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夏草(1)

その戦は終わりなく思えた。敵味方に分かれての泥仕合は、いつ果てが来るともしれず、雑兵にすぎない自分も、近いうちに斬られるのだと、弥十郎は静かに覚悟を決めていた。彼はまだ十六に過ぎなかったが、到底自分が長く生きるとも思えなかった。かがり火の下で、仲間の兵士と酒を酌み交わしながら、熱い頬を覚ましていると、ふとこんな噂が聞こえてきた。

(荒れ果てたぼろ屋敷で、一人琴を弾く娘がいるのだとよ)
(その娘は、つぎのあてられた着物を着ているが、たいそう美しいそうだ)
(地方の役人の、忘れ形見だとよ。父となる役人も、母となる女も、夜盗に襲われて死んで、娘は独り身だそうだ)
(その琴の音色を聞くと、どうやら極楽浄土へ行けるらしい)

弥十郎ははじめ、けっと思った。掃いて捨てるほど人の死が身近な日常で、極楽浄土に自分だけでも行きたいと、その娘の屋敷に押し寄せる馬鹿な男たちがたくさんいるのだろう、と思い軽蔑の気持ちを抱いたのだ。そんな奴らはあさましく、自分はせめてそんな軽薄さとは無縁でありたい、それが矜持だと思った。


その娘については、腹黒いな、と思った。そんな噂が流れれば、簡単に命はとられないだろう。極楽浄土に行けるというのはおそらく娘側が流した嘘で、自分の命を長らえるために、噂を流したのだと思った。そういうやり口は、汚いと思った。


戦や疫病で命をとられない、ということがまれにしかないこの流転の日々の中で、自分を保って戦い続けることに、厭いていた自分にも気づいた。


弥十郎はのっそりと立ち上がると、噂話に興じていた兵士たちに声をかけた。


「なあ、その娘を捕まえて献上したら、城主は喜ぶんじゃないか」
「ばか、罰があたるぞ。極楽どころか、地獄行きだ」
「鬼っ子の弥十郎とは、俺のことだからな。だれか、俺と一緒に、娘を捕えて、ほうびをもらいたい奴はいるか」


しいんと場は静まり、かがり火のあかりだけがちらちらと雑兵たちの顔を照らしていた。その中から一人、低い声がした。


「乗った。――ほうびは、山分けだぞ」


体格のいい弥十郎とは反対に、小柄な若者の黒々と光る眼がこちらを見ていた。


「俺は、佐吉という。よろしくな」

弥十郎と佐吉は、お互いを見つめて、その目の中に何かしら信じられる光を見つけた。それが、すべての始まりだった。

皆が寝静まった夜更け、番人が居眠りをしているのを見届けて、弥十郎と佐吉は自分たちの陣営をあとにして抜け出した。最初に噂を流した兵士をしめあげて、娘がいるという国境の村を聞き出したのだ。歩き通して、明け方にはたどりつく見込みの距離だった。

道中、二人は、お互いのことは何も聞かず、ただ黙々と歩いた。太陽が昇り切る昼までには、娘を捕えて、陣地まで戻る算段だった。山の端にかかる月が、こうこうと照って、二人の行く山道の道案内がわりをしていた。月の沈むほうへと歩けば、村がある。それを目印に、ただひたすら歩き続けて、鶏の鳴きはじめる早朝に、村へとたどり着いた。目的の役人の屋敷は、すぐに見つかり、二人は垣根に身を隠して、中の様子をうかがった。

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父と母が死んだ日のことは、宮にとって忘れえぬ出来事だった。荒れ狂う馬のような、大きな足音を立てて、刀や弓をたずさえた男たちが、屋敷に乗り込んできたのだ。使用人を殺し、馬飼いを殺し、乳母を殺した男たちは、最後には宮の父と母を殺し、屋敷をめちゃめちゃにして、金目のものをほとんど奪って逃げていった。宮を大きいつづらの中に隠したのは母だった。怒号と断末魔が響き渡る中、十歳だった宮は、震えながら涙を必死にこらえてつづらの中にじっとしていた。


すべてが終わってから、父と母のなきがらを見て、宮もすぐに後を追うつもりでいた。ただ、小さいころから父を慕ってついてきてくれていた村人たちが、「姫様だけは」と懇願して宮が死ぬのを止めた。

それから月日が過ぎて、十五になった宮は、村の子童たちに世話されながら、父と母の遺した家で琴を弾いている。


なぜ自分もあのとき死ねなかったのだろう。それは、宮がいつも思うことだった。なんのために長らえた命かもわからないまま、弾き続ける琴の音は、いつか極楽浄土への道しるべという噂が立った。


(それは私がいつも、父様と母様のもとへ行きたいと思っているからではないかしら)


そう思いながら、いつものように琴をつまびいてから寝入ったその明け方、宮はふっと目を覚ました。なにか、父様と母様がいるような気配を感じたのだ。

(ふたりが、わたくしを、迎えにきている――?)


寝付けないまま、そっと布団から身を起こし、そっと前庭に出てみた宮は、こちらを見ている視線に気が付き、はっと息を呑んだ。刀の束に手をかけている男が二名、こちらを見ているのを確認すると、宮は思わず安堵感から口ばしってしまった。


「そなたたち、やっと来てくれたのですね。――わたくしを、殺しに」

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娘と目が合った弥十郎は、あまりの娘の美しさに仰天し、また、娘が口にした台詞に、もう一度肝が冷えた。


(わたくしを、殺しに)


娘はたしかに、そう言ったのだ。佐吉も隣で固まっていた。
この娘は、死ぬことを望んでいる、と弥十郎は一目で確信してしまった。俺たちは、そのために遣わされたのだと、娘が信じていることに気づき、弥十郎の中に憐れみの気持ちがわいてきた。娘の目は、生きたいなどと言っていなかった。今すぐに斬り捨てて、終わりにしてほしいと、そればかりを大きな瞳で訴えていた。


「死にたい、か」


弥十郎が聞くと、娘は頷いた。


「いますぐに、この命、斬ってくださいませ」
「だめだ」
「え」
「佐吉、縄を」


うろたえている佐吉から縄を奪い取ると、弥十郎は娘に縄をかけ、担ぎ上げた。


「何をなさいます!」
「逃げるぞ!」


娘をかついだ弥十郎は、一気呵成に駆け出した。ただし、その方角は、自分たちの陣地のある方角とは逆だった。


「弥十郎、お前、どっちに行くんだ」

佐吉の怒号が響いたが、弥十郎は無視した。


「お前も俺も、兵であることを捨てて逃げたことになる。追われるぞ」
「かまわん」
「……面白いやつだな」


走りながら佐吉も、落ち着いてきたようだ。口の端に笑みを浮かべて言った。
「どこへ行くというめぼしがついていないなら、俺の古い知り合いがいるさびれた寺が、この先三里ばかり行ったところにある。そこにとりあえずかくまってもらおう」

(続く)

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