優しく歪んだレンズ越しの世界

私はどうやら世界や社会を、柔らかく優しいものとして見過ぎているらしい。もちろん社会をどう見るかは人それぞれでいいといえばいいのだけど、都合の悪い現実に、砂糖をたっぷりふりかけて「無理やり優しい世界」として捉えるのはいかがなものかと、自分でも思う。

男の人を描くとき「こうあってほしい」願望が先走り、優しくてふんわりしていて…と押しつけ気味の人物造形をしてしまうことがある。

もちろん、そういう少女マンガ的な男性の造形がふさわしい、小説作品もあると思うし、その作品の存在は決して否定されるべきではないと思う。

でも、実際の男の人を女性の作者が「リアリティを持って」描いている作品にぶちあたると、ものすごく読まされてしまって、作者の方の想像力が性別を超えて見事に届いていることに、驚嘆する。

男性の作者で「この人女性のことちょうわかってる…!」と驚くパターンももちろんあるけど、私自身が男性を甘ったるく書きがちだったりするので、上記のような現代ドラマにあたると「すっごいなあ」と震える。

最近小説をまた勉強もかねてガンガン読んでいるのだけど、最近読んだ2作がすごかった。

吉川トリコ先生の「余命一年、男をかう」
坂井希久子先生の「雨の日は、一回休み」(こちらはまだ読んでいる途中)

現代小説、本当に面白い。

小説を書く上で、自分のカラーがまだ定まってはいないところがあるので、これからどのように人物を造形していくのか、たくさん読みながら考えていきたい。

都合の悪い現実から、目を背けないことも私には大切なようだ。


ちゃんと目をひらいて、見たくないものもきちんと見たそのうえで、その物語世界におけるまっとうな「優しさ」や「希望」はなんなのか、考えたいなと思う。

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