【小説】ひよどりストア桜が丘店 青果部門
ふっと頭の端をかすめるのは、幼い頃の自分の姿だ。炒り卵の中に入っているピーマンを「苦いんだもん」とよけてばかりいたら、母にたしなめられた。嫌いなものは嫌い、好きなものは好き、と白黒がはっきりついていた私の世界。いつから、そこをあいまいにして、ピーマンが食べられるようになったんだっけ――?
考えていたら一瞬作業の手が止まりそうになり、麻野ふみはあわてて腕時計を確認した。午前八時二十分。ふみの職場であるスーパーマーケット『ひよどりストア』の開店は午前九時だから、その前に品出しを終えなければならない。
ふみはブロッコリーの鮮度を目で確認すると、古いものは陳列の前のほうに並べ替え、いま倉庫から出してきた段ボールから、新しいブロッコリーを出すと、それは後ろのほうに置いた。これはいわゆる「前出し」という作業で、早めに購入してほしいものからお客様に買っていってもらう工夫である。
ブロッコリーを並べ終え、大物のキャベツ積みにとりかかろうとしたところで、声がかかった。
「麻野チーフ、次は何の箱を陳列すればいいですか?」
先週、ふみがチーフを務める青果売り場の新規バイトとしてこの『ひよどりストア 桜が丘店』に入ってきた女子大学生の千賀さんだった。入って三か月もたてば、何から陳列していけばいいかの優先順位はおのずとつけられるようになるだろうけど、まだ入って一週間では仕方ない。
「ええと、とりあえずきのこ類出してもらっていいかな。えのき、まいたけ、しいたけ、しめじとか。それが終わったら、また声かけて。私じゃなくて山本さんに聞いてもいいよ」
ふみが、青果で長年勤めているパート主婦の山本さんの名を出すと、千賀さんは「はい」と言って倉庫のほうに駆けていった。
ふみ自身も次々と台車に載せてある野菜の段ボール箱を開け、手早く陳列していく。もう春が近いから、ふきのとうやたらの芽などの山菜が出始めた。旬の野菜をいちはやく確認できて季節の移り変わりを肌で感じられるのは、この仕事の魅力でもある。
陳列作業に没頭していると、ふっとまた言葉が脳裏をかすめた。
『おいしくないんだったら!』
浮かんだのは、先週聞いたばかりの、甲高い男の子の声。いかにも嫌そう、というその声音に、ふみの胸がちくりと痛んだ。男の子の目の前にはオレンジ色のケーキと薄緑のケーキが、ほとんど手をつけられないまま食べ残されていた。
「チーフ、そろそろ開店時間ですよ」
山本さんの声かけに、ふみは我に返った。からになった段ボールをふたたび台車に積んで片づけながら、ふみは首を傾けた。こき、と骨が鳴る。これから、店長を囲んでの朝の朝礼、そしてそのあとは開店してお客様を迎える。気持ちを切り替えてがんばらなければ。そう思ってふみは「よし」と声に出して気合いを入れた。
麻野ふみは、スーパー『ひよどりストア 桜が丘店』の青果部門チーフである。地元密着をうたう『ひよどりストア』に新卒入社して六年。みずから希望した青果部門で、とうとう今年からチーフとなった。
口さがない親戚からは「大学まで出してもらって、スーパーにお勤めかね」などと言われたが、ふみは意に介さない。幼い頃苦手だった野菜は、いまは食べられないものがなにひとつないし、趣味ではじめた料理は日々の楽しみとなっている。また、スーパーで野菜を買って売るだけでは飽き足らず、二年前からベランダ菜園も始めている。紫蘇やバジルを収穫して、手料理のアクセントにするのにはまっているのだった。
そんなふみには、白浜隆志という恋人がいる。学生時代はラグビー部の活動に打ち込んだ彼は、体は大きいが気の優しい、良い人だ。同じ地元の大学で知り合い、お互いに就職を決めたあとも付き合い続けていて、夏には結婚式を挙げる予定なのだった。
