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【短編】ミミさん

高校生の頃、短期間だけ、ミミさんという人にお世話になっていた時期がある。ミミさんは、本名を柏田奈美といった。「昔、なみみとよく呼ばれてて、そのうち『な』がとれてミミになったんだ」というのがミミさんの名前の由来だそうだ。ミミさんは、深夜の街をパトロールして、若い女の子が危険な目に合う前に、声をかけて保護する、という仕事をボランティアとしてやっていた。お察しのとおり、私も、ミミさんにそうやって保護された一人だった。

16歳のころ、家には私の居場所がなかった。どうなかったかというと、まず、まともなご飯が用意されてなかったのだ。あったのは、封筒に入っているお金だけ。お金といっても、千円一枚だけで、それで一日の食事をまかなえ、ということだった。食べ盛りの女子高生が、一日千円で腹を満たすのはとても難しいことだった。

私は母に期待するのをやめて、高校の授業がひけたあと、まかない付きの喫茶店で働くことにした。慣れないバイトでは、グラスを割ったり、調理をまちがえたりして、きつく怒られることもたびたびあったが、ご飯が食べられないよりましだった。

喫茶店が八時に閉まると、その後は夜の繁華街を当てもなくぶらぶらしていた。何人かの会社員ぽい男の人に声をかけられた。バイトが休みの日に、ご飯をおごってくれるという言葉につられて、そのうちの一人にふらふらとついていったら、ホテルに連れ込まれそうになった。売春は嫌だったので、走って逃げた。

それでも家に帰らなかったのは、がらんとして人の気配がしない自宅にいると、どうしようもなく死にたくなってしまうからだった。ざわざわしてネオンの明るい夜の街にいるほうが、自分を保てたのだった。

高校の友達に、家でご飯が出てこないんだよー、と冗談ぽく話してみたことがある。完全にギャグのつもりだったのに、ものすごく同情されて、その日のお弁当を彼女はまるごとくれた。「あ、私、かわいそうな子にされてる」と、無性に腹が立ち、その日もらったお弁当は箸をつけずに、ゴミ箱に中身を捨てた。きれいにつめあわされた、彼女のお母さんの愛情が、どうにも私には、居心地が悪かった。

ミミさんに初めて会った日も、夜の街にいた。俺のうちに来なよ、とか、クラブ行って遊ぼうよ、と声をかけてくる人たちにうんざりしながら、ファッションビルの入り口の階段に座り込んでいると、よく通る明るい声が降ってきた。

「ねえ、あなた、一人? 行くとこないの?」

私のそばに立っていたのは、紺色のジャンパーに、色あせたジーンズを履いた、ずいぶんラフな格好の女の人だった。ショートカットの髪に、人懐っこい笑顔の、三十代くらいの人だった。

「あなた、まだ十代でしょう。高校生かな? 家には帰らないの」
「あそこは私の帰る場所じゃないから」

無視して立ち去るつもりだったのに、どうしてか、吐き捨てるようにそう答えていた。そのくらい、彼女の瞳が、包容力あふれる温かいものだったからかもしれない。普段なら、すごく知らない人には、用心に用心を重ねる私なのに、なぜかその女の人については、あ、信じられると思ってしまったのだ。

「私は、柏田奈美。ミミさんって呼んでもらったらいいんだけど、夜の繁華街で、行く場所のない子の相談に乗ってたりするんだ。あなたの、お名前は?」
「……佐藤瑞穂」
「瑞穂ちゃんか。じゃあちょっと、話さない?」

そのままファッションビルの階段に座り込んで、いろいろな話をした。高校をやめようかと思っていたことも、ミミさんに初めて話すことができた。ミミさんは全力で「高卒資格は、将来につながる大事なカードだから、がんばって卒業したほうがいい」と言ってくれた。

ミミさん自身の話も聞いた。ミミさんも、親に虐待されて育ったこと、幼い頃は児童養護施設にいたこと、そこからがんばって、好きな仕事を得て、今は時間の合間にボランティアで夜のパトロールをしていることなどを話してくれた。

