、私が大学1、2年のときにやっていた塾講師のアルバイトで仲良くなった友達だった。なんでも教えられるけど、一番なりたいのは家庭科の先生という梨佳は料理をつくって人に食べさせるのが趣味だそうで、私も知り合ってから幾度もお相伴させてもらっていた。

梨佳の家の最寄りの改札口で待ち合わせて、彼女の家に直行すると、梨佳はもう準備してあった鍋の中身をあたためはじめた。しばらく待つと、温かいトマトスープと、チキンのサラダ、アップルパイが出てきた。相変わらず、見事な手際だ。

「また痩せて。ちゃんとごはん食べなきゃダメよ」
 食べ始めて、開口一番梨佳に言われた。
「うー、そう言われると、立つ瀬がない。発表がこないだやっと終わったから、いまはそこそこ食べてるけど」
「発表の準備中は寝る間も食べる間も惜しむんでしょう。まあ、そんなに熱中できることがあって何よりだけど、体壊すよ?」
「はあい」

 梨佳の前だと、私は小さな赤子のようになる。
「奈央にも料理教えてあげよっか?」
「うー……、自信がないから、いいです」
「ほら、そうして得意じゃないことからはすぐに逃げようとする。奈央の悪いクセだよ」

梨佳の言うことは正論だけど、それがほかの人に言われるのと違って痛くないのは、梨佳が私のことを本当に受け入れてくれるからだと思っている。それには、いつも感謝していた。
食事のお礼、と言って、私がハンドクリームを手渡すと、梨佳はありがとー、と花が咲くようにして笑った。

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私が世界を忌避していることは、見る人が見れば、わかってしまう。季節はあっという間にめぐって冬になり、就職活動がはじまったとき、私はそのことを痛感した。ペーパーテストでは通っても、面接でことごとく、私は落とされた。どもったり、赤くなったり、自分の言いたいことを上手く伝えられずに、面接官の前で涙をこぼすという失態さえした。

行きたかった本命の三社にも落ちたし、中堅どころもたくさん落ちて、もうどうしたらいいかわからなくなった。本当は、世界を良くしたいんじゃなくて、自分のことしか考えてなくて、あまつさえ、世界から逃げ出したいと思っている。そういうことは、見る人が見れば、どうやら見抜かれてしまうらしい。

久しぶりに訪れた、真冬の大学の研究室は、閑散として人がいなかった。矢倉先生の研究室にともる電灯が、旅人が雪山で遭難して見つけた山小屋の明かりのように見えた。

私がノックしてドアを開けると、先生は久しぶり、と笑いかけてから、驚いたように私をのぞきこんできた。

「ひどく、顔色が悪いよ。大丈夫?」
「はい。……来年の修論のテーマが決まったので持って」
「それより、座って。本当に具合が悪そうだ」

 先生は私の言葉をさえぎって、私をソファに座らせると言った。

「いま熱い飲み物を入れるよ。コーヒーよりほうじ茶がいいだろう」
 ほどなく湯のみに熱い茶を運んできてくれた先生は、私に訊いた。
「いったいどうしたの」
「面接、たくさん落ちてしまいました。先生の勧めてくれた会社も。絶対受かるって、信じてたのに、ぜんぶもしだめだったら、どうしよう。私は、働かないといけないのに」
「親御さんに相談はしたのかな?」

ぐっと、涙をのみくだして言った。先生に、弱いところは知られたくなかったけど。

「あの家は、私がもういられる家じゃないんです。私は、どこにも、帰れないんです」

先生ははっと虚をつかれたようにして、黙り込んだ。余計なことを言ったと思っているうちに、どんどん涙が、意に反してあふれだしてきた。

しゃくりあげながら、泣く私を見ながら、先生は、しばらく無言でいたが、時間がたって私が少し落ち着いてきたころを見計らって、こんなことを言った。

「信じていた道が、ぜんぶふさがってしまったときに、初めて見えてくる別の道が、人生にはあることがあるんだよ」
「え?」

「僕もね、本当は、研究者になるつもりはなくって、学生時代は人を助ける仕事がしたいと思ってさ、海外ボランティアに精を出したり、国際機構のほうで働きたいと思っていたときがあったんだ。でも、いろいろな理由からその夢が絶たれたとき、僕の恩師の細胞学の先生に出会ってね、研究のほうで人の役に立つ道をさし示してもらったんだ。小島さんも、薬をつくることで、人の役に立ちたいと言っていたよね」

