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【小説】フルーツ白玉

秋のはじめ、夜中に白玉粉をこねている。あまりつくったことがないから、とりあえず粉が入っていた袋に書いてあるとおりに。ボールに粉を入れ、水を少しずつ加えて、耳たぶくらいの硬さになるまで、こねる。まるめる。

湯をぐらぐら沸かしながら、隣の部屋で寝ている風邪の治らない母のことを思う。もうすぐ誕生日を迎える母は、68歳になる。決して若くない年齢だ。私が今年で40になることを考えたら、なにもおかしくない話だ。

白玉を、おたまに載せて湯に沈めていく。ああ、こんなにつくっちゃって、どうするんだろう。でも、母が言ったのだった。フルーツ白玉が食べたい、それなら食べられそうな気がする、と。

かろうじて、黄桃のかんづめが、戸棚に眠っていた。賞味期限、問題なし。缶切りを探し回っていたら、白玉が次々と鍋の中で浮き上がって来たので、あわててざるですくった。

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短大を出た後、地元の信用金庫に勤めて、あっという間に二十年が経った。北陸の片田舎で、母と二人、ずっと実家にいる。幼い頃に父が亡くなったので、私がずっと母を守らねばと思っていた。

なので手堅い仕事についたし、結婚する人も、母を安心させるような人がいい、と望んでいた。できたら、私たち母子と、同居してくれる人。でも、20代のころ、あまりに選り好みしすぎて、候補となった男の人はみんな離れていった。

「さくちゃんとこは、お母さんとの絆が強すぎるからねえ。だからみんな引いちゃうんだよ」

小中高と同級生だった美月が昔から苦笑して言っていた。仲良し親子にも、限度があるでしょ、と。

フルタイムで働き、短大卒とはいえ、信金では多くの仕事をまかせてもらえていて、お給料も今年40歳を迎えるまでに、それなりにもらってきた。職場では、私がいないとどうにもならない、らしい。リップサービスであることもわかっているが、実際そういうところもあるのだろうなと推察する。

そのかわり、食事と家事は、パートで働く母にまかせっきりだった。母は清掃の仕事をしていて、つい先日まではちゃんと車を運転して職場のショッピングモールへと行き、きびきび働きながら私のためにいつでも温かいご飯を用意してくれていた。なのに。

母の風邪が治らない。もう寝込んで一週間になる。母は正社員ではないから、休んだら休んだだけ、給与は差し引かれる。そうだよなあ、もう68歳で、本来なら自宅で優雅に定年後の生活を楽しんでいてもおかしくない齢なんだよな、と私はしずかに落ち込んだ。

母が寝込んでいるので、しぜん、食事は私が仕事から帰ってからつくることになる。私の料理は、はっきりいってそこまで美味しくない。レシピ本を確認しながらつくるとものすごく手間だし、そのわりに美味しいものができないので、母が寝込んで3日目からはお惣菜をスーパーで買ってくることにした。

母は病院が嫌いだ、と言って、市販の風邪薬でしのいでいる。それがだめなんじゃないか、やはり来週総合病院に母を連れていこう、そう思いながら母に食べたいものを聞いたら、ちいさな子供みたいな声で「フルーツ白玉が食べたい」と言った。

「しらたま?」

私はびっくりした。ついぞフルーツ白玉なぞ、私が小学生までは母がつくっておやつに食べていたものの、中高生以降はそこまで私が好まなかったせいか、食卓にのぼることはなくなっていた。

「あの、プリンとかゼリーじゃだめなんだよね? お母さん、白玉がいいんだよね?」

布団の中の母に聞いてみる。母は、弱弱しくうなずいた。仕方ない。

「もいちど、スーパー行ってくる。21時までは開いてるから」

白玉なんてつくったことない。それもフルーツ白玉ってなんだ。Google先生、教えてください。私はスマホを検索して、だいたいの作り方をつかむと、車のキーをとった。

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夜の田舎の舗装道路、対向車のヘッドライトを少しまぶしく見つめながら、はじめて母がこの先いなくなることについて考えた。

私は結婚できなかった。いや、結婚しなかったといったほうが正しいのかもしれない。

母と二人の小さな大切なお城をずっと守ろうとしてきて、守ってきたつもりで、でも実際母が倒れたときに、どうしたらいいのかわからない。

それに、こんなに長い間一緒にいて、私は母が風邪をひいたらフルーツ白玉が食べたくなるひとだってことすら知らなかった。

母は私の好物ばかりを、いつも食卓に並べてくれていたのに。

上の空でいたら、白玉粉と、なぜか自分が食べたかったチョコおかきを買って帰路についていた。

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戸棚の中に桃缶があって本当によかった。そう思いながら、桃缶の汁と、手作りのシロップを混ぜて、冷蔵庫にあったポッカレモンをたらした。

加減がわからなくて、ざるのなかには山のような白玉があって、私は途方に暮れる。二人で、食べきれないと思う。でも、母がいなくなって一人になったらなおのこと食べきれない。

母を看取ったら、私は自分のために料理など、きっとしない。スーパーのお惣菜を買ってすませたり、宅食弁当を届けてもらう人生になるだろう。

「フルーツ白玉、できたよ」

母のベッドに、銀のスプーンと一緒に運んだ。ガラスの器に盛られた、甘いシロップの中にしずむ白玉と桃。自分の分も用意して「一緒に食べよう」と言った。

母は身を起こして、こころもとなそうにしながら、器を受け取った。「ありがとう、咲良」とかすれた声で言って、そっと白玉をすくった。

私も食べた。つるつるしていて、のどごしがいい。でも、たくさんたくさん食べられるものでもないと思った。

「フルーツ白玉、昔、学校給食の調理員の仕事を四年ほどしたことがあって、そのときにつくっていたんだよ。私は、小豆の白玉しか食べたことがなかったから、今の子供たちは、ハイカラなものが食べられていいねえ、って思ってた」

母はそこまで言うと、咳き込んだ。

「あんたは白玉、そこまで好きじゃなかったよねえ」

そう母が笑うので「ごめん、そうなの」と私もつられて笑った。

でも、フルーツ白玉のシロップ漬けの甘さは、ただ懐かしい幼かった日々を思わせた。

「大丈夫だよ、咲良は。大丈夫、大丈夫。白玉もこんなに上手につくれるし」

(私がいなくなっても)という言葉を母が言おうとしたのかと思った。子供を褒めるみたいな言い方で。まだ具合の悪そうな顔をしながらそう言った母に、私は言うべきことが見つかず、思わず聞いた。

「もう一杯、食べる?」

「じゃあ、あと、2、3個だけ盛って。残った分は、水につけてタッパーにいれておけば、2日くらいは持つから」

私がつくりすぎたことまで、お見通しのようだった。母にはかなわない、そう思いながら私は「桃も3きれほど入れてくるね」と告げてベッドのそばを離れた。

シンクに置いたざるに入れてある白玉を、タッパーに移しながら、突き上げるように、母という人をもっと知らなくては、と思った。

母がいつか私の前から、旅立ってしまうその日までに。

静かな台所には、水音だけがちいさくいつまでも響いていた。









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