ふみは一昨日、えんどうとベーコンのオイルパスタを隆志につくった。会社帰りに隆志がふみのアパートに寄ってくれたのだ。少しにんにく風味をきかせたパスタを隆志はいたく気に入り「うまい」を連発しながらぺろりと大盛りを平らげた。そのあと、口元をティッシュで拭うと彼は言った。
「こないだは、姉貴と拓真がごめんな。せっかくふみが、ケーキを作ってくれたのに」
「ううん、いいよ。気にしてない。でも、どうしたらいいんだろうねえ」
のんびりとした口調でそう言ったふみを見て、隆志はほっとした表情になる。隆志がなぜ謝ったのかといえば、それは二か月前の冬、彼の実家をふみが訪問したことにさかのぼる。
十二月半ばの休日、隆志と休みの日を合わせたふみは、彼の実家を訪れていた。次の夏に結婚式を挙げる、その報告もかねて遊びに来たのだった。
目元が息子によく似た隆志の父、良一さんと、ふっくらして小柄な隆志の母、玲子さんと一緒に、四人でおかきをつまみながら、ほうじ茶を飲んだ。そして自分たちの結婚式の予定について和やかに話をする。そうしているうちに、玄関の引き戸が開く音が聞こえた。
「ただいまぁ」
小さな男の子の手を引いて、ふすまを開けて居間に入ってきたのは、隆志の姉、美佐子さんだった。
「あ、ふみさん、来てたんだ」
「お邪魔してます」
微笑んで会釈したふみだったが、美佐子さんの表情はどことなく硬かった。いつもそうだ。美佐子さんは、ふみに対してとてもよそよそしい。一時そんな美佐子さんの態度に困惑し、隆志に相談したこともあったが「姉貴はバリキャリで働いてたけど、家にこもって主婦をしているいまは、育児がとても大変で悩んでるみたい。たぶん姉貴の問題で、ふみが悪いわけじゃないから、あまり気にしなくていいよ」と言われた。
頭では理解していても、美佐子さんの態度がそのようなため、ふみはいつも美佐子さんの前だと萎縮してしまう。デリケートな状態らしい美佐子さんに対し、なにか失言でもしやしないかと、最近は顔を合わせるたびに、ひやひやしてしまうのだった。
美佐子さんと手をつないでいるのは、息子の拓真くんだ。隆志にとっては、甥っ子にあたる。たしかいまは小学一年生のはずで、きょろきょろとあたりを見回し、どこか不安げにしている。
「拓真、今日はおばあちゃんのごはんが食べられるからね」
かがんで拓真と目を合わせ、美佐子さんはそう言った。玲子さんがぱっと微笑む。
「そうだ、せっかくふみさんも来てるから、夕食までみんなで一緒に食べましょう。私、腕をふるうわ。ね、隆志、ふみさん、そうしてちょうだい」
大勢のごはんづくり、大変ではないかな、とふみは思った。しかし満面の笑顔になっている玲子さんの手前断るのも忍びなく「ごちそうになります。お手伝いもさせてください」と頭を下げた。
美佐子さんからの無言の視線に、少し圧を感じたが、ふみは気にしないふりをした。
その日の晩、白浜家の食卓には、たくさんのおかずの皿がごはんとともに並んだ。ふみも台所に立ち、菜をきざんだり鍋をかきまぜたりと玲子の手伝いをした。そのあいだ、隆志は良一さんに頼まれて、良一さんの車の洗車を一緒に外でやっていた。一方で美佐子さんは、居間で拓真くんに、スマホで子供用の動画を見せているようだった。二人の笑い声が、玲子さんとふみが調理をしている台所まで響いていた。
全員で「いただきます」と手をあわせたあと、食べ始めたふみは、拓真くんが豆腐と鶏ひき肉のハンバーグにも、ほうれん草のおひたしにも、きんぴらごぼうにもちっとも手をつけないことに気が付いた。――食べたくないのだろうか。しかし、さっき玲子さんに味見させてもらったときは、ふみの口には合う美味しい出来栄えだと思ったのに。
拓真くんは、しばらく食卓を見回したあと、ぽつりと言った。
「ぼく、甘いパンかお菓子がいい。それか、ウインナーが食べたい」
子どもの口には合わないものが多かったのかな、とふみが思っていると、玲子さんが困ったように言った。