「はい、でも嘘かもしれない。あれは自分のためにそう言っているだけかもしれないです」

「嘘でもいいんだ、最初は」
「本当は、この時期に言うべきじゃないのかもしれないけど、小島さん、大学院に残る気はないの?」
「院、ですか」

「君が研究に適性がわりとあることは、見てたからわかるよ。ただ、簡単な決断ではないけれど、考えてみてほしい。一年や二年、社会に出るのが遅れても、君がここで研究を最後まで続けることは、きっと意味があると思うよ」

先生の部屋で話しこみ、研究室を出たときには、もう外は暗くなっていた。先生の研究室に、入れるなんて、思ってもみなかった。思わず浮足立ちそうになりながら、雲の上を歩くような気持ちでいると、ふいに電話が鳴った。

「もしもし?」
 出ると、父からだった。

「奈央か。実は、母さんが薬を大量に飲んで、いま救急病院に搬送されてな。ICUに入っているんだ。正直、助かるかは、いま担当医から聞いたそうだが、わからないそうだ。お前、帰ってこられるか? その、お前が母さんといろいろあったのは知ってるが、頼む、来てくれ」

そこで携帯は切れた。私は家に飛んで帰ると、荷物を簡単につめ、実家行きのバス切符を予約した。バス乗り場まで行く途中に、コンビ二に寄って、菓子パンと牛乳を買ったが、いざ乗ったバスの中では、胸がつまって、食べる気がしなかった。

二時間特急のバスに乗って、バスからタクシーに乗り継いで、実家近くの救急病院にたどり着いたときには、夜中の十二時を回っていた。

薄暗い病院のリノリウムの床に、私の駆け足の足音がやたら大きく響く。救急救命室の前、父がソファにうなだれて座っているのが見えた。駆け寄って「母さんは?」と聞くと「一命はなんとかとりとめた」としぼりだすように言ったので、体の力がぬけてへたりこんだ。

ICUのドアが開いて、ストレッチャーに乗せられた母が運ばれてきた。人工呼吸器をつけられた顔は青ざめて、点滴の針が刺さった腕は私以上に細かった。

そのまま母は個室に運ばれて、私と父は、母の枕元の椅子に座って、どちらからともなく、お互いの近況を語った。

就職活動に落ちつづけていることは父に話したが、矢倉先生に博士課程に進学するよう誘われたことは、なんとなく言えずに黙っていた。

「奈央。母さんがこうなってしまったのは、全部俺の責任だから。お前は気に病むな。母さんは、ことごとく、お前にいろいろ言ってたみたいだが、ぜんぶ忘れたらいい。お前は俺たち夫婦みたいにならずに、まっとうに、しっかり生きろ」
「うん」

弱った身体に染入るように、父の言葉が入ってきた。
まっとうに、しっかり生きろ。

「お母さんは、私が娘で、本当に幸せだったのかな」

父が、目がしらを押さえる。そのまま、体を折って、くずおれた。
父と私は、そのまま朝までまんじりともせず、母の病床のそばで座っていた。でも結局朝になっても、母が意識を取り戻すことはなかった。

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父が「家で休め」と言ったので、私は父に鍵を借りて、母の住んでいた実家に帰り、自分の部屋のベッドがそのままになっているのを確認して、倒れ込んで眠った。

うなされるようにたくさん悪夢を見ながら眠り、目が覚めると夕方になっていた。ぼんやり起き出して、かばんの中に手をつけずに残っていた菓子パンを少しかじり、牛乳を飲み干した。味がしないと思った。

少しずつ、少しずつ、私の人生に積もっていった砂が、だんだん重さを増していって、ついにぺしゃんこにされたと思った。いっそ笑えてくるほどだ、と思った。

人を助けたい、とう自分の動機が、詭弁であることはわかっていた。
助けたいのは、本当は助けられたいからだ。

ずっと助けてほしかった。でも、年をとるごとに、それがどんなに難しいことかわかってくる。自分が甘えているのも、自覚していて、それでも「助けてほしい」という気持ちを消すことはどうやってもできなかった。

誰かに話せば、病院へ行ったら、と言われるに違いなかった。それも精神の。でも、行ったが最後、母と同じ末路を私も迎えるような気がした。

先生。助けて。
叫ぶように矢倉先生のことを思ったが、ただ遠さばかりを感じた。
最終的にどうしようもなくなって、梨佳に電話を掛けた。事情を聴いた梨佳は「今から泊まりにきていいよ」とぽつりと言った。

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目の前で湯気をたてる熱い玉ねぎスープに口をつけると、のどから胃へ熱さが降りて行った。すぐに胸がつまって、それから先、飲めなくなった。

