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【連載小説】優しい嘘からはじまるふたり 第13話「一人には、しません」

智弘は遥を〇×総合病院の前で降ろすと「ついたぞ」とぶっきらぼうに言った。


「お前の好きなヤツの顔は、見ないでおく。見たらたぶん、ボコボコにしちまうだろうからな」
「本当にありがとう」
「早く行ったれ」


遥はうなずくと、病院の玄関へと駆けた。後ろから遥の背中が、智弘に見つめられているのを感じながら。

玄関について後ろを振り返ると、まだ停車場に立っている智弘と、かたわらのバイクが小さく見えた。

遥は足音を立てないようにしながら、それでも駆け足で病院を回り、ソファに座っている智弘を見つけた。ヘルメットをかぶったから、セットした髪もぐしゃぐしゃだろう。おまけにワンピースの裾には土や汚れがついてしまった。でもそんなこと、いまはどうでもいい。


「樋口さん」


声をかけると、滋之が憔悴しきった顔を上げた。


「君嶋、さん……」

滋之は遥の恰好を上から下まで眺めて、はっとしたようだった。


「君嶋さん、もしかしなくても、今日がお見合いでしたか?」
「はい。途中退席してしまったけど、でも大丈夫です」

滋之は頭を抱えた。


「僕、なんてことを……本当にすみません」


「いいんです。私もたくさん、ずるかったです。お見合いで、樋口さんの気を引こうとしたり、そんなことしなければよかった。――それより、果穂さんは」


「まだ生死をさまよっています。今、治療が始まって四時間目に入りました。まだかかりそうです。集中治療室のランプを見るたび、父と母を事故で亡くしたことが思い出されて。今度こそ、一人になるのか、と思ったら、つい――」


滋之のソファに置いた指がうっすら震えているのに気が付いて、遥は滋之の手に自分の手を重ねた。


「果穂さんは、きっと大丈夫です。果穂さんは、大切なお兄さんである樋口さんを、絶対一人にはしないですよ。だから、待ちましょう。私も、ここにいますから」
「ありがとう」


滋之の肩がこきざみに揺れていた。遥のほうと反対側を向いて、おそらく涙をこぼしているのだ。そのまま遥と滋之は、夕方までじっと治療が終わるのを待ち続けた。

日が暮れるころになって、ようやく集中治療室から果穂を乗せたストレッチャーが出てきて、滋之は担当医師から何事か説明を受けていた。遥は滋之のかばんを抱えて、じっと待合室で待った。

しばらくしてから、滋之が診察室を出て、頭を下げている姿が見えた。
遥はためらってから、滋之に駆け寄る。


「とりあえず、命はとりとめたって、先生が。しばらく入院して経過観察なので、僕の家に果穂が帰れるのは、まだ先になりそうですが」
「よかったですね、助かって、よかった……」


遥もいつの間にか涙ぐんでいた。滋之のかばんを彼に渡し、遥は自分のバッグからハンカチを取り出し、涙をぬぐうと言った。


「じゃ、私帰ります。樋口さんは」
「僕は病院に泊まりたいところですが、明日は仕事に行かないといけないので、僕も帰ります。遥さん、家までは」


「あ、タクシーで帰ろうかと思っていたんですが」
「僕、送りますよ」


遥はしばし考えていった。


「樋口さん、いますごく疲れているでしょう。私のことは気にしないで、早くおうちで休んでください。できたら、何か温かいものを食べて。約束ですよ」
「はい」


遥の言葉に、滋之は従順な子供のようにうなずいた。その素直さが、また無理しているように思えて、遥は切なくなる。


滋之と並んで外に出ると、むわっと外は蒸し暑かった。夏が、来ているのだ。

遥は病院の前に停まっていたタクシーに乗り込むと、住所を告げた。滋之を一人夜のなかに残していくことに、少しだけ気がかりな気分になったが、その思いを振り切るようにして、遥は靖江に電話した。靖江には、お見合いをしてきたことも秘密にしてあったから、いまごろ遥の帰りが遅いのを気にしているだろう。


長い一日だった。そう思いながら遥は、タクシーの背もたれに体を預けて、目を閉じた。しばしの休息、と思ってまた、滋之の顔が浮かんだ。彼はちゃんと今夜休めるのだろうか。本当は、すごく我慢強いひとで、でもそんな彼が、いざというときに遥を頼ってくれた。そのことを、ただほっとするような気持ちで嬉しく思った。


それから三日が経ち、遥の休日の朝、藤堂から連絡があった。遥が電話に出ると、


『冬柴さんから伝言。あのときは、大丈夫でしたか? って。それと、冬柴さんはもう一回、遥さんと会ってみたいそうです。どうされますか』

と藤堂から聞かれた。

遥ははっとしたが、気持ちをしっかり持つと答えた。


『あのときは本当に失礼しました。友人も、友人の家族も大丈夫でした。けれど、大変申し訳ないですが、もうお会いできないと伝えてください』

藤堂は一瞬、言葉につまったがすぐによどみなく答えてくれた。


『そうでしたか。では、そうお伝えしますね』

電話が切れると、遥はふうっと大きく息をつき、スマホを持ったままうんと両手を上へと伸ばした。もう、迷わないようにしよう、そう思ったのだ。

遥にとって、滋之は、もう心の大切な場所にいた。出会ったときからそうだったのかもしれないけど、最近改めてそのことを強く実感した。

いろいろなことが、難しくても。付き合うこと、一緒に住むこと、結婚すること――それらのことが難しくても、遥はやはり滋之のそばにいたいのだった。


「遥ちゃん、遥ちゃん、ちょっとおいで」

靖江が縁側から遥を呼んだ。


「なぁに?」

遥が庭を見ている靖江のもとへいくと、祖母は隣接している隣の庭を指さした。


「お隣の坂井さんのところ、朝顔がほら、あんなに咲き始めた」

たしかに、坂井さんの家の鉢植えから、朝顔がたくさんつるをのばし、赤紫や藍色の花をつけていた。靖江が遥に美しい花を見せようとしてくれたことが嬉しい。そう思っていると、遥の心の中に言葉が浮かんだ。


(私、樋口さんの家族みたいな存在でいたい。樋口さんがつらいとき、しんどいとき、話を聞いてあげられるくらい近くにいたい。恋人でいるとか、結婚できるとか、そういうのはいまはどうでもいい。おいしいものを分け合ったり、きれいな空に一緒に感動したり、そういう存在になりたい)


「今日も、暑くなりそうだね」


遥がそう言うと、靖江に頼まれた。


「あとでいいから、庭の木や花に、水をまいてくれるかね?」
「おばあちゃん、もちろん」

遠く近く、蝉の声が聞こえる。到来した夏本番を思い、遥はそのまぶしさに目を細めた。

※エブリスタでも同内容を更新しています。



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