「拓真ちゃんは、好きな食べ物が限られてるのよね。こうして、大勢でごはんを囲んだら、食べられるかと思っていたけど」
美佐子さんもため息をつく。
「小学校でも、給食をほとんど残してしまって、先生から何度も注意を受けてるの。食育っていう言葉も聞き疲れちゃった。食べられないものが多いから、いつまでも体も大きくならないし。たしかに私は料理があまり上手じゃないけど、なにがいけないんだろう」
隆志が拓真くんの緊張を解くように笑顔を見せる。
「ほら、拓真、ちょっとでも食べてみてごらん。思ったよりもずっと美味しいかも」
そう言って、里芋の煮っころがしを自ら口に入れた隆志だったが、拓真くんはイヤイヤというように首を横にふり、むすっと黙ってしまった。
「ぼく、あっちで遊んでくる。お菓子がないなら、ごはんいらない」
場の空気が静まってしまったのを察したのか、拓真くんは食卓の椅子から降りて、居間の隅に置いてあったプラレールのおもちゃで遊び始めた。
「仕方ない、家に帰ったらとりあえずパンとウィンナーを食べさせることにする。とりあえず何か、お腹にいれさせなくちゃ」
玲子は残念そうにしていたが、ふとふみのほうを見て「ねえ」と言った。
「ふみさん。ふみさんは野菜売り場で働いていて、お料理も上手でしょう。拓真ちゃんに野菜を食べさせるいい方法はないかしら。栄養がちゃんととれないと、きっとそのうち困ることになるかもしれないわ」
ふみは困惑した。そもそも拓真くんは美佐子さんの息子だし、遠い関係の自分が出しゃばってもいいことがない気がする。そもそも、美佐子さんにもそれほど好かれているとも思えないし、正式な結婚前に美佐子さんとの仲に新たにひびが入ったらどうしよう。
そう思っていると、隆志が助け船を出してきた。
「母さん、お客様のふみに無茶ぶりしないでくれよ。俺だって、小さい頃はねぎが食べられなかったけど、成長するごとに自然と解決したんだから。拓真はまだ小さいじゃないか。なんとかなるって」
隆志の言葉にほっとして、ふみも続けた。
「あの、私も小さい頃は、炒り卵のなかに入ってるピーマンをつまんでよけて、卵だけ食べてました。でも、そのうち克服しましたし、きっと拓真くんもそのうち」
ふみの言葉をさえぎり、美佐子さんが少し強めの口調で言った。
「なんとかなるも、そのうちも、もう聞くのが嫌なのよ! ――友達との会食に連れていっても、この子はなんにも食べないし、学校の先生にも『もっとご家庭でいろいろ食べさせてください』って言われ続けて。宏典からも、拓真がぜんぜん食べないのは私の料理が下手だからなんだろうって、白い目で見られてる」
宏典さんというのは、美佐子さんの夫のことだ。美佐子さんは頭を抱える。
「もう、もう何もかもが嫌……学生時代も、会社にいたころも、私の努力は報われていたのに、もう母親やってること自体がぜんぶ嫌。ねえ、どうして拓真は食べないんだろう」
偏食の子に、野菜を食べさせる方法。食べることが好きになる方法。これから家族になるご縁だし、なんとか美佐子さんの力になってあげたくて、ふみは頭をひねった。ふと、思い浮かんだことを口にする。
「あの、これは思いつきなんですけど、野菜のケーキって、いま洋菓子店とかで流行っていたりしますよ。青菜とか、にんじんをペースト状にして生地に練り込んで焼いた感じの。私、もしよければ試作してみましょうか。簡単なレシピ、探してみます」
美佐子さんがすがるように顔を上げた。その表情には、抵抗と、反対にふみを信じるしかないという気持ちが混じり合って、にじんでいるように見えた。
「――お願いできるの?」
「ええ。やってみます」
玲子さんも良一さんも、嬉しそうにうなずいた。ふみは、もしかしたらこの一連に力を添えることが、この人たちと家族になるために必要なステップなのかもしれないと思い、背筋を伸ばした。
