【短編】あの日のぬいぐるみ
僕が勤めて二年になるゲームセンターは、さまざまな電子音であふれかえっている。大きなショッピングモールの中にあるこのゲームセンターには、休日ともなるとたくさんの人が押し寄せる。みんなゲーム好きだな、僕もそうだけど、と苦笑しながら、センター内をいつも巡回している。
(あ、あの二人、また来てる)
常連のお客さんともなると、僕はしぜんと顔を覚えてしまう。僕が注目したのは、つい一週間前も、二週間前も、たしか日曜日になると来ている親子連れだ。
四十代くらいのお父さんと、小学校高学年くらいの息子さん。必ずUFOキャッチャーの機械の前で、二人でああでもないこうでもないと、レバーを操作しながら楽しそうだ。
この親子のすごいところは、毎回必ず大きなぬいぐるみをゲットしていくことだ。今日も、息子さんの「やったぁ」という声が聞こえ、呼ばれたので、僕はポムポムプリンのぬいぐるみを入れる袋を手渡すと、笑顔をつくった。
「おめでとうございます」
息子さんの隣で、お父さんは誇らしげにしている。
「たしか先週も、その前も見事にゲットしていましたよね。すごいですね」
僕がそう言うと、息子さんは笑った。
「パパ、すっごくUFOキャッチャー得意なんだ。でも今回はパパに教えてもらって、僕がとったんだよ」
「この子の腕も、なかなかのもんなんですよ、店員さん、いつもありがとうございます」
お父さんは、色の抜けた茶髪にリーゼントの髪型をしていて、作業服姿だ。昔はもしかして不良だったのかな、という様子だったが、僕への態度はきちんとしていて、僕はこの親子に好感を持った。
お客さんの中には、「全然勝てないから金返せ」だとか「機械が壊れたから三十秒で直せ」だとか、悪質なクレームをつけてくる人もいる。だけど「お兄ちゃん、タバコ吸っていいとこある?」だとか「いつも働いてくれてありがとう、今日は寒いから風邪気をつけな」とか気さくに話しかけてくれて仲良くなれる人たちもいる。
小さな町のショッピングモールのゲーセンだから、顔見知りになった人とは、会話するのも接客のうちだった。
日曜日にはいつも現れるお父さんと少年に、僕は好感を持ち、お父さんのほうとも、子どもさんのほうとも、いつしか親しく話をするようになっていた。
「あ、今日はイルカのぬいぐるみがある!」
「よし、憲太、今日もゲットしようぜ!」
「うん、パパ、がんばろう」
はたして親子は今日もピンクのイルカのぬいぐるみを見事にゲットし、二人で仲良く帰っていった。その様子を見て、僕の胸はほっと温まった。三月下旬のことだった。
そして、カレンダーが一枚めくられた四月のこと。日曜日のシフトに入った僕は、親子づれのお父さんだけのほうが、UFOキャッチャーの前で黙々とレバーを動かしているのを見た。お父さんは少しうつろな目をしている。
「あれ、今日はお一人なんですか?」
思わず話しかけてしまった僕に、お父さんは苦笑いを浮かべて言った。
「ああ、実は憲太のやつ、この四月から寮のある中高一貫の学校へ入学しちまったんですよ。勉強と部活で忙しくってね、ろくに実家には帰れなくなったんですわ」
「――それは、寂しいですね」
「まあ、ああいう年にもなれば、親父と遊ぶより、子ども同士で遊んだほうが楽しいですからね。あの子はいい子だから、親父の遊びにもいままで付き合ってくれてただけなんでしょうけど」
「そんなこと、ないと思いますよ。憲太くん、いつも楽しそうでしたし」
「ありがとう、お兄さん、いい人だね」
お父さんは、難しい配置に置かれていたドラえもんのぬいぐるみを、いつものように器用に穴に落としたが、僕がそれを渡そうとすると「いいいい、元の場所に戻しといてくれないかね」と言って、帰ってしまった。
それから四月の間、お父さんは日曜日になると現れて、UFOキャッチャーで遊んでいっては、賞品のぬいぐるみを僕に返して帰っていった。帰っていく背中には寂しさが滲んでいたが、僕にはなすすべがなかった。
五月に入ると、お父さんは姿を見せなくなった。一人でやってもつまんないよな、とは納得したが、会話のできるお客さんを失い、僕も心に穴のあいたような気分になった。
UFOキャッチャー台の中のぬいぐるみはしょっちゅう入れ替わり、僕はメダルを補充し、クレーム対応をし、また別のお客さんと話したりしながら――そうして日々はあっという間に過ぎていった。
そして、四年後の八月のこと。僕のゲームセンターに、一人の背の高い学生さんが現れた。UFOキャッチャーの台の前で、真剣にレバーを操作している。その横顔に見覚えがある気がして、僕がちらちら様子を窺っていると、彼のほうから、話しかけてくれた。
「あの、お兄さん。僕が小学生のときから、ここで働いてましたよね。父と一緒に来ていた僕と、お話昔しましたよね」
「ああ、やっぱり。――憲太くん、だっけ。大きくなったね」
「そうです、憲太です。本当に、このゲーセンは久しぶりで。UFOキャッチャー、だいぶやってないから、もう父の腕前に追いつけそうにないなあ。今、高校が夏休みで、こっちに帰ってきていて、久しぶりにやりたいなって思って」
「お父さんと一緒にまた来ればよかったのに。お父さんは元気かな?」
僕がそう何気なく訊くと、憲太くんはうつむいた。
「父と母は、あのあと離婚してしまって、父は家を出ていったので、僕にはもう父の居所を探すすべがないんです。僕が覚えている手がかりは、UFOキャッチャーがべらぼうに上手かったことぐらいしかないんですけど、そんな人どこにでもいますよね」
返す言葉が見つからなくて、僕は憲太くんの顔を見つめた。
「僕の部屋に、父が昔とってくれたぬいぐるみ、全部残っているんです。母は捨てろ、男の子なんだからぬいぐるみでもないでしょ、って言うけれど、僕は捨てられなくて」
「そうなんだ」
「久しぶりにこのゲーセン来たから、一個はゲットして帰りたいな」
憲太くんはそう言って、真剣にUFOキャッチャーの台のレバーを操作しはじめた。そして、ニ十分ほど立ったあと「とれた!」という歓声が聞こえた。
僕がスヌーピーのぬいぐるみを入れる袋を手渡すと、憲太くんは「ありがとうございます」と笑った。その笑顔は、驚くほどあの日のお父さんに似ていた。
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