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【連載小説】優しい嘘からはじまるふたり 第12話「お願い、連れていって」

お見合い当日、初夏を思わせるまぶしい陽射しがたくさん入るホテルのロビーで、遥は落ち着かなさげに自分の衣装をまじまじと見つめる。

薄手のコーラルピンクの上品なワンピースに、胸元のシルバーの三連のネックレス。同窓会にもつけていったパールのイヤリング。普段よりしっかりめに化粧もし、ヒールのあるパンプスを履いている。


(こんなきれいな格好するの、はじめてかも)


そう思いながら遥は、どうせきれいにするなら滋之にこの格好を見てほしかったなと思い、いやいやでももうフラれているのだから、と首を横に振る。

ああでもないこうでもないと考えながらわたわたしていると、ふいに、


「君嶋さんですか?」

と頭上からバリトンの声が降ってきた。飛び上がって相手を見ると、154センチの遥が見あげる形になった。短髪で背が高く、黒ぶち眼鏡をかけた男性が立っていた。篠塚さんに見せてもらったお見合いの釣書で見た写真と同じ顔。たしか遥より五つ上だ。


「冬柴将吾さん、ですか」
「はい、そうです」


遥の言葉に、冬柴がにっこり笑う。彼はとても背が高く、肩幅もあったが、浮かべられている笑顔はとても気さくなものだった。


「どうもはじめまして。本日はよろしくお願いいたします」


二人が挨拶していると、そこへ四十代くらいのスーツ姿の女性が駆け寄ってきた。


「冬柴さん、君嶋さん、遅れてすみません。わたくしが、本日のお見合いの仲人をさせていただきます、藤堂都といいます。お食事の席を、このホテルの一階のレストランでご用意させていただいてるので、どうぞ」


そつのない藤堂のエスコートについていきながら、遥は思う。


(篠塚さん、どこがカジュアルなの……! ちゃんとしたお見合いじゃないか)


ついた席で、料理が運ばれてくると、冬柴は藤堂の質問に答えながら、低いいい声でしゃべった。話にウィットが利いていて、おもしろい人だ、と遥は思う。


「ええと、君嶋さんはお弁当店につとめているのですよね?」


急に藤堂から自分に話題がふられて、遥は口に入れたばかりの鴨のローストを喉につまらせそうになった。


「は、はい、そうです」
「立ち仕事、大変じゃないですか?」


遥は首をかしげた。あまりそういうことを思ったことがない。遥が答えられずに黙っていると、冬柴が話し始めた。


「僕は測候所で、気象データを観測しています。お天気って、おもしろいと思ったことはないですか? 空は毎日違います。そういうことをつぶさに見ていくのが、興味深くてやりがいがあります」


遥は、ふいに自分が人に誇れる仕事も、胸をはってやれる仕事も、してきていないのに気が付いた。


「お弁当店は、働いていて楽しいですけど、私、そんなに『これだ』って思える仕事をしたことがないかもしれません。だめ、ですね」


冬柴はまばたきをして、答える。


「だめってことはありません。自分も、社会人として新卒で入った会社が合わなくて、三か月でやめて。それからどうしようと考えたときに、そうだ、空が好きだったと思い、いろいろ調べたんです。それで、気象データを調べる仕事はいいなと思って、転職しました。君嶋さんはまだまだお若いですし、これから『これだ!』って思える仕事に就けることもあるかもしれないですよ」


(このひと、いいひとだ……)


まだ話し始めて一時間も立っていないのに、遥は冬柴に好印象を持った。それから、おずおずと切り出す。


「すみません、食事中に。お手洗いに行ってきてもよろしいでしょうか……?」
「どうぞどうぞ」


二人がにこにこしてそう言ったので、遥は席を立ち化粧室へと向かった。

お手洗いをすませ、鏡の前で簡単にパフでファンデーションをはたきなおし、なんとなくスマホを見た。着信履歴、そしてLINEメッセージが一件。


――滋之、からだった。


二十分ほどまえに届いたようだが、サイレントマナーにしていたので気づかなかったのだ。


ふいに心臓がばくばくしはじめて、遥はパニックになりそうになった。お見合いの日程までは、滋之は知らないはずだ。だったら、どうして?