ふみは、スーパーの休日になると、ネットのレシピ記事や書店の料理本を読み込んだ。その中からなるべく簡単な手順でできるほうれん草のケーキとにんじんのケーキを試作してみる。幾度か試して、オーブンでの焼き時間の目安なども確認すると「よし、これで」とひとりごとを言う。
焼けたケーキは『ひよどりストア 桜が丘店』の休憩室に持って行って、誰でも自由に食べてもらうことにした。
「置いてあったあのケーキ、麻野チーフが焼いたんですか? 昨日の休憩時間にいただきましたが美味しかったです」
朝、一緒に開店準備をしているときに千賀さんにそう言われてふみは「ほんと?」と目を輝かせた。
「よかった、そういってもらえると。あるところで食べてもらうものだから、何度も試作していて」
店のシャッターが開き、店内に『ひよどりストア』のテーマソングであるにぎやかな『ひよどり音頭』が流れ始めると、ふみは千賀さんに「ありがとう、持ち場に戻っていいから」と声をかけた。千賀さんが「はい」と返事をして青果のバックヤードに戻っていくことを確認し、ふみは次の業務である発注作業のために、倉庫に在庫を確認しに行った。
そして、先週。ついに試作品のケーキを、拓真くんをはじめとした白浜家のみんなに食べてもらう日が来た。大丈夫、手順は短めにメモしてきたから、美佐子さんにもわかりやすいはず。ケーキは職場で美味しいとみんなに言ってもらえたから、拓真くんにも食べやすいはず。
そう言い聞かせて、かたわらの隆志と一緒にドアチャイムを押した。
「はーい、いらっしゃいませ」
明るい声で出てきたのは玲子さんだった。今日はうす紫のニットのカーディガンを着ていて、それがとても似合っていた。ふみは、自分の服装もへんではないかな、と改めて靴の先を見つめた。
居間に上がると、そこには少し緊張した面持ちの美佐子さんと、スマホの画面を見つめている拓真くんがいた。良一さんがいない、とふみが見回すと、玲子さんが言った。
「お父さんは、今日はパットゴルフの大会が入ってしまって、朝からいないのよ」
「なんだ、そうなのか」
隆志が拍子抜けしたように言う。ふみが台所へ行き、ケーキを切り分ける準備をしていると、美佐子さんがあとからやってきて「手伝うね」と菓子皿を出してくれた。
少しぶっきらぼうな言い方だったけど、ふみのことを少し信頼しはじめてくれたことがわかって、ほっとした。
美佐子さんが全員分の紅茶を淹れて、拓真くんに「さ、ごはんの時間だよ」と声をかける。拓真くんは「えー、今面白いとこなのに」とぶつぶつ言いつつも、席についてくれる。
目にも鮮やかな薄緑色のケーキ、そしてオレンジ色のケーキ。
拓真くんは目の前の菓子皿に置かれたそのふたつのケーキを、こわごわ眺めている。
「拓真、ふみお姉ちゃんが拓真のために、ケーキ焼いてくれたんだって。いつもの甘いパンみたいに、おいしいと思うよ。食べてごらん」
少し気分をそそられたのか、拓真くんがそっとほうれん草のケーキを手に取り、はじっこを口に入れた。みんなの視線が、拓真くんに集中した。
拓真くんは、次の瞬間、うえーと顔をしかめた。
「美味しくない。野菜の味がする」
「そんなことないよ、オレンジのほうも食べてみ」
隆志がそううながし、拓真くんはいやそうな顔でにんじんのケーキも口に入れたが、反応はほぼ変わらなかった。
「おんなじだよ。美味しくないんだったら!」
ひと声そう叫ぶと、拓真くんは食卓の椅子から飛び降りると「ぼく、さっきの動画続き見る」と言って美佐子さんの前からスマホを奪い、居間のほうへと行ってしまった。
ふみは、がっくりと肩を落とした。たくさんの試作の日々が無駄になった気持ちだ。
「だめ、でしたか……」
玲子さんが謝った。
「ふみさんが悪いんじゃないわ。悪いのは、この話を持ち掛けた私だった。がんばってくれたふみさんにも、美佐子にも謝らなくちゃ。ごめんね」
