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【小説】letters

言いかけた言葉を喉元で飲み込んで、私はもう空になったグラスの底に溜まっているわずかのグレープフルーツジュースをストローで啜った。カフェのオープン席で、テーブルの上に置かれた映画の半券の青いスタンプのにじみを見ながら、今日という日をずっと忘れないだろうと思った。真向かいの席に座っている菅野さんが、胸ポケットから取り出した煙草に火をつける。その煙がゆっくりと立ちのぼるのを私はただ眺め、そして告げた。

「もらった手紙は、燃やしてもいいですか。ぜんぶ」

菅野さんは軽くうなずくと、千円札を二枚財布から取り出し「会計はこれで」と言うと、テーブル席に私を残して立ち去った。このお札も、灰皿の中で燃やしてやろうか、と一瞬思ったがやめにして、私はぼんやりと、夏の終わりの蝉の輪唱を聞いていた。見上げた空はいつのまにか夕立の匂いを含んで、雲が遠くにきれぎれと浮かんでいた。

半袖のワンピースからはみでた二の腕が日に灼けて、少しだけひりついた。ふいに菅野さんと過ごした二年ばかりの月日、そのささいなやりとりのひとつひとつが走馬灯のようにまぶたの裏を駆け抜けて、ああもう本当に終わりなんだな、と悟った。菅野さんがひととき見せた執着も身勝手な独占欲も、いまはすべてが遠く、私の記憶からじょじょに薄れていく。そのことが少しだけさみしく、でも襲ってきたのは圧倒的な安堵感だった。この人は私を解放してくれた。だからあとは、自分の道を一歩ずつ歩いていくだけだ。もちろん、たった一人で。

秋のはじめ、二人で過ごした部屋を引き払って、私は住んでいた駅の沿線から三駅離れた、別の町へと引っ越した。フローリングを貼り換えたばかりの小さな新居で、積まれた段ボールの荷解きをせっせとしていると、母から携帯に電話がかかってきた。

「新しい家の住所を教えてくれる? お向かいの中野さんから巨峰をいただいたのだけど、私たちだけじゃ食べきれないのよ。魚の干物も、クール宅急便にして一緒に送るわ」

「ありがとう。干物、食べたかったからうれしい。こっちのスーパーじゃ、おいしいのが売っていないもの」
北陸の実家に住む母には、菅野さんとのことは何も言っておらず、ただ、引っ越したくなったから新しいアパートを探すことにした、とだけ伝えてあった。もう初老となった両親には、東京で暮らす私があまり心配をかけてはいけないと常日頃から思っている。

もちろんこの二年、菅野さんとの結婚を考えていなかったといったら嘘になる。けれど、夏の終わりに彼が言った「転勤でシンガポールに行く。君は一緒に来なくていい」という一言、それがすべてだった。一方的に近づかれ、私の内側に嵐を起こして、また一方的に去って行った。憤りや空しさを感じれば感じるほど、無駄な体力を消耗していくようで、私はいっさいに幕引きをすることにした。

それがとても簡単に終わったので、ひどくあっけなかった。最初から、いつか切り捨てる女としてしか見られていなかったんだ、という思いは、私を痛めつけたが楽にもした。自分の価値を低めに見積もることで、バランスがとれる心の状態というものも、たしかにあるのだった。

開けたばかりの段ボールからは調理道具が出てきたので、いったん作業をやめにして最寄りのスーパーへ買い物に出ることにした。一日一回は、自分のために、菜をきざんだり何か煮たり焼いたりしないと落ち着かない。自分ひとりのために食事を用意することは、ちっとも億劫ではなくて、むしろ精神安定のために必要なことだった。あたたかいものを口に含むとき、何よりも安心する。

前にとても忙しい職場にいたとき、毎日がコンビニ弁当か外食になってしまって、そのときはだいぶすさんだ。今の職場は、給料はそこまで多くないが、自分の時間が以前よりはもてるようになった。

外に出ると、夕暮れが町全体を覆うようにして降りてきていた。アパートの横の駐輪場に停めてある自分の自転車の鍵を外すと、サドルにまたがって商店街へと向かう。東京郊外のこの町は、昔ながらの街並みが残り、人も多すぎず暮らしやすい。ゆるい坂道をくだり、小学生の群れと擦れ違うと、はでなネオンのともる商店街のアーケードをくぐった。


古びた紳士服店の隣に、お目当てのスーパーはこぢんまりと建っており、タイムセールが行われる夕方ともあって、主婦らしい人たちでにぎわっていた。自転車を邪魔にならないところに停めて、店内へと足を踏み入れた。とたん、店のテーマソングらしい明るい音楽が耳をつく。山と積まれた梨の実を横目で見ながら、私はこんもりと葉をしげらせた白菜と、きのこを何点かカゴに入れた。今夜は簡単に鶏と野菜の味噌鍋にするつもりだ。レジの列に並び、支払をすませて、青い闇の中、また自転車に乗って帰った。

ベランダから差し込む朝日で目が覚めて、枕元の携帯を確認すると六時半だった。起き上がって眼鏡をかけ、湯を沸かす。寝起きにコーヒーではなく白湯を飲む癖は、職場の先輩に教えられて身に着いた習慣だった。段ボールと段ボールのすき間に敷いた布団に座って、熱い湯をちびちび啜り、半分くらい飲んだところで人心地がついた。

引っ越しのためとってあった休暇も昨日までで、今日は出勤しないといけない。台所に立ち、昨日炊いたごはんの残りに、もらいものの辛子明太子を添えて朝食にした。明太子は友達が九州に出張した帰りに、土産としてくれたもので、身がふっくらとしておりさすがにおいしかった。茶碗と箸を台所のシンクに置いて水をはると、洗面所で洗顔をする。

泡立てたクリームのあわを、ゆっくりと顔全体になじませ、指の腹でマッサージしてから流水で洗い流すと、いつもの見慣れた顔が鏡に映りこんだ。少し痩せたように見える、と同僚の子に先日言われた言葉を思い出しながら、寝巻をぬぐと出勤用の服に着替えた。家を出る時間まで、もう少し段ボールの始末をつけたいと思い、ひもを切るためのはさみを探しだすと、作業にかかった。