震える指で、メッセージを開いた。そこに並んでいた言葉に、遥の瞳が見開かれる。


『妹の容態が急変して、さっき集中治療室に入りました。どうしていいかわからず、落ち着かなくて、つい君嶋さんに電話してしまいました。申し訳ありません。お忙しそうなので、なかったことに』


遥はその文面を見るなり、通話ボタンを押していた。


「あ……君嶋さん?」


ワンコールも鳴らないうちに、滋之が出た。いつもより、声に動揺が感じられる。


「樋口さん、大丈夫ですか? 妹さんは?」


「〇×総合病院です。妹はまだ集中治療中で。――すみません、君嶋さんをこんなふうに扱ってごめんなさい。一人でいるのがしんどくて、つい電話を」


遥は心を決めた。迷っている時間など、一秒たりともなかった。


「樋口さん、私いまからその病院へ行きます。待っていてください」
「え、あ、君嶋さん⁉」


遥は電話を切ると、レストランに飛んでもどって、冬柴と藤堂に謝罪と弁解をした。


「すみません、実は、私の大切な友人が、いま大変なことになったみたいで。すぐにそちらに行きたいので、本当に申し訳ありませんが、退席します」


冬柴は、すぐにうなずいた。


「こちらは大丈夫です、行ってあげてください」


藤堂も、大丈夫ですよ、と言うようにうなずいた。

遥はレストランを飛び出し、ホテルの玄関を出ると、タクシーの配車アプリを立ち上げた。お金が飛ぶが、今日は車で来ていない。この際、どれだけお金がかかるかわからないが仕方ない。


しかし、遥の切実な思いとは裏腹に、タクシーがこのあたりにいないようだ。歯噛みした遥に、ふいに大きな声が飛んだ。


「君嶋――――ァ!」
「えっ」


道路の向こう側に、智弘がバイクにまたがって待っていた。遥は頭をめぐらせる。智弘には悪いことをすることになる。でも、彼の誠実さに賭けるしかない。


遥は智弘のバイクに駆け寄ると、ぜいぜいと息をきらした。


「君嶋、マジで俺と逃げようと来てくれたんだな」


嬉しそうな智弘に、遥は大きな声で頼んだ。


「村中くん、ごめん! 一生のお願いがある。好きなひとの妹さんが、いま危篤みたいで。お願い、私を〇×総合病院まで送ってほしい」


智弘はいったん絶句し、それからこちらをうかがうように言った。


「おまえ、それ、冗談だよな」


「冗談じゃない、ごめん。すごく申し訳ないことをお願いしているのはわかってる。でも、どうしても、どうしても、私はいまそこに行かないといけなくて」


遥は膝を折った。ワンピースが汚れるが、もうほかに手段はなかった。


「お前、女子が土下座なんかするなよ」
「お願い、お願いします!」


しばらく間があって、智弘がぼそりと言った。


「乗れよ。送ったったるわ」

遥はぱっと顔を上げ、お礼を言いながら智弘のバイクの後ろに乗った。バイクの後ろに乗るのなんか初めてで、緊張も感じたが、それ以上に気持ちが必死だった。


「ヘルメットかぶって。そして、俺の背中から腕を回して、しがみつけ」
「こう?」
「いや、もっと強く、恋人みたいに。じゃねえとお前振り落とされっぞ」


バイクが風を切って走りだして、遥はやっと、お礼を言えた。


「村中くん――、ありがと」

智弘は、しばらく無言で走っていたが、ふいに、いつもの冗談めかした声で訊いてきた。


「なあ、君嶋、俺が病院行かずに、このまま海までお前を連れ去ったらどうする? 今日の海は気持ちいいだろうなあ」
「それ、絶対に許さないから」


智弘はからからと笑った。笑う余裕が出たようだった。


「お前も、結構言うようになったな。実は気の強いお前って、嫌いじゃない」

※同内容をエブリスタでも更新しています。



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