美佐子さんが、ケーキをひときれ自分の菓子皿からとって、口に運ぶ。そのまま口のなかでもぐもぐと飲み込んでから、ふみに向き直った。
「私はこれ、美味しいと思う。野菜の味は多少するけど、優しい口当たりになっている。とても自分ではこんなの作れなかったな」
美佐子さんがフォローしてくれているのがわかり、ふみは恐縮した。
「いえ、お役にたてなくて……」
そんなふみを見て、美佐子さんは気持ちを吐露しはじめる。
「拓真が野菜を食べられないことと、私が良い母親ではないからそうなるんだろうっていう気持ちが、つい直結しがちになっちゃうのよね、子育てしていると。かかりつけのお医者さんには、子供の好き嫌いはどうしようもないものだから、なにかお腹に入れてさえいれば大丈夫、だから安心するようにってちゃんと言われてる。そう頭ではわかっているのに、心がついていかないんだよね。ダメな母になってるんじゃないかって」
「姉貴はせいいっぱい、がんばっていると思うよ。はたから見て」
隆志がそう言い、ふみも続けた。
「私もそう思います」
玲子はふっと表情を和ませると、美佐子に言った。
「こないだ、隆志は自分でねぎが食べられなかったって言ってたじゃない? 美佐子自身は、小さい頃何を食べられなかったか覚えてる?」
美佐子さんはかぶりを振った。
「え、ぜんぜん覚えてない」
「あなたはお魚がだめだった。骨があるの、きらいーって」
「え、嘘。いまは大好きなのに」
「だから、味覚は変わるのよ。拓真ちゃんを信頼してあげることが、いまは大事なんじゃなぁい?」
玲子の言葉に、美佐子はうなずいた。その目のふちが少しだけ、濡れていた。
ふみは『ひよどりストア 桜が丘店』の事務室で、パソコンを使い店内POP制作に励んでいた。季節は三月で、いちごが旬だから大々的に売り出したい。目立つイラストをつけて、文字も大きくして。でも、作業を淡々と行いながら、いつでも頭をよぎるのは、美佐子さんと拓真くんの親子のことだった。
もちろん、野菜を食べるのを無理強いはこれ以上できない。でも何か、拓真くんに喜んでもらうことはできないのだろうか――。
パート主婦の山本さんが「チーフ、お疲れ様です」と事務室に入ってきた。
「もうすぐ、清水運送さんのトラック、裏手につきますよ。昨日はけていたもやしの補充、できそうですよね」
そういえば昨日はもやしを大安売りしたことで、夕方を待たずにほぼもやしの袋は売り場から消えてしまっていたのだった。
「あー、ありがと」
トラック……トラックか。そのとき、ふみの頭をふとよぎるものがあった。もしかしたら、拓真くんを笑顔にできる方法、ひとつ見つかったかもしれない。
その晩、仕事から帰ってからふみは、隆志に電話をした。
「え? 拓真が、大きな車が好きなんじゃないかって?」
「うん。このあいだ、拓真くんが美佐子さんのスマホで動画を見ているのを後ろから見てたんだけど、ぜんぶ、はたらく車の動画だった気がするんだよね。トラックとか、消防車とか、クレーン車とか。だから、店長には頼み込まないといけないけど、一度うちのスーパーに来るトラックを、拓真くんに見せてあげたら喜ぶかもって」
「へえ、それはいい考えかもな。姉貴に聞いてみようか」
「お願い。私もそうできないか、店長と運送屋さんに頼んでみる」
そして、三月下旬の平日の午後。『ひよどりストア 桜が丘店』の裏手の駐車場に、美佐子さんと拓真くんがやってきた。ふみは休憩時間をもらい、二人の付き添いをする。
拓真くんは明らかに、頬を真っ赤にして興奮していた。なにせ、自分の大好きなトラックが、何台もその大きな車体を目の前で動かしているのだ。
「危ないから、ママの手はしっかり握っててね。駆け出したら駄目よ」
美佐子さんが、拓真くんにそう念を押す。