職場の玄関口で、タイムカードを押す。8:45という数字がカードに印字されたのを確認し、元の棚にカードを戻した。私の勤める会社は小さな印刷会社で、いろいろな会社のホームページづくりを請け負ったり、文具メーカーから依頼を受けて、万年筆やペンのカタログを制作したりしている。前はもっと大手の印刷会社にいて、営業事務をやっていたのだが、体調をくずしたのを機に転職し、今の会社に入ってDTPも学ばせてもらった。

現在は内勤としてイベントのフライヤーとかお店のチラシのデザインをしながら、一日を過ごす。文具メーカーのカタログ発表があった夏の繁忙期が過ぎたので、今はわりと、ゆったりとしたペースで仕事ができた。もちろん納期がせまっているときは、残業もするが、それでも以前の勤め先での激務よりはだいぶましだった。

駅前に今度出店する新しい美容室のチラシデザインを起こしているうちに、午前中が終わり、正午になった。チャイムが鳴ると、がたがたとみんなお昼をとるために席を立つ。普段はお弁当を持ってきているが、引っ越し作業で何も用意してなかったため、フロアを出る人の群れにならって外へと向かうと、真向いの席の小山さんが後ろから小走りに追ってきた。

「是枝さん、今日お昼外なんですか? 珍しいですね」
「ああ、引っ越ししたから。お弁当持ってこれなくて」
「そうなんですね。実は、最近行きつけの蕎麦屋があるんですけど、おいしいし、ワンコイン前後の値段だから一緒に行きませんか?」

若手社員のほとんどが東京育ちの実家暮らしの中で、小山さんは私と同じ田舎からの上京組だった。たしか、高知県出身だったと聞いた気がする。節約暮らしなのは私も彼女も同じだから、彼女が教えてくれる店はたいがいが気どらない、良い店だ。高くて美味しい店が好きとか言わない、こだわりのないところが彼女の長所だった。

高層ビル群のすき間を縫うようにして歩き、路地裏へと入ったところに、小山さんの一押しの店はあった。町屋のような外観で、入り口には紺色の地に「よしの」と店名が白い字でぬいてあるのれんがかかげてあった。ぽつぽつと客がいる中、カウンターの端の席に小山さんと並んで腰かけ、メニュー表を手に取った。小山さんはきつね蕎麦、私はとろろ蕎麦を頼んだ。お手洗いに立った小山さんが戻ってきて、話をし始めた。

「是枝さんは、このままずっと東京にいて、親は何もいいませんか」

小山さんは高知で民宿をやっている両親の存在が気になるようだった。
「東京のこと、大好きだけど、ここに自分の居場所をつくれるか、って思うと、無理なような気がして。来年で三十になるけど、それまでに結婚相手が見つからなかったら、実家に戻って見合いして民宿継ぐのもいいかなって思ってるんです」

いつもの元気な姿とは一転して、淡々と言葉を紡ぐ小山さんの気持ちが、よくわかるような気がした。私も、東京という町にあこがれて、十八歳のときにちいさな田舎町をあとにしたのだ。もう、二度と帰らないつもりで。三十四歳になる今、私が彼女のいうように東京という町で「居場所をつくれて」いるのかといえば、微妙なところだ。

仕事はある、友達もいる、ただ、菅野さんとのあやうい関係にからめとられていたこの二年余りが終わり、彼女より四つも上の私であっても、心もとなさは同じだった。

ほどなく、二人分の蕎麦がやってきた。熱い出汁から、とろろのからまる蕎麦を啜りあげつつ、今後の人生に思いをはせてみたが、ほわほわと蕎麦から立つ湯気と一緒になって、なにもない宙へと思いは消えた。

段ボールをすべてたたんでひもでくくり、中に入っていたものがすべて収まる位置に収まると、ようやく私の新居での生活らしい生活がはじまった。今日の東京は朝から雨模様で、窓を打つ雨音を聞きながら、小豆缶と切り餅で汁粉をつくる。

荷ほどきしていたら、だいぶ前に買った缶詰が出てきたのだ。餅は、母から送られてきた宅急便の中に、巨峰や干物と一緒に入っていた。小豆缶の中身を鍋に開け、水でのばす。ひとつまみの塩を入れてあたためれば、あとはオーブントースターで焼いた餅を入れるだけだ。

餅を焼くト―スターの目盛りが、じいじい音を立てるのを聞きながら、ほうじ茶を淹れた。出来上がった汁粉の椀と、お茶の湯のみを片手ずつに持って、卓袱台へと運ぶ。卓袱台の上には、読みかけていた文庫本が裏返しに置いてあった。本を邪魔にならない場所へ移動して、食事を始める。
小豆にまみれた餅を食べていると、ふと菅野さんとの思い出がよぎった。あの人は、私よりも十歳ばかりも上のくせして、好き嫌いが多かった。にんじん嫌い、しいたけ嫌い、納豆食べられない、という風にいつでも言っていて、子供か、と思ったものだった。

そう、食の好みはそれほど合わなかったのだ。なぜ付き合ったかと言えば、菅野さんのほうから、執拗な情熱で口説き落とされたからだった。今思えば、彼が私に好意をしめす方法は、ストーカーと紙一重だったかもしれないのに、この人怖い、と思うよりも、私は、自分が一人きりで東京の街を生きていくほうがよほど怖かったのだ。

菅野さんと初めて会ったのは、お酒の席だった。会社の人に連れられて行った異業種交流を目的とした大人数の飲み会で、私の真ん前の席に陣取ったのが彼だった。あまりにまじまじとこっちを見てくるので、私は自分の来ていたベージュのワンピースの開きすぎた襟ぐりが気になってしょうがなかった。会場は港区のジャズの流れる落ち着いたバーで、暗めの照明の下、少し話し込んでから名刺を交換した。

「ああ、ハタノ印刷にお勤めなんですね。知ってます」

そう言った菅野さんの名刺のほうには、私でも名前を知っている大手総合商社の名前が書いてあった。少し間を置いて、彼は言った。

「飲み物は何がいいですか。女の人の好みって、よくわからなくて。僕はとりあえず、ジントニックで」

私がカシスオレンジ、と言うと、菅野さんはウェイターを呼んでそのふたつのカクテルを注文した。

「あなたはきれいですね」

少しだけ投げやりに言った菅野さんの言葉を今でもなんとなく思い出せる。普段言われない言葉にどぎまぎしていると、ふと彼が真顔になってこう言った。
「あなたと仲良くなるには、僕はどうしたらいいですか」

