見出し画像

【連載小説】優しい嘘からはじまるふたり 第14話「そばにいてほしい」

遥が総合病院に駆け付けた日から、二週間が経った。滋之からの連絡はないままだったが、遥は自分からは連絡をせず、彼のメッセージを送ろうとするペースを大事にしようと思っていた。

カレンダーは八月に入り、じりじりと暑い日が続く。厨房で立ち働いていると、汗が出てくるが、調理をしているとまたぬぐうのも一苦労なのだった。

レジにも立ち、遥があるお客様におつりを渡していると、ドアが開いて、作業服姿の男性が入ってきた。一瞬滋之か、とどきりとしたが違って、彼よりもひとまわり年上の社員のようだった。


「いらっしゃいませ、お弁当のご注文ですか?」

遥が訊くと、彼は柔らかく笑った。


「佐々木鉄工所の、森下です。いつもありがとうございます」
「ああ、いつもの、お電話くださる方ですね」

遥と森下は微笑みあった。森下はちょっとためらうようにしてから言う。


「ここってたしか、宅配も頼めました?」
「はい、そう遠くないところでしたら、お届けできますよ」


「実は、部下の自宅へ弁当を届けてほしくて。ちょっと寝込んでいるらしく、本当なら誰か社員に行かせたらいいのですが、なにぶんいま誰も手が空かず。お願いします。樋口、という社員です」


遥がはっとした表情をすると、森下はさりげなく言った。


「そうです、キッチンさくらさんに、いつも弁当を取りにきていた男です。店員さんも、覚えているかもしれないですね。では、この鶏そぼろ弁当をひとつ、お願いします」

遥は、もしかしたら森下は、滋之から何事か私とのことを聞いているのかもしれないと思った。そのうえで、はからってくれたとしたら、たぶん優しい上司の方だ。

遥は森下が去ったあと「宅配で、鶏そぼろひとつです! 私が行きます」と大きな声で叫んだ。店長の朝野が「よっしゃ、承知!」と言い、篠塚も隣でうなずいた。


社用車のナビで、滋之の住所はわかった。まさかこんな形で自宅を知ることになるなんて思いもしなかったけど、遥は用をすませたら、長居せずすぐに店に戻るつもりでいた。なにせ、まだ業務中だ。


マンションの外階段を上り、森下から教えられた303号室のチャイムを押す。しばらく経ってからインターホンで「どなたですか」という滋之の声がしたので、遥は「キッチンさくらです。お弁当を届けに来ました」と落ち着いた口調で言った。


すぐにドアが開き、滋之が顔を出した。だいぶ頬がこけている気がする。ひげもまばらに伸びている。明らかに具合の悪そうな表情をしていた。


「君嶋さん」

驚いたように一言言った滋之に、遥はゆっくりと嚙み含めるように言った。

「佐々木鉄工所の森下さんから、樋口さんの家にお弁当を届けてほしいという依頼がありました。鶏そぼろ弁当、できたてをお持ちしました。温かいうちに、召し上がってくださいね。ちゃんと食べて、寝てくださいね。でないと、樋口さんもよくなりませんよ」


言葉の出ない滋之に、弁当を押し付けて、遥は「では」と帰ろうとした。とたん、滋之が「待って」と言って遥の手首をつかんだ。遥もはっとする。


「ごめん、あと少し、帰らないで」

滋之から放たれた言葉に、遥の胸がきゅうとしぼられた。滋之に向き直ると、彼の表情から強い葛藤が見てとれた。


「――君嶋さんをあんなふうに突き放しておいて、いまさら何言ってんだ、って思われそうだけど。このあいだ、僕の電話にこたえて、病院に駆けつけてくれて、言葉にならないほど嬉しかった。今日も、森下さんのさしがねとはいえ、こうして来てくれて」


滋之は懇願した。


「ずるいのは百も承知だけど、いまもう少しだけ、そばにいてほしい」

遥は滋之と視線を合わせると、ゆっくりと伝えた。自分の言葉がちゃんと伝わるようにと。


「私は、樋口さんが好きです。はじめて会ったときから、好きでした。それから、あのひとに追いかけられた夜、樋口さんがすぐに来てくれて、めちゃめちゃ嬉しかった。樋口さんがまいっているときは、私がそばにいます。恋人になれなくてもいい、家族みたいな存在でいいられたら――」