『清水運送』と車体の横に大きな文字で書かれたトラックが、三人の目の前でゆっくり駐車を始める。拓真くんは目をきらきらさせて、飛び跳ねんばかりだ。
トラックの運転席が開き、運転手の佐々木さんが降りてきた。いつも『ひよどりストア 桜が丘店』に野菜のダンボールを運んでくれる、ふみには馴染みのトラック運転手さんだった。
「麻野さん、どうも。今日は親戚のお子さんの社会科見学だそうで。社長にもOKもらいましたよ」
「ありがとうございます、忙しい中すみません」
ふみにつられて、美佐子さんも頭を下げた。
佐々木さんは、プロレスラーのような大きな体をかがませて、拓真くんと目を合わせた。
「こんにちは。大きな車が好きなのかい?」
「うん。――すき」
拓真くんはもじもじしている。佐々木さんがあまりに大きな人なので、驚いてもいるようだ。拓真くんは伸びあがってトラック全体を見ようとしているが、なにぶんまだ背丈が足りない。
「ちょっと失礼するよ。うん、さあ、おじさんの肩にのって」
佐々木さんは拓真くんを肩車すると、トラックの周りを一周してくれた。拓真くんの目がきらきら輝いた。
「すごいなー、すごいねえー」
さっきから拓真くんはその言葉の繰り返しだ。頬もピンク色に染まっていた。
肩車から下ろしてもらうと、拓真くんは佐々木さんにぺこっと頭を下げた。
「ありがとう。おじさん」
佐々木さんはいかつい顔に満面の笑顔を浮かべる。拓真くんが聞く。
「あの……僕も、大きくなったらこんなトラック、運転できるかな?」
「ああ、できるさ。拓真くんが大きくなったらな。そのためには、たくさん食べてしっかり寝て、おじさんみたいに大きくなることだ」
ふみと美佐子さんは顔を見合わせた。「たくさん食べて」などという佐々木さんからのアドバイスは正直想定していないことだった。
荷下ろしをして帰っていった佐々木さんを三人で見送ったあと、ふみが休憩を終えるまでの時間のあいだにも、拓真くんは「すごかったねえ」と繰り返し言っては、頬を上気させていた。
「ふみさん、今日はありがとうございました。私たち、とても楽しかった。よかったら、またうちに遊びにきてね。両親も喜ぶから」
「ええ、またぜひ」
「ふみお姉ちゃん、ありがとう!」
遠ざかる二人の背中をスーパーの裏口から見送り終えると、ふみはうんと背筋を伸ばした。さあ、これから午後の勤務だ。夕方のタイムセールに向けて、準備をしなくてはならない。
新緑萌える五月が来て、ふみは美佐子さんと電話をしていた。二ヶ月後に控えている結婚式の披露宴の食事について、相談の電話をかけていたのだ。
「あの、もちろん美佐子さんご一家もご招待したいと思っているんですけど、会場のレストラン担当の方から、食べられないものがありましたら事前に教えて下さいと言われておりまして。なので美佐子さんや宏典さんの食事内容ももちろんのことですが、拓真くんのお食事、どうしようと思いまして――」
電話口の向こうで、美佐子さんが声をひそめて「それがね」と言った。少し、気持ちがはずんでいるようだ。
「拓真、ふみさんにトラックを見せてもらったときから、ほんの少しずつだけど、いままでよりも食の範囲が広がって。もちろん、食べられないものもまだまだたくさんあるし、それは今回お教えするけど、それでもいままでのことを考えたら、だいぶよい状態になってるの。だから、本当にありがとう」
ふみの心に、温かさがじわじわと広がる。小さい頃は、私もピーマンが食べられなかった。でも、大人になって、少しずつ美味しいと思うようになった。だから拓真くんも、少しずつ成長しているのだ。
結婚式のお色直しでは、薄緑のドレスを着るつもりだ。ピーマンはじめ、ふみの好きな野菜たちとおんなじ色の。
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