ジントニックとカシスオレンジがウェイトレスによって運ばれてきて、彼女の細い指が緋色のクロスの上にグラスを順々に置くのを見ながら、ようやく小声で答える。

「これ飲んだら外に、行きましょうか。二人で」

こういう会話をまわりの人に聞かれるのが苦手だったので、思わずそう提案すると、彼はうなずき、席を二人して時間差で立つと、人込みをすり抜けて屋外へ出た。

夜風の気持ちいい夜だった。巻きつけたライトグレーのショールが風であおられる中、二人で並んで外灯のともる道を歩いた。

「僕はあなたが気に入りました。付き合ってくれますか」

ストレートな物言いに、少し怖気づいて、

「もう少し時間をください。まだあなたのこと、よく知らないから」
と言ってしまった。

「僕のことをもっと知れば、付き合ってくれますか」
「はあ、まあ」
「じゃあ、もう少し、近づき方について考えます」

菅野さんは何かを決心したような様子を見せ、そして唐突に、
「腹減りませんか」
と言った。たしかにバーでは飲んだだけで何も食べていなかった。

「そういえば、なんか食べたいですね」
「この近くに、テイクアウトできるハンバーガーチェーンがあるんです。アメリカの店なんだけど、こないだ日本にも来たやつ」

「あ、知ってるかもしれない」
「それを買ってあげましょう」

その提案にのり、二人して、ハンバーガー屋へ行くと、それぞれチーズバーガーとフィッシュフライバーガーをオーダーし、ポテトと一緒に紙袋に入れてもらった。菅野さんはその後、私を地下鉄の駅まで送ってくれて、そこで別れた。まだあたたかいバーガーの袋をかかえて地下鉄の車内席でゆられながら、へんな人、と思ったことを覚えている。

その日から、交換した電話番号に、菅野さんから毎日のように電話がかかるようになった。

汁粉を食べたあと、座布団を枕にして横になったら、すぐに眠ってしまっていた。休日は疲れているせいもあって、いくらでも眠れる。卓袱台からいつの間にか床に落ちていた文庫本を拾って、ぱらぱらとめくった。女性作家が書いたこのイタリア紀行の文庫本は、静謐な情景描写と出てくるナポリ料理のあまりにおいしそうな様子が、気に入って何度も読んでいた。

本を書棚に戻そうとしたら、手がすべって、積んであった本がばらばらと落下した。それと同時に、本の下に隠してあった菅野さんからの手紙も、二、三通一緒に落っこちてきた。私は手紙をまとめて拾うと、燃やすなら今日のうちだな、と思った。

菅野さんから付き合う前と付き合いはじめ頃にもらった手紙が、四十通近くある、と以前友達に打ち明け話をしたら、その子の目の下がひきつったことを思い出した。
「そんな人と、よく付き合う気になったね。怖くないの」

その子は渋い顔で私にそう言って、そういう人とは別れたら、と諭してもくれた。
バーで一度しか会ってないというのにも関わらず、毎日鳴る電話のベル、出たら出たで告げられる口説き文句、その一切におびえて、電話されると困るんです、と告げた数日後から、今度はどこで住所を調べたのか、家に菅野さんから手紙が届くようになった。

走り書きの手紙の文字は整っていてきれいだったけど、どこか狂気にも似た必死さを感じて、本当は少し怖く思っていた。大手商社で、美形ではないけれどこざっぱりした感じのいい男の人が、なぜ私にこうも執着するのかわからずに、とまどうばかりだった。

手紙は最初、時候の挨拶から始まり、私の体調を気遣い、自身の仕事の進捗状況がつづられ、私のことがやっばり好きだから僕とのことを考えてください、との言葉でしめくくられていた。日付のスタンプが押され、いつも薄いグレーの便箋に入っていた。

三十二通目の手紙に、クリスマス前に会いましょうと書かれていた。私は観念して、もう一度会いにいくことに決めた。会って、もうこういうのはやめてください、と断るつもりだったのだ。

十二月二十日に、新宿駅南口の紀伊国屋書店で待ち合わせることになった。クリスマスイルミネーションに彩られる都心の街は、にぎやかで華やかで、その分どこか自分のひとりぼっちを痛感させる淋しいものに思えた。南口を出て、横断歩道を渡り、人込みの中を歩きながら、私はふと、自分がひどく疲れていることに気づいた。

日ごとに増えていく手紙。あなたのことが大切なんです、とたたみかける言葉。その一切を拒絶すること、そのものに疲れたのだ。ああもういいや、と思った。おおかみの腹の中に自ら入ってしまっても、かまわないかもしれない、と思った。

外国文学のコーナーで立ち読みしている菅野さんを見つけると、私は近寄り、そっと寄り添った。それが、菅野さんの長い告白に、私が出した返事だった。

菅野さんからもらった手紙は、主に書棚に本と一緒に突っ込んであったのだが、全部引っ張り出してみると四十三通あった。私と付き合い初めてからも、前より頻度は落ちたが手紙は届いた。家に遊びにきたときに、じかに手渡してくれることもあった。手紙を燃やす、と菅野さんと別れたときには言ったものの、こう大量にあると、もう外でたき火でもして燃やすほかなさそうだった。急に面倒くささが襲ってきて、このままゴミ袋に入れて、収集車に持って行ってもらってもいいかもしれない、とため息をつく。

燃やすのはあきらめ、じゃあせめて、誰かに読まれないように切り刻もう、と思い立つと、私ははさみを抽斗から取り出して、最初の一通を半分に切った。もう半分に、さらに半分に。そのままずっと切っていたら、目の前にきりきざまれた紙の山ができた。

知らずと、涙がこぼれて、私は鼻をぐすぐすさせながら、作業をただ、感情をできるだけ殺して続けた。泣いているのは多分、菅野さんのことが恋しいからじゃなくて、捕まって閉じ込められていた子供がやっと外に出られた、その泣きたいほどの安心感と似ている気がして、なんとなくおかしくてみじめで、最後は声を殺して笑っていた。

休日の二日目は、朝寝して起きたら日が昇っていたので、洗濯機を回すことにした。下着やTシャツやバスタオルなどをまとめて洗い、ベランダに出て干した。少し薄曇りの街が、四階の高さからはるか遠くまで見渡せた。そのまましゃがみこんで、揺れる洗濯物を見ながら、小さく鼻歌を歌った。夏の間にじっとりと湿った自分の心が、すこしずつ日のぬくさに乾いていくようで、気持ちが良かった。