食費が千円で、困っているという話をすると「自炊しないの」と言われた。包丁も持ったことがないし、ガスの火を使ったこともないというと、驚かれた。

「決まり。瑞穂ちゃん、バイトのない日は、うちらのグループホームにおいでよ。『ガールズハウス』っていうところでね。あなたはおうちがあるから、泊まる必要はない。でも、お料理は教えてあげよう。きっと、役に立つからね」

そういう経緯で、私は、ミミさんのグループホームに初めて行くことになったのだった。

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雨が降っている寒い秋のはじめ、ミミさんと待ち合わせして、グループホーム「ガールズハウス」へと行った。繁華街から少し外れた郊外のはじっこにミミさんのアパートはあり、その部屋と隣の部屋を「ガールズハウス」のために借りているとのことだった。

ミミさんは、私をダイニングテーブルの席で真向いに座らせると、言った。

「このグループホームにいるのはね、みんな、親の助けを借りられない子たちなの。まだ成人してもいないのにね。そういう子たちに、私は、自分の経験と、あと勉強したことからアドバイスしているわけ。こういうときは、学校にこう訴えたほうがいい、こういうときは、警察に行くべき、とかね」

「私の場合は」

「瑞穂ちゃんの場合は、ネグレクトといったらいいかな。育児放棄という意味よ。食事を用意しないというのは、それにあたるね。いま、この社会ではいろんなセーフティネットが手薄になってるの。昔はご近所さんが助けてくれた場合でも、いまはそうはいかないでしょう。私は、女の子たちが困ったときに、下にどんどん落っこちていかないように、安全網を張る役目をしたくて、いまこういうことをやってるの」

ミミさんはそう言ってから「今日の瑞穂ちゃんのお仕事は、みんなの分のカレーづくり」と言った。私が「包丁持ったことないし」とひるむと、「ピーラーなら簡単に皮むきできる。まずはチャレンジチャレンジ!」と言って、私をキッチンに連れて行った。

冷蔵庫の中には、鶏肉と、じゃがいもにんじん玉ねぎがそろっていて、ミミさんは棚からカレー粉も出してくれた。私は泣きそうになりながら、あぶなっかしい手つきで、野菜を切ったり皮をピーラーでむいたりした。鶏肉は、切りにくかった。

お米のとぎ方は、ミミさんが指導してくれた。

やっとカレーがそれなりに完成したときには、ほっとしすぎてへたりこみそうだった。同時に、なんだ、私にもできるじゃん、と自信にもなった。

「瑞穂ちゃん、偉い、偉い」

ミミさんはほめてくれて、ごはんだよー、と叫んだ。奥の部屋から、女の子が二人出てきて、四人で食卓を囲むことになった。

私のほかの女の子二人は、一人が不登校で家から出られなくなった紗南ちゃんといい、もう一人が、万引きしているところをミミさんに保護されたゆかりちゃんという子だった。二人とも、私と同じくらいの年代だった。
紗南ちゃんもゆかりちゃんも、私のカレーをおいしいと言って食べてくれた。紗南ちゃんが、口を開いた。

「ミミさんって、お母さんみたいだよね。瑞穂ちゃん、そう思わない」
「なーに言ってるの!」

私には紗南ちゃんの言わんとすることがよくわかった。本当にミミさんみたいな人が、母親だったらよかったのに、と思った。

その日は泊まらずに夜遅く家に帰り、翌朝学校に行った。その日はバイトがあったので、ミミさんの家に行けないことが残念だった。

そんな調子で、私はミミさんの家に通うようになり、ミミさんからいろんなことを教わった。

おうちはできるときに掃除をして、綺麗にしておくこと。シャツのアイロンのかけ方。千円で、どう三食分の買いものをするか。洗濯するときは、白いものと黒いものを分けて洗うこと。生きる知恵を書いてある本を図書館を使って選ぶ方法。お金の貯め方、などなど。