遥はそこまで言いかけて、言葉をなくす。ふいに滋之から強く抱きしめられたのだった。驚いていると、滋之のしぼりだすような声が聞こえた。


「本当は、ちゃんと付き合ってほしい、って言いたい。でも、果穂のことがまだ気がかりなのは変わらなくて。君嶋さんまで、僕はちゃんと守れるのか――こんな迷っているなかで、君嶋さんに好きだなんて言えなくて」


遥は息をのんでたずねた。声が震えた。


「いま、なんて言いましたか?」
「――好きです。本当に、君嶋さんが好きです」


遥は息を吸うと告げた。


「樋口さんが一人で、果穂さんも私も守る必要なんてないです。私は自分のことは自分でできますし、自分を守ったうえで、樋口さんを守り返したいです。もちろん、果穂さんのことについても、私にできることがないか、探させてほしいです」


滋之がゆるゆると、遥の背中に回していた腕をほどく。そのまま、遥にくしゃっと笑顔を見せた。


「こんな嬉しいことって、僕の人生にいままであまりなかったです。一人じゃない、って思えました。僕、お弁当いまから食べますね。君嶋さん、業務中にすみませんでした。また連絡しますね」


「ありがとうございます、待ってますね」

遥はそう言ってドアを閉め、社用車まで戻ると、心臓の鼓動を抑えながらも前を向いた。

私もしっかりしなくては、そう思って、社用車のエンジンをかけた。

遥はキッチンさくらの休日、市立図書館に来ていた。心臓病の疾患を持つ人の症状やケアについて調べるつもりだった。遥は、大学こそ行かなかったが、高校での勉強は嫌いではなかったので、興味深く一般向けの医学書を読んだ。


そのまま、自分のキャリアのことについて、ぼんやりと考える。勉強が嫌いだったわけではない。でも、早く社会に出て働きたかった。だから高卒で就職する道を選んだ。


だけど、このままでいいのだろうか。弁当屋は楽しいが、給料はそう多いわけではない。いずれ、自分が誰かの支えになりたいと思うのなら、転職し、キャリアアップしてもっと稼ぐことも大事では――?


遥は貯金が好きで、こつこつ高卒後から貯めたものが、預金通帳に230万円ほどあった。実家暮らしは、なかなか貯まる。


「なにか、専門学校とか、通おうかな?」


つい独り言が漏れる。ふだんの遥なら、こういうことがあればまっさきに、架澄にLINEをして、相談に乗ってもらっていた。でも、いまは、一人で決断するということも、今の自分には必要なのではないかと思い、架澄への連絡自体を控えている。


次は何か専門学校について調べてみようと、その棚を探していると、ふいに、


「君嶋さん?」


と聞き覚えのある声が上から降ってきた。


「あ! ――冬柴さんっ」

なんと、先日お見合いをした冬柴将吾さんが、にこにこしながら遥を見下ろしていた。


「どうも、お久しぶりですね。あれからお元気でしたか?」


遥はあわててぴょこんとお辞儀をする。


「あのときは、途中退席して、大変失礼しました! そのうえ、お話もお断りしてしまって」


「いやいや、いいんですよ。人にはみな事情がありますし、ね」


そう言ってお茶目にウィンクして見せる冬柴さんに、遥はほっとする。


「すみません、ありがとうございます」
「何か、お探しでしたか? 僕は図書館によく来るので、もしどの本がどの棚にあるかとか、わからなかったら聞いてくださいね」


「ありがとうございます、専門学校に行ってみることを考えていて。その分野の棚をいま探していました。――そういえば、こんなことを思うようになったのも、あのお見合いの席で、冬柴さんに励ましていただいたからかもしれません」


「おやおや、それはよかった。君嶋さんに合ったお仕事が見つかるといいですね」


冬柴さんはそう言って、すぐに専門学校の本が置いてある棚を教えてくれて、


「じゃ、僕はこれで。本当に偶然でしたね」

と別の棚のほうへと戻っていった。遥は深々とお辞儀をして、棚を眺める。

(いったい、自分はどんな仕事が合っているのだろう)

そう思いめぐらしつつも、学校を出てなることができる、ある職業が気にかかってはいた。でも、まだまだ情報を集めるのが先だ。

※エブリスタでも同内容を更新しています。


いつも温かい応援をありがとうございます。記事がお気に召したらサポートいただけますと大変嬉しいです。いただいたサポ―トで資料本やほしかった本を買わせていただきます。