しばらく日にあたってから、室内に戻ると、携帯電話の着信音がした。メールが来たようだ。確認すると、大学時代の友達の理穂からで、とても悪いんだけど、ぎっくり腰になって、家事がぜんぜんできなくて心細いから来てほしいという内容だった。心配になって、すぐ行く、とメールを返した。部屋着をぬいで、黒のカーディガンとこないだ買ったフレアスカートに着替え、バッグに財布と携帯と自宅の鍵をつめてすぐに家を出た。

日曜日の中央線はほどよくすいていて、かんたんに座席に座ることができた。自宅の最寄り駅で、地元の洋菓子店のマドレーヌの詰め合わせを手土産に買った。神戸育ちの理穂は、焼き菓子がとても好きだった。私と理穂は大学で同じ近代文学ゼミをとっていて、よく隣の席で授業を受けていた。卒業してすぐ印刷関連の会社に入った私と違い、理穂は大学院に進んでから、そこで知り合った非常勤講師の先生と結婚し、学生時代から少しずつ続けていた翻訳関係の仕事を家でするようになった。私たちのいた学年でもとくに優秀だったこともあり、彼女のもとには途切れなく仕事が来るようだった。一年前に子どもをさずかり、育児にてんてこまいと聞いていたが、腰を痛めたというのは気の毒で、早く行ってあげたい気持ちがはやり、いつもの速度で走る電車を、のろく感じた。

理穂の住むマンションは、国分寺駅の北口から徒歩七分くらいのところにあった。都心ほど、人が多くないし、街の空気はのんびりしてるし、気に入っているの、と理穂は以前なぜこのあたりに住んでいるのかという私の質問にそう答えていた。ドアチャイムを押すと、少しよろつきながら理穂が出てきた。

「えだちゃん、ごめんね、甘えちゃって」
「いいよ。腰の具合はどう?」

理穂は私のことをえだちゃんといつも呼んでいる。マドレーヌの袋を手渡すと、わあ、こっちがお礼しなきゃならないのに申し訳ない、としきりに恐縮された。部屋に入ると、ベビーベッドの上にちょうど生後一年の実咲ちゃんが足をばたつかせながら寝かされていた。

おむつの袋や、哺乳瓶、授乳用ケープなど、いろいろな育児用の品々が雑然と部屋の中には散らかっていて、理穂は「片付いてなくてほんと情けない、恥ずかしい、ごめんね」とたくさん私に謝った。

理穂は、出産してからなかなか精神状態が安定しないようだった。ホルモンのバランスがだいぶくずれていてよく落ち込むことがあるらしく、たびたびメールや電話が私のもとにかかってきていた。「淋しいから遊びに来て」と家に呼ばれたのも、今年に入って三度目だった。

台所に積んであった汚れた皿を、理穂の了解を得て私は洗い始めた。私が休んでいいよと言ったので、理穂はさっきからソファにかけて、腰をさすっている。

「湿布とかあるの?」

「動けないから、買いに行けなくて。旦那さんは、学会で今九州だし」
「じゃああとで、食べ物と一緒に買いに行ってくるよ。ソファじゃなくて、腰のばしたほうがいいから、布団で寝なよ」

「何から何まで、ごめんね」

神戸出身の理穂も、何かあってもすぐ親元には頼れない。一人切りで言葉の通じない赤ん坊の育児をするのは、とても大変なはずだ。理穂はいまこうして私を頼っているけど、私も大学時代に、風邪のときに買い物をしてもらったりと、今までも何度も理穂に助けられてきた。困ったときはお互いさまなのだ。

皿を洗い終わり、掃除機で部屋じゅうの埃を吸い取ったあと、私は実咲ちゃんの様子もちらちらうかがいながら、奥の部屋で横になっている理穂の枕元に行くと、
「もう少ししたら駅ビルで湿布と食べ物買ってくるけど、何食べたい?」
と聞いた。

理穂はしばらくぼんやりとしたのちに、ぽつんと呟いた。

「結婚生活って、ときどきすごく寂しいね」

思いもよらない言葉に、私が何も返せないでいると、理穂が続けて呟く。
「一人のときも寂しかったけど、一人だから寂しいんだって言い訳できた。でも、家族がいても、こうやって一人にされて、動けないと、すごく孤独だよ」

私はしばし黙ってから、訊いた。
「旦那さんは、いつ帰ってくるの?」
「明後日の夜。だけど、帰ってきても、家事とかしてもらえないし、実咲のことは私がぜんぶ面倒なにからなにまで見ないといけないし、もう、って感じだよ。……ごめんね、こんな愚痴」

「いいよ」
「主婦になったら、寂しさとは無縁だと、勝手に思ってたのにな」

腕を目のふちにあてて、涙を見られないようにしている理穂を見ながら、私も自分の中のがらんどうの孤独が、浮き上がってくるような気がした。

実咲ちゃんをあやすのと同じように、私は理穂の頭にそっと手をやって軽く撫でた。ふっと胸からわきあがってきた思いを、口に出す。

「私も、菅野さんと夏に別れたんだ」
「えっ、そうなの。結婚まで行くのかと思ってた」
「おかしいよね。あんなに最初、執着見せて、付き合って、って懇願してきた人が、だんだん、私のことはどうでもよくなって、離れていくんだもんね。でも、寂しいことは寂しいけど、別れたら楽になったところもあるよ」

「あの人の一時期のえだちゃんの束縛の仕方、ちょっと変だったからね。そうだったんだ。別れたって聞いて、実はちょっと安心したんだ。えだちゃんには、もっといい人がいるよ」

ふと、会社の人から大学時代の友達まで、男性という男性の連絡先を、菅野さんが私の携帯から勝手に消去したときのことがよみがえった。お気に入りだった肩の出るノースリーブワンピースを、ほかの男をそそっちゃうから着たらだめ、と勝手にゴミの日に出されたことも思い出した。あの人の愛情は、たしかに歪んでいて、私だけしか見てなくて、でも私は自分が閉じ込められた小さな箱から、どうやって出たらいいのかわからなかった。商社勤務というあの人の肩書と、持っているはずのお金。それを想像して、このままこのエスカレーターに乗っていけば、きっと幸せな未来が来るんだ。そう自分の気持ちを誤魔化しては、道の先に落ちている暗い影を見ないようにしていた。