「ゆっくりしてていいよ。食べたくなったら、食べて。また温め直すから」
「ありがとう」

梨佳が投げてくれたチェック柄のクッションに顔をうずめて、ベッドの端に寄りかかり、私は口を開いた。

「救われるって、どういうことだか、わかる?」
「救われる?」
「ずっと心の奥で救われたいと思ってきたんだけど、どういうことが救われることか、わからないんだ」
「それは難しいね。宗教でも解決できないかもしれない」
「梨佳、お願いがあるの」
「お願い?」
「背中、なでてもらえる? あ、変な気持ちで言ってるんじゃないことは、察して」
「……わかるよ、奈央」

梨佳は、私の背後に座り込むと、ゆっくり、ゆっくり背中をさすってくれた。あたたか手のひらで撫でられていると、ずっと昔、私がまだ小さかった頃、母にくっついて寝たときの記憶がよみがえってきた。母が私を、まだ疎んじなかったころ。一緒にアトピーの治療法を、探してくれていたころ。

「梨佳」
「なに?」
「私、好きな人がいる」
「そうなんだ」
「でも、だめなんだ、いろいろ」
「あきらめるんだ?」
「あきらめる」
「そっか」

この晩は梨佳がベッドを貸してくれて、梨佳は私が寝ているベッドの下に客用布団を敷いて、ぽつりぽつり喋りながら眠った。しばらく睡眠がまともにとれていなかったから、やっと落ち着いて眠れた夜だった。

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梨佳は私を三日間泊めてくれて、その後ももう少しいたらと言ってくれたけど、私はお礼を言って、自分のアパートに帰ることにした。しばらく足を踏み入れていなかった自分の部屋は、雑然とレポート用紙と教科書で散らかっていて、でもその散らかりようも懐かしかった。

家に帰れない、という思いは、先生に話したときよりも強くなっていた。一人の部屋で、コーヒーを淹れ、熱さを喉に流し込んだ。途中でやりかけたままのレポートを、しかめっつらで見直し、修正を入れた。久しぶりに取り組んだレポートは、難しかったがとてもおもしろく、私はやっぱり研究が好きだと思った。それと同時に、就職活動も再開しようと思った。大学院に誘われたことは嬉しいが、中途半端な気持ちで就活もやめたらいけないと思った。

誰も、私も救えない。梨佳と話したあの晩、ふと胸の中にそんな思いがわきあがってきて、その思いにびっくりした。ただ、先生の淹れてくれたあたたかいほうじ茶や、背中をなでてくれた梨佳の手のひらのぬくもり。そういうものたちを、集めて、お腹の中にためていくことしかできないのだと思った。

携帯電話が鳴り、出てみると父だった。母が意識を取り戻して、少し安定した、と簡単に用件だけを告げて、電話は切れた。

死ななくてよかった。そう思って、歯をみがくために洗面所に行くと、私はふと鏡の中の自分に見入った。自分の顔をまじまじと見るのは、昔から苦手で、あまり見ていなかった。だけれど、今日はじっくりと自分の顔を見てみた。変わらないアトピーの痕を、挑むように見ていたら、ふと、あることに気づいた。

私の顔、母に似ている。
なぜ今までこのことに気づかなかったのだろうと思うくらいに、鏡を長く見なかった間に、私はだんだん母に似てきていたらしい。小さいころに、お母さんによく似ているね、と言われたことも、記憶の底から、ふと蘇った。

母に似たこの顔を、ずっと疎んでいたから、母も私を疎んじ返したのではないだろうか。

死ななくて、ほっとした。そのことを母に伝えないといけないと思った。母の生を肯定することは、自分の生も肯定することになるのだと、ふいに感じて、目の奥が熱くなった。

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桜の咲く頃、私はやっと就職を決めることができた。キャンパスの桜の木の下を通って、矢倉先生の研究室に行き、院には残らないことを報告した。先生は残念だと笑いながら、おめでとうとお祝いの言葉を述べてくれた。

「小島さん」
研究室を出ようとした私に、先生が声をかけた。
「小島さんに、これからいいことがたくさんあるように。僕はそう祈ってます」
ふいをつかれて、言葉が出なかった。
「小島さんはがんばりやだからね。修論も期待してるよ」

ありがとうございます、と言うのがせいいっぱいだった。先生にも、これからたくさんたくさんいいことがありますように。その思いは、声にならず、胸の中に落ちていった。

来年の春には、一人で立って、歩いて行ってる。でも、その歩いていく道に、先生が祈ってくれた、いいことが少しでもあるのなら。

研究室のドアは、少しだけきしんで閉まり、私はその前に立ち尽くして、埃っぽい春の空気を吸いこんだ。廊下の窓から、光が入って来て、舞い上がったチリがほんの少しきらきらして見えた。

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