「私もね、教えてくれる親に恵まれなかったから、ぜんぶ独学で身に着けたの。でも、こういうこと、教えてくれる場があったらいいなって思ったから、今自分でやってる」

ミミさんの隣で洗濯物を干しながら、私は、胸のつかえがゆるゆると溶けていくような気がしていた。そして、思っていたことを言った。

「私、ミミさんと暮らしたい。あんな親、どうだっていい。ミミさんに、もっといろんなこと、教えてほしい」
「それはだめ」

返事は即答だった。

「このホームはね、いつか卒業する場所なの。ずっと私が、瑞穂ちゃんの親がわりをしてあげるわけにはいかない。トレーニング期間が終わったら、あとは自分でなんでも勉強するんだよ」

そういう答えは、予想していた。

青空の下、たなびく洗濯ものを見ながら、私とミミさんは、ただ黙って、空をずっと見ていた。

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私は、親からもらう千円で、買い物して自炊するようになった。工夫すれば、一日千円でも、いろいろ食べられることがわかってきた。バイトの日数を減らし、図書館へ行ってたくさん生きるための本を読んだ。実用書も文学も古典も読んだ。学校はまじめに通い、卒業に向けて努力することにした。家にたまっていたほこりも、きれいに雑巾がけをして、ほうきで掃いた。たまっていたいらないゴミも、たくさん捨てた。

何かがきりかわったのか、いつも一人だった私に、友達ができた。恵里というおさげで眼鏡のクラスメイトの子だった。きっかけは、調理実習のとき、彼女の手際があまりによくて、「すごいね」と声をかけたら「母が病気で、いつも家で私がつくっているから」という返事が返ってきたことだった。

自炊仲間の恵里と、私は、お互いの家で料理をするようになった。恵里の味付けの腕はとてもたしかで、私は彼女にいろんなレシピのレパートリーを教わった。料理の本もたくさん貸してもらった。

そんな折、ミミさんに、ずっと通っていたグループホームからの「卒業」を告げられた。私が恵里と一緒に焼いたくるみのパウンドケーキを、グループホームへ持って行った日のことだった。

「瑞穂ちゃんは、最近、すごく調子がいいみたいだね。おうちでも家事をがんばってるし、お料理も完璧だし。学校も真面目に行ってるしね。もう、正しい軌道からそれることはないでしょう。もう、ここには来なくても大丈夫かな。お友達もいるしね」

「ときどき遊びに来てもいいですか」

私がそういうと、ミミさんは笑った。

「すごーく困ったときは、いつでもおいで」

それが私が最後に見たミミさんの姿だった。たぶん、今でもあのホームはあって、ミミさんは何人もの女の子を救い続けてる。そう思うと、気持ちがほっとして、行く必要はその後は感じなかった。

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私は高校を卒業したあと、住み込みの旅館で仲居見習いとして働くことになり、家を出た。故郷の街を離れてしまったので、今はミミさんと出会った街に行く機会もない。私の携帯の中で、ミミさん宛ての番号だけが、押されることもないまま、眠っている。

恵里とはその後も連絡を取ってて、彼女は今、ケーキ屋さんで見習いアルバイトとして勤めながら、製菓関係の資格をとろうとがんばっている。ときどき、恵里が私の住む街まで会いに来てくれて、一緒にランチをする。恵里は、私が、親のいる街に帰りたくないのを、よく知っていて、こちらへ来てくれるのだ。

旅館の仕事の休日に、古本屋で、何かいい本がないか探していたら、夏目漱石の「こころ」を見つけた。100円だったので、買って、そのまま、日のあたる公園のベンチで読んだ。

書き出しを読んで、はっとした。ミミさんのことが、懐かしくなった。

ミミさんこそが、私にとっての「先生」だった。

親よりも、学校よりも、本当に信じられるもの。
そういうものを、思春期に、見つけられた私は、とても幸運だったのだと思った。

ミミさん。

私は目を閉じ、心の中で彼女がくれたものを、ずっとずっと、反芻しつづけていた。

#小説

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