理穂と話し込み、結局湿布と食糧を買いに駅ビルに向かう頃には、日が落ちかけていた。駅ナカのドラッグストアの激安とか爆安とかいう派手なポップを見ながら、湿布と切れかけていたシャンプーを買った。青いエプロンをした若い店員がお釣りとレシートを渡してくれたので、頭を軽く下げて、私は今度はビル内のスーパーに立ち寄った。

元気が出るようにと、ビタミンCを意識して、ハウスみかんを買った。夕食は理穂の家で鍋焼きうどんをつくろうと思い、その材料を見繕って買った。牛乳とクロワッサンもカゴに入れた。私たちは等しく孤独だ、と胸の中にしずくが落ちるように思った。スーパーの明るい照明が少しだけまぶしく感じ、目をそっと細めた。

理穂の家から自宅に帰ると、もう夜の九時過ぎだった。日中干してあった洗濯物をとりこんでたたみ、衣装ボックスにしまうと、私は昨日きざんだ菅野さんからの手紙を、ゴミ袋にまとめて入れて、アパートの階段下のゴミ出し場に置いてきた。明日は月曜で燃えるゴミの日だから、業者の人が持って行って焼却してくれる。

もう、なんの感情もわかなかった。ゴミ出し場を照らす外灯のまわりを、小さな蛾が一匹、ひらひらと舞い飛んでいた。どこかで咲いているのか、ほのかに金木犀の香りがした。

部屋に戻り、久しぶりに湯船に湯をはって、入浴をした。夏から秋のはじめはずっとシャワーですませていたのだ。ここ最近気温が下がり、手足の冷えを感じるようになってきたので、今日は身体を温めたかった。風呂につかりながら、考えるのは、この前小山さんと蕎麦を食べたときに宙に消えた自分のこれからのことについてだった。

もちろん引っ越しはしたのだし、勿論今後も東京にいるつもりではあるのだけど、私は十八で出てきた北陸の町について、自分は何も知らないなと思った。母も父も、電話で聞く声は元気でも、正月に帰るときに顔を見ると、やはり一年一年、積もっていく年齢を感じる。

浴槽から出て、シャンプーで洗髪しながら、十月の三連休のときに一度帰ろうかな、とふと思った。以前帰ったのは、従妹の結婚式があった三月だったから、もう七か月ぶりになる。お盆の時期は何かと忙しく、帰ったりできなかったのだ。

湯をはらい風呂場を出て、バスタオルで身体をふきながら、私は夜行バスのチケットを取ろう、と決めていた。そう決めてしまうと、気持ちは楽になって、私は十月のカレンダーの三連休の下に矢印をひいて「帰省日」と赤いペンで書きいれた。

翌朝出勤するときに、ゴミ出し場を見たらもう手紙を入れたゴミ袋はなくなっていたので、すっきりした気持ちになった。焼却場を想像して、燃えろ、燃えろ、炭になるまで燃えろ、あとかたもなく、と即興の鼻歌を歌った。

自宅から最寄りのJRの駅まで徒歩十分の距離を歩き、そこから電車に30分乗った先が、私の職場の駅だ。今朝は朝食を摂らずに出てきたので、電車に乗りこむ前に駅ナカのスープスタンドでじゃがいものあたたかいポタージュを買い、ベンチに座ってふうふう言いながら食べた。とろりとした白いスープに、浮いたクルトンがこうばしかった。

エスカレーターを歩いて上がり、ちょうどすべりこんできた車両に乗り込む。満員電車とはいかないが、ある程度は混んでいたため座れず、つり革につかまって、かばんのポケットからipodを取り出し、両耳にイヤホンを差し込んだ。

再生ボタンを押すと聞きなれた大好きなバンドの音が流れ出し、やっと人込みの中でも人心地がつく。車窓からは、大きな川と緑の土手が見えて、私はやっぱり東京という大きな街のこういう大きな景観が、好きだと思う。そして、やっぱりこの街を離れたくないというのが、私の本心なのだった。

深夜の高速バスターミナルには、ひっきりなしに日本の各地へ行くいろんなバスがやってきて、客を飲み込み、目的地へと出発していく。金沢駅行きのバスきっぷをにぎりしめて、さっきから、真夜中の空気を吸いながら待ち続けている。

今が、出発時刻の5分前。それまでは、近くのスターバックスで、あたたかいチャイラテを飲みながら、時間つぶしをしていた。バス乗り場に並ぶ人の列のちょうど真ん中くらいにいる私からは、大きな道路を走る車たちのライトがただ明るく見える。

金沢駅都ホテル前行きのバスが、ゆっくりと大きな車体ですべりこんできて、私たちの前で停まった。寒くないようにとブランケットをもらい、4列シートの指定された席に座る。背もたれを、後ろに誰もいないことを確認してゆっくり倒したところで、バスがそろそろと動き出した。

ブランケットを、鼻の下まで引き上げて、私は車内を見回す。乗客の数はバス席全体の三分の一くらいだった。さっそく眠りはじめた人が何人かいて、私もそれに倣って目を閉じた。誰かの携帯ゲーム音が聞こえ、また静かになった。

早朝、金沢に到着した私は市内を回るバスが動きだす時間を駅のベンチで待って、実家へ向かった。着いてドアチャイムを押すと、母親が出てきた。少し白くなった髪に、クリーム色のエプロンをつけている。急いで出てきたのか、つっかけを履いていた。

「あら、直美。夜行バスってこんなに早く着くのね。なにはともあれ、お帰りなさい」
「ただいま。父さんは?」
「まだ寝てる」

私は母に芋羊羹の袋を手渡すと、靴をぬいで居間へと入った。ソファの上にリュックと帽子を投げ出して、自分も転がった。

「あー、やっぱり、深夜バスは疲れるね」
「当たり前じゃない。新幹線で来ればよかったのに」
「だって高いでしょう」
「それはそうだけど。一度でも乗ってみたらいいんじゃないの」
「私はバスでいいんです」

母が、朝ごはんよと言って、焼いたトーストと温めた牛乳、それにベーコンエッグを出してきてくれる。それをつつきながら、久しぶりにくつろいだ場所に家族といる独特のリラックスした感覚を思い出していた。

