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【掌編】メイク

毎朝、素肌の自分と鏡で向かい合う。化粧水と乳液をコットンでたたきこみ、下地をつけて、リキッドファンデをちょんちょんと頬やおでこに乗せると、パフをつかって顔中にのばしていく。目元にはうっすらブラウンを入れて、最後にルージュを手に取る。紅筆を使って、口元をローズ色で彩った。

私の化粧なんて、簡単なものだけど、それでも昔より上手くなったほうだ。メイク用品を使い慣れない大学生の頃は、もっと微妙な感じに仕上がっていた。興味や関心が薄いから、上達するのもゆっくりらしい。ただ、最近は化粧品を選ぶのが少しだけ楽しみになっていた。最寄りのショッピングモールの美容部員に春から私の友だちが入ったからだ。

佳帆と再会したのは、ゴールデンウィークを間近に控えた4月末のことだった。いままで使っていた化粧水を切らした私は、その日仕事帰りにショッピングモールの化粧品コーナーに立ち寄った。いつものブランドのいつもの商品。それを手に取ろうとしたとき、背をかがめて陳列棚に商品を納めていた黒い制服の美容部員と目があった。一瞬間があって、それからすぐにお互い「あ」と目を見合わせた。

「佳帆、だよね。私、篠塚絵里。覚えてる?」

「もちろんだよ。あ、今は結婚したから宮野佳帆から石田佳帆になったの」

「えーそうなんだ、おめでとう」

ひとしきりお互いの近況を喋り合った後、私が「化粧水を切らしそうだから買いたいの。いつものこのメーカーがいいんだけど」と言うと、佳帆は「時間大丈夫なら、絵梨の肌をチェックしたい。絵梨の肌に合ってるものを、選んであげる」と笑った。

言われるがままに、ケープをかけられてカウンターの椅子に座ると、佳帆は私のメイクをコットンで拭き落としはじめた。柔らかい濡れたコットンが肌をすべっていく。佳帆の手つきは優しく、なめらかだった。

「化粧水をつけるときは、たくさんパッティングしてね。コットンを化粧水にひたしてたくさん顔につけて、パックするのもおすすめだよ。絵梨の肌、だいぶ乾燥してるから」

客ともなれば「篠塚さま」などと呼ぶほうが自然なのだろうけど、それでも高校時代と同じく絵梨と呼んでくれる佳帆にすごく懐かしさを感じた。選んでくれた化粧水は、たしかに私の肌をもっちりとさせてくれたみたいだった。

佳帆はそして美しかった。高校時代はもっと地味だったように思うけれども、やはり美容部員という「ひとを美しくする仕事」に就いたからには、きれいにならざるを得なかったのかな、と私は一人納得した。だって佳帆は、もっと昔は自分を押し込めているような感じがあった。でも今、髪をきれいにまとめ、自分に似合うメイクをした佳帆は、匂い立つような色香をまとっていた。

「佳帆がこんなにメイク上手になってたんて、全然知らなかった。面影はあるけど、別人みたいだね」

そう言うと、佳帆は「仕事柄、ついつい研究しちゃって」と笑った。それから佳帆は「メイクをし直していい?」と私に確認すると、私の肌にファンデをのせ、新色のルージュで口元に色づけて、アイメイクまでして仕上げてくれた。いつもの自分よりも、だいぶ垢ぬけた女性が鏡には映り込んでいた。

すごいすごいと感想を言うと、佳帆は微笑んだ。だって仕事だもの、そう言うと「そういえば絵梨は仕事なにやってるの」と訊いて来た。「老人ホームの作業療法士だよ」というと、「人の役に立つ仕事だね。素敵」と笑ってくれた。

「メイク、私も上手になれるかな」

ふと思い立ったことがあって私は言った。

「なに言ってるの。練習すれば上達なんてすぐだよ」と佳帆が言う。

「きれいになりたいの?」と訊かれた私は、答える。

「自分のこともだけど、入所者のおばあちゃんたちで、化粧をしたい人がもしかしているんじゃないかと思って。そういう人に、佳帆みたいな技術があれば、してあげられるのかなあ、と思って」

「ああ、メイクのボランティアだよね。そういう活動、聞いたことがある。私に手伝えることがあったら、なんでも言って。一緒にやってみたい」

その日は化粧品のほかに、佳帆が似合うと褒めてくれたベージュピンク系のルージュも買って帰った。女の子には、魔法がかかるの。どこかで聞いたような言葉を思い出しながら、私は佳帆とまたいろんな風に楽しいことができるな、と少しだけ明日が楽しみになった。

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