【連載小説】優しい嘘からはじまるふたり 第2話「同窓会の夜」
一歩足を踏み入れたホテルのロビーは、シャンデリア調の照明とふかふかの絨毯が印象的で、遥は自分の今日の服装が場違いではないかと気になり、女性用トイレへと駆け込んだ。鏡の前で、パールのイヤリングを付けなおしながら、親友に誘われなかったら、中学の同窓会なんて来たくなかったな、と溜め息をついた。
でも、今日は久しぶりに親友、と遥が唯一言うことができる関本架澄に会える。もう一度、抑え目のローズ色のルージュをくちびるに引きなおし、トイレからこそこそと出る。早く架澄と合流したい。
遥は、中学時代にいい思い出はほとんどなかった。ある男子が遥のことをからかい続けたことがきっかけだった。人気ものであるその男子のとりまきだった周りの女子たちから遥は不興をかい、遥への悪口や無視が始まった。かばってくれる架澄の存在がなければ、遥は不登校になってしまったかもしれない。
幸い、高校でその男子とも女子たちとも離れ、遥は架澄とともに、楽しい高校時代を過ごした。ただ、中学時代にえぐられた心の傷は、いまだ遥のなかで生々しさを残していた。
「はーるか」
ぽん、と肩に手を置かれて、遥は飛び上がった。架澄が、緋色の大人っぽいワンピースに身を包んで立っていた。ふわふわと首回りで踊るこげ茶の天然パーマの髪に、今日は銀色の羽をかたどった髪留めをつけている。
「架澄! もう、びっくりさせないでよ」
「席、くじびきだってさ。私はB席だったよ。遥もまだなら早く引いてきな」
「え、くじびきなの? 自由に選べるんじゃないんだ。来なきゃよかった」
「もー、大丈夫だよ、遥。みんなもう、今日は楽しむ席だから、ひどいことなんて言われないよ。そうそう、遥のあこがれてた数学の佐野先生も、今日出席するみたいだったよ?」
「あ、そうなんだ」
とつぜん、中学時代のあこがれのひとの話題を持ち出されて遥は慌てたが、どちらかといえば、今顔を見たいのは滋之だった。あの、こちらを安心させる声と表情で、お弁当の注文に来てほしい、とそこまで考えて(空想しすぎ!)と遥は慌てる。
くじびきの結果はE席で、架澄とは離れてしまった。おずおずと、Eの札が立っている丸テーブルに白いクロスがかかった席へと移動する。
E席にはすでに先客がおり、遥はおっかなびっくり挨拶のお辞儀をして、腰掛けた。中学時代の友人の顔なんて、もう誰も覚えていない。遥のことだって、たぶんみんな忘れているだろう。
居所のなさを感じたまま、華やかなドレスに身を包んだ司会の女性の一声から同窓会が始まり、フロアに音楽が響き始めて、料理が運ばれてきた。早く食べて、早く帰ろう。そう思いながら、寄木細工のような野菜のテリーヌをつついていると、突然声がした。
「君嶋ァ? 君嶋だよな」
びくっとなって顔を上げると、短髪にスーツ姿をして、おもしろそうに瞳を輝かせた男性が、まじまじとこちらを見て明るい声を出した。まるで、鷹が獲物を見つけた喜びに、一声鳴くように。
「あ、――村中くん?」
遥はおそるおそる、たしかめるように訊いた。でも、訊かずとも、遥が彼の名を忘れていたことはなかった。暗黒の中学時代、遥をからかい倒し、女子達に無視される原因をつくったのが彼、村中智弘だった。
「えらーい、君嶋! 俺のこと覚えてる!」
そのまま智弘は、がしがしと遥の頭をなでた。
「や、やめて!」
そんなことをされたら、せっかく美容院でセットしてもらった髪型がだいなしだ。智弘は、同窓会が始まったばかりだというのにワイングラスを片手にがばがば飲んでいて、遥は不安にかられた。助けを求めたいと架澄の席を見るが、架澄はB席のクラスメイトと談笑していて、こちらに気づく気配はない。
「君嶋、俺、めっちゃお前に会うの楽しみだったの!」
遥はその言葉を聞いて、シャンパン一口飲んでいないのに、頭が痛くなった。このひと、今日も私をおもちゃにするつもりだ。
「俺ね、△△銀行に勤めてるんだけど」
智弘は、北陸で大きくシェアを伸ばし、全国にもいくつか支店を持っている、遥でも知っている銀行の名前を挙げた。
「去年の四月から、なんと小松支店! そしたら同窓会があって、君嶋にも会えて。サイコーじゃん」
――だからどうしてこのひとは私にいつまでもかまおうとするのか。遥には目の前のカラフルな料理が、どれも味がしない粘土細工に替わっていくように思えた。
「ね、君嶋。連絡先教えて」
なんでよ、と言いかけたが、智弘の目元は回ったアルコールで赤く、こちらを見る視線が据わっている。いま、変に抵抗するとよくないかも、と遥は判断し、しぶしぶLINEを交換するはめになった。
智弘は、大人しく連絡先を渡してくれた遥に満足したのか、赤ワインをぐっとまた飲み干すと、
「また連絡するわ、じゃ」
と言って、別のテーブルのほうへ千鳥足で歩いて行った。心なしか、いまの一部始終を見届けられていたのか、周りからの視線が痛い気がする。遥は、すっかり食欲がなくなって、とりあえず運ばれてきた料理を最後まで食べたが、デザートまでは胃に入れることができなかった。甘いものには目がないのに。ジェラートもミニパイも食べたかったのに。
帰りは架澄を誘ってカフェでコーヒーでも飲もうと思っていたが、とてもそんな気分にはなれなくなっていた。早く帰ろう、と思って遥は、司会の女性がお開きの合図をするのを待ちわびた。
それから一週間後。遥はキッチンさくらの奥の休憩室で、お昼休みをとっていた。今日はお客さんの対応をしていたら、いつもは十三時半くらいに休憩に入れるところを、十四時になってしまった。今日の賄いとして、朝野が作ってくれた日替わり弁当のふたをあける。
今日はワカサギのフライが美味しそうだな、と思って箸を伸ばしたとたん、そばに置いてある遥のバッグから、振動音が聞こえた。LINEが来ている。
なんとなく、誰からかは予想がついて、遥は顔をしかめた。溜め息をついてスマホを取り出し、LINEアプリを確認する。――やっぱり、智弘からだ。
智弘は、同窓会の翌日からずっと、頻々と遥にメッセージをこうして送ってくる。そのほとんどが「会おう」「食事に行こう」というものだ。
遥はそのたび「ごめん、ちょっとスケジュールが空かなくて」とか「誰かほかの人を誘ったら早いから」と返しているのが、智弘はそんなやんわりとした断り文句はものともしない、という勢いで、メッセージを送り続けてくるのだ。
遥は、とりあえず今のLINEにも何事かを返そう、といったんは思ったが、せっかくのワカサギのフライが冷めてしまう、と考え直し、スマホをバッグにしまった。家に帰ってから返そう、いまは仕事中なんだし。
でもこんなことが続くようなら、いったいどうしたらいいんだろう。智弘からのメッセージを読むたび、楽しくなかった中学時代を思い出してしまう。
まあでもとりあえず、お昼を食べてしまわなきゃ、遥はそう思って割りばしを割った。
※同内容をエブリスタでも連載しています。
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