「そうそう、お友達の中里百合子ちゃんから、結婚式の招待状が来てたわよ、うちの方に。たぶん直美の東京の住所がわからなかったんじゃないかしら」
「えっほんと、見せて」

中里百合子は私の高校時代の友達だ。ショートカットでさっぱりとした気質の、感じのいい子である。彼女の現在住んでいるところも、式の行われる場所も、関東だった。あえて実家に送ったのは、母のいうとおり、私が関東の中でもどこにいるかわからなかったせいだろう。しばらく連絡してなかったからな、いろいろ気を使わせちゃったな、と思う。

招待状にはきれいな手書き文字で「ようやく結婚することになりました。直美ちゃんにもぜひ会いたいから、来てくれたら嬉しいな」と書かれていた。

「この子あなたと同い年でしょう。友達の中じゃ、結婚遅いほうよね」
「いやいや母上様、私なんか予定もないですから」
 自虐気味に言ったネタに、母が真顔で返す。

「だってあなたは、結婚しないつもりなんでしょう」

思わず母の顔を見上げると、母は少し困ったように笑って続けた。
「三十半ばになっても、彼氏の一人がいた気配もないし、お父さんと言ってるの。直美は頑固なところがあるから、きっと結婚しないことに決めたんだろうねって。あなたは昔から、難しいところがあったから」

私は眉根を寄せて、実はそう見られていたのか、と嘆息した。この夏まで二年間余り、菅野さんと付き合っていたことを隠し通していたのがまず誤解を招いた、と思う一方で、いまこうしてその関係も終わっているのだから隠し通して正解だったのだ、とも思う。

隠していたのは単に、母や父に心配をかけたくない、というのが建前としてあって、でも結局は、私がそれほど菅野さんとの結婚に積極的じゃなかったからなんだろうな、とふと感じた。それは、この二年の付き合いで、菅野さんのほうも、だんだんと気づいていったに違いない事実だった。

だから最後、ずっと握りしめていた風船のひもを離すように、私を自由にしてくれたのだ。ここにきて初めて、私と別れてくれたのは、菅野さんの最後の愛情だったという気がしてきた。結婚にその気のない私を、ちゃんと見抜いて、閉じ込めていた場所から、外に出してくれたのだ。そう思うと、胸が少しだけ痛んだ。

「梨むこうか? それともりんごがいい?」

ほうって置くと、私のためにどんどん食べ物を出してきそうな母に、丁寧に断ると私は自室に入った。バスの中であまり熟睡できなかったので、眠気が襲ってきたのだ。ボストンバッグにつめてもってきた楽な部屋着を取り出すと着替え、私は自分のベッドにもぐりこんだ。

実家を離れても、こうして帰ると、ちゃんと寝場所が処分されずに置いてあるというのは、たぶん素晴らしいことなんだ、と一人感慨にふけりながら眠りについた。意識を手放す寸前に、今度は本当に好きな人と付き合おう、と思った。

眠って目が覚めると、もう夕方だった。時計を見たら、五時をさしている。ちょっと眠りすぎたな、と反省して、居間に戻ると、甘辛い醤油の匂いが鼻をついた。台所に立っている母に尋ねた。

「今夜のご飯は何?」
「すきやきよ。いいお肉も買ってきたから。ほら、ナカタ精肉店の」
「お父さんはどこ?」
「チロの散歩に行ってる。小学校の裏をひとまわりして、もう帰ってくるわ」

チロは実家で父が飼っている柴犬だ。もう10歳だから、おじいちゃんの域に入っているのだが、まだまだ元気で、しっかりと父の相棒を務めている。少し毛がぬけてきて、まだらになっているけれど、知らない人にちゃんと吠えてくれるところが頼もしい。

父にはなかなか会えない、と思いつつ、あくびを噛み殺しながら、昨日母から受け取った百合子からの招待状の返信葉書を眺め、出席のところに大きくマルをした。帰るときに投函しようと思う。

父が散歩から帰るのを待って、母と三人ですき焼き鍋を囲んだ。父が徳利をかたむけ、私も熱い日本酒を久々に喉に流しこんだ。私がしらたきばかりとっていると、父が「肉も食べなさい、ほら」と言って私の卵液の中に肉をどんどんほうりこんできた。

近所の畑でとれたのをもらったと聞いたネギもおいしかった。たらふく食べて、三人でいろんな話をした。父も母も、老いたと思っていたが、その顔は明るく、私までちょっと元気になれた。こういうとりとめのない実家での時間を、これからも増やしていけたらな、とほんのり赤い頬で思った。

お風呂をすませ、自室のベッドにもぐりこんだのは一時すぎだったが、夕方まで寝てしまったこともあって、なかなか私は寝付けなかった。淡い残像として、最後に別れた日に煙草を吸うためうつむいた菅野さんの顔ばかりが、思い浮かんだ。

そのとき彼が来ていた、白地に紺色のストライプのシャツも。私はこの二年間を、まるで閉じ込められたかのように思い返していたけど、楽しいことだってなかったわけじゃないのだった。二人で海の近くの公園に行った日、菅野さんは、私に誕生日プレゼントだといって、小さなルビーをあしらったピンクゴールドのブレスレットをくれた。うれしくて私がはしゃぐと、そのあとふたりで波打ち際まで行って海に足をつけてはさわいだ。

こんな小さくて何気ない思い出も、後になってみると、きらめいて見えるものだった。菅野さんへの感情は、私にとって名付けるのが難しかった。怖れがある一方、惹かれるところもあった。憎しみもあったかもしれないし、反対にいとおしさだってあった。

グラデーションのようにして、マイナスの気持ちとプラスの気持ちが混ざり合い、なんとも名付けがたい感情として、私の心をまだ占めていた。でも、もういまとなっては、少しずつ遠ざかっていく話だ。忘れていくように勤めなければ、と思い、眠くない目を何度か閉じているうちに、本当に眠ってしまった。遠く、虫の声が聞こえるのを最後に、意識を手放した。

実家での二日目は、朝から母のフィットを私が運転して、ホームセンターに花の苗を買いに行った。実家の周りにはいつもプランターが並んでいて、母がせっせと世話をしているのだ。先日台風が大雨を連れて来て、植えてあった花が軒並みやられてしまったので、新しく植え替えたいのだと母が助手席で話す。

私はあいづちをうちながら、土を触る作業は実は苦手だなあと思っていた。みみずとかいないの、と母に聞くと、何言ってんのもちろんいるわよ、と言われ、気分が沈んだ。

ホームセンターの駐車場に車を停めると、私と母はまっすぐに植木や鉢植え、苗が置いてあるスペースを目指した。遠くからでも、緑や色とりどりの花が見えた。

母は着くなり、どの花を選ぶか吟味し始めた。私はぼうっと突っ立って、見るともなしにいろんな花々を見ていたが、ふと白いマーガレットが気になって「これ買わない?」と母のもとに持っていくと「いいわね」と言ってカートのカゴに入れてくれた。母は、そのほかに黄色いウィンターコスモスの苗も買っていた。

実家に戻った私は、母と二人で納豆パスタをつくって食べて、その後外へ出てプランターの植え替えをした。プランターをひっくり返し、中の土を新聞紙の上に空ける。土を触るのが気持ち悪いという私に、母が軍手を貸してくれた。みみずは幸い出てこなかったが、だんごむしや蟻はいて、私の軍手までのぼってきた。土に穴を空けては、ひと株ずつ苗を入れていき、また土をかける。作業しているうちに、背中が痛くなるので、ときどき伸びをしながら続けた。

植え替えがすべて済む頃には、小雨がぱらぱらと降ってきていた。ちょうどいいタイミングだったね、と母と言いながら、バスタオルで髪やぬれた肩先をふいて、部屋に上がった。母が熱い紅茶を入れてくれて、二人でお土産のチョコチップクッキーをつまんだ。庭が元通りきれいな状態になって、母は満足そうだった。よかったな、と思い、帰ってきて親孝行がひとつできた、と嬉しくなった。

夕方、父が「直美、銭湯行くか」と言いだして、二人して近所の銭湯に出向いた。プラスチックのカゴに、母がシャンプーとリンス、タオルに洗顔クリームに石鹸とすべて用意してくれた。雨が降っていたので傘をさして、二、三分歩くと、おなじみの「ふたば湯」に着いた。子供時代はよく来ていたけど、実家を出てから一度も訪れていなかったので、なんだかいろいろ懐かしかった。

父が入浴券を買ってくれて、番台のおばちゃんにその券を渡すと、父と顔なじみらしく「あらあ、娘さん? 大きくなったわねえ」と声をかけられた。軽く会釈をして、男湯の青いのれんをくぐって消えた父を見送って、私は女湯の赤いのれんをくぐる。

板敷の脱衣所には、小さい女の子からおばあちゃんまで、何人もの女性が着替えたり、せんぷうきにあたったり、一休みしたりしていて、むっとした独特の気配があった。私も早速ぬいだ服と下着を、鍵付きのロッカーにしまって、タオルとお風呂セットを持って浴場へのガラスの引き戸を開ける。

立ち込める湯気の中、かけ湯をして、さらにシャワーであちこち洗い流してから、ヒノキの木で出来た大きな浴槽に浸かった。身体の芯まで、熱さがしみわたっていって、気持ちよかった。

こうしていると、身体に垢がたまるように、自分が引き取っていたいろいろな重たい感情が、湯に浸かっていることで少しずつはがれて消えていくような気がする、と思った。湯をすくい、顔にかけては洗いながら、このまま泣けたらいいのにな、とふと思った自分に驚く。

そんなに、菅野さんとの別れが、悲しかった気はしないのに、私の身体は、泣くことを望んでいるようだった。でも結局、涙はにじむくらいで泣けなくて、そのまま湯に浸かりながら、遠い天窓の夕焼け雲を見ていた。

金沢から帰ると、また仕事の日々が始まった。金沢土産として職場に持って行ったきんつばはとても好評で、あっという間に箱が空になった。みんなおいしいと言って食べてくれた。今回私に回ってきたのは、若手音楽家の演奏会のパンフレットの仕事で、営業事務の人と一緒に主催者の人との打ち合わせにも出席した。弦楽器のカルテットの演奏会が、市内のコンサートホールで十二月末にあるらしい。

「えーと、この写真のサイズ、もう少し大きくできないかな」
「はい、こんな感じでしょうか。色の彩度もちょっと、明るめにしますね」
「そんで、タイトル文字は、このフォントで、よろしく」

自分の中にパンフレットのイメージがあっても、主催者がこう作ってほしいという希望が第一優先だから、やっぱりいろいろ、手を加えるうちに最初に思い描いたものとは変わっていく。そこがおもしろいし、醍醐味でもあった。

パンフレットだけでなく、結局チケットのデザインも頼まれて、せっせと制作しているうちに、時計は夜の9時を回っていた。同じように仕事をしていた課長も、
「是枝くん、悪いけど、先に帰るので、部屋の鍵だけかけていってね」
と言って帰ってしまった。

10時過ぎまでやってから帰ろうと思い、給湯室で熱いコーヒーを淹れて、フロアに戻ってくる。簡単に必要ないものの電源を切って置こう、と思い、シュレッダーやコピー機の電源を落とし、ブラインドも閉めようとしたとき、窓から満月に近い大きな月が見えるのに気が付いた。菅野さんのいるシンガポールからも、月は見えているのだろうか、と一瞬思い、時差があるからそう簡単に同じようには見えないな、と思い直す。その日は遅くまで仕事をして、家に帰った。

中里百合子の結婚式の日は、大安吉日だった。おまけに雲ひとつない晴天で、美容室で髪を結ってもらっている間、美容師さんが「こんな良い日に結婚できる方は、きっと幸せですね」と言うくらいだった。銀色のヒールの靴に、淡いピンクベージュのパーティドレスを着て、黒のハンドバッグを持って私は電車に揺られた。

電車の中で、何回か手鏡を取り出して、いつもよりしっかりめにした化粧が濃くないか、確認を重ねた。百合子のお母さんと仲のいいうちの母から聞いた話によると、百合子のお相手は年下の幼稚園教諭だと言う。男性で幼稚園教諭ってめずらしいね、と母に言うと、最近は多いのよ、と返事が返ってきた。

電車から降り、地図を見ながら徒歩で式場に向かううちに、ヒールの足が痛くなる。もう限界、と思う頃に、真っ白な建物が見えてきた。都会の喧騒から少し離れた、緑の木々の中にある教会つきのホテルだった。入り口の受付で、招待状を見せて名札を受け取ると、控室に案内された。

高校時代の見知った顔が何人かすでに座っていて、わー、ひさしぶりー、とお互いに歓声を上げた。みんな年相応にとても綺麗な恰好をしていて、同級生のうちの一人は、タキシードを着せた小さい子供づれだった。

「直美ちんは結婚まだなの?」
 聞かれた問いに苦笑して答える。
「うーん、残念ながら、まだ一人だよ」

そうなんだー、でも最近はみんな結婚する時期はまちまちだしねー、独身も自由でいいよねー、そんな声を聞き流しながら、私は控室のソファのはじに腰を下ろす。

しばらく皆で談笑していると、ブライダルのスタッフらしい女性が「式の準備が整いましたので、こちらへ」と言って私たちを教会まで案内してくれた。

教会の中に入ると、正面に大きな十字架がかけてあり、その前にずらりと聖歌隊が並んでいた。大きなパイプオルガンの前には、演奏者も座っている。式が始まると、皆いっせいにデジカメや携帯のカメラをかまえ、写真を撮りだした。私も、自分の席から前に乗り出して、父親につきそわれて入場してきた百合子の写真を一枚だけ撮った。

式と披露宴がつつながく終わり、二次会はパスして帰りの電車に乗った。フラワーシャワーで祝福を浴びる百合子の顔は最高に輝いていて、いいもの見たな、と素直に思えた。百合子が幸せになるように、と私はそっと胸のうちで祈り、その祈りは、私が関わった人たち一人一人へ波及していった。

小山さんが幸せになるように。理穂が幸せになるように。父と母が幸せになるように。最後に菅野さんの顔を思い出して、やっぱり幸せになってほしいと思った。勝手に近づいてきて、勝手に去っていった人だけれども、夏から秋にかけて私は何度も彼のことを思い返し、汚い思いはろ過されて、あとには砂金のようなガラスくずのような、光を反射する思い出ばかりが残っている。会場でひっかけたワインが残る頭で、私はくるくるとそんなことを思っていた。

夜の電車の窓に、自分の横顔がうつりこみ、私は、精一杯着飾った自分を、ちょっと気張りすぎだな、と笑った。

十一月に入り、寒さを感じる季節がやってきた。私は、ショッピングビルのウインドウに飾られていた真っ赤なマフラーにひとめぼれして、購入した。自分へのプレゼント、という言葉は気恥ずかしくてあまり好きではないけど、このマフラーを巻いていたら、淋しくないような気がしたのだ。家に帰って包み紙を開け、深紅のマフラーを取り出して、ずっと前から持っているグレーベースのツイードのコートと合わせてみた。

少し夏の頃から白くなった肌に、赤いマフラーはよく映えた。これで、冬のお出かけもばっちりだ。今年のクリスマスは一人で迎えることになるはずだけど、不思議と夏にふられたときよりも気分が回復していて、少なくとも孤独の底ではないと思えた。それは、私が新しい場所にいつの間にか立っていたからだと、自然と感じた。

私は抽斗から便箋とペンを取り出し、菅野さんに出さない手紙を書くことにした。出さない理由は、彼のシンガポールの住所を知らないという理由がひとつと、自分でこの二年間にピリオドをちゃんと打つ、そのしるしにしようと思ったからだった。少し口の端に微笑みを浮かべると、私はペンを走らせ始めた。

菅野糺(ただし)様

日本はもう冬になりました。会わなくなって四か月になりますが、そちらでの暮らしはいかがでしょうか。
思えば私はお付き合いしている間、あなたに一度も手紙を書きませんでしたね。あなたは四十通あまりもくれたというのに。

別れるときに、手紙は燃やしますと言った通りに、私はあなたからの手紙をすべて、ゴミと一緒に出してしまいました。焼却場で、今では灰になっているでしょう。

あなたが私に近づいてきたとき、私はすごく怖かった。あなたを疎んじながら、拒みながら、過ごした二年間余りだったことを、あなたはたぶん気づいていたのですね。
でも、あなたのことを、心から苦手だったわけではありません。笑わせてもらったり、一緒に楽しい時間を過ごしたり、そういうこともたくさんありました。温かな時間もくれたこと、その上で最後に自由にしてくれたこと、とても感謝しています。

シンガポールは冬でも温かいのでしょうか。何も知らず、つまらない質問をしてごめんなさい。この手紙も、読んだらすぐに捨ててください。私があなたの手紙をそうしたように。
では、いつまでもお元気でいてください。

書きながら、いつの間にか泣いていることに気が付いた。涙は書いていた手紙の上に落ちて、インクがしみとなってにじんだ。引いてしまった潮は、もう戻って来ない。満潮になることはない。誰もいなくなった海で、一人たたずんでいる気分だった。胸のうちを揺るがす感情が、もう、憎しみなのかいとしさなのかよくわからなかった。

ただひとつわかっていることは、菅野さんが私をもう必要としていないことだった。疎んじて、拒んで、避けて、その先にこんなにさびしい空っぽの気持ちがあるなんて知らなかった。人は私を自分勝手のわがままというかもしれないけれど、私はこめかみが痛むくらいの強さで、菅野さんのことを思って「どうか私の知らない遠い場所で幸せになってください」と祈った。

故郷の、冬になると白い波が激しく打ち寄せる浜辺を思い出す。岩をも砕くような強さで、寄せる波は、ときには人を簡単にさらう。波にのまれて帰れなくなった人を知っている。菅野さんというはげしい波に、そのまま飲まれてしまうのもありだったのだ、と、さらわれず陸に上がって助かった私は、いまさら思う。

涙の痕のついた手紙を、私は厳重に封をして、抽斗の奥にしまう。赤くなった目をこすり、私は出かける支度をする。赤いマフラーを巻いて、冬を迎える町へ出るのだ。一人だけど、一人ではない。ふいにそんなことを思う。みんな一人だけど、みんな一人ではない。誰かとつながったり離れたりしながら、私たちは生きていて、もう二度と手をつなげない人だっているけれど、一瞬つないだ手のぬくもりを、たぶん忘れたりしない。さようなら。誰に言うとでもない言葉を口の中でつぶやいて、私は玄関の鍵を閉めた。冬のブーツが枯れ葉を散らす。歩いた先には、新しい一日が待